時間をぜいたくに使う

10月15日(日)雨

 司馬遼太郎の『街道をゆく4 郡上白川街道、堺紀州街道 ほか』(朝日文庫)の題名から省かれて「ほか」としか書かれていないのが、「洛北諸道」の章である。その中に、京都市の西北にある、当時はまだ京北町であったが、現在は京都市に編入されている周山という地名について触れた個所がある:
「周山というこの奇妙な漢音の地名については、いわれがわからない。天正年間、織田信長の命令によってその部将明智光秀が丹波攻略をやり、その根拠地のひとつを周山に置いた。『老人雑話』には、光秀はこのときひそかに信長を暴王とし、殷の紂王になぞらえ、それを討つ自分を周の武王に擬してこの地を周山と名づけたというが、信ずることはできない。」(73-74ページ)

 大学時代の終わりのころに、学外の詩のサークルに入っていた。その中の年配の一人の会員が、「周山にて」という詩を書いてもってきたことで、司馬が信ずることはできないと書いている、周山と明智光秀の話を知った。どんな詩であったかは忘れてしまったが、なぜか、周山という地名が記憶に残っている。
 私にとって(今でもそうであるが)詩を書くことは趣味ではない、趣味以上のものであったが、かといって職業でもなかった。そんなことをしないで、授業にまじめに出たり、専門書を読んで勉強したりする方がよかったのかもしれないが、そうする気持ちにはあまりなれなかった。だらだらと、時間を過ごしていたが、それは一種の贅沢ではなかったかと今になって思う。

 仲間には学生もいたが、社会人の方が多かった。そうした社会人から学ぶことは少なくなかった。詩を書いているだけあって、自由に生きようとしていたのか、仕事をあれこれと変えて生活しているのが1人いた。その彼は、東映の京都撮影所で働いていて、黒澤明が『トラ・トラ・トラ』を撮影する現場の隅っこにいたらしい。黒澤はこの映画の日本側のキャストに全員素人を起用して撮影しようとしたのだが、山本五十六を演じる人が撮影現場にやって来ると、その現場に居合わせるスタッフ・キャスト全員が敬礼するように指示したという、そんな話をしていた。ずいぶん、貴重な場所に居合わせたものである。ところがご本人はそんなことは露思わず、1970年になったら、東京に出かけるなどと見当はずれなことを言っていた。

 そういう私も、そちらのサークルに入らず、溝口健二のシナリオ・ライターであった依田義賢が主宰していた詩の雑誌である『骨』の方に作品を持ち込んでおけばよかったと今になって思わないでもない。めったに経験できないような経験のできる機会に出会いながら、それを有効に使わないというのは一種の贅沢であろう。そう簡単に実現できない夢を追いかけるのも、贅沢であろう。一流の芸の持ち主に出会いながら、その芸を継承しないというのも贅沢であろう。贅沢にもいろいろある。

 大学時代にご一緒させていただいた年長の先生方の話を伺って、私よりもさらに年長の世代の方々が受けた高等教育というのは、さらに贅沢なものであったと思うことがあった。東京美術学校在学中に、近くの東京音楽学校(現在は両者合併して、東京芸術大学になっている)の邦楽科の生徒たちと仲良くなって、そういう生徒の大半は、邦楽の家柄の生まれなので、彼らの父親である邦楽の師匠に邦楽を習いに出かけるようになった。それで、ある程度進んだところで、温習会を開くのだが、そういうときはことさらにまずく演じて見せた…などという話を聞いたものである。

 一生懸命努力する、ベストを尽くす…というのは大事なことである。だが、人生それだけで終わるものではない。時間を有効に使って、優れた成果を上げることももちろん必要だが、その一方で、人生の回り道をして、時間を贅沢に使うこともあっていいのではないかと思う。だから、経済的な観点からだけ、高等教育について、あるいは<生涯学習>について考えることには賛同しがたいのである。

日記抄(10月9日~14日)

10月14日(土)雨

 10月9日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正など:
10月9日
 東京六大学野球で東大が法政を破って勝ち点1をあげた。この試合で1番打者として活躍した辻居選手は私の中学・高校の後輩である。硬式野球部がない(軟式だけ)という学校であるが、時々、東大野球部で活躍する後輩がいる。東大の卒業生でもないのに、スポーツ新聞で東大の記事を追いかけているのはこの理由からである。

 NHKラジオ『まいにちスペイン語』の時間の「スペインの街角」のコーナーで、スペインの古都トレドToledoが取り上げられた。確か、ルイス・ブニュエルの『哀しみのトリスターナ』という映画の舞台がこの都市であったと思う。それ以上に、メリメの短編小説「トレドの真珠」が思い出される。

10月10日
 『まいにちスペイン語』の「スペインの街角」のコーナーでは、コスタリカの首都サン・ホセが取り上げられた。コスタリカには軍隊がないのだそうだ。どこかの国と違って、軍隊を持とうという話もないらしい。

 司馬遼太郎『街道をゆく5 モンゴル紀行』(朝日文庫)を読む。大阪外事専門学校(現在の大阪大学外国語学部)の蒙古科の出身である司馬さんが、専門学校時代の恩師である棈松源一さんや挿絵担当の須田画伯とともにハバロフスク、イルクーツク経由でモンゴルを訪ねる。モンゴルのビザを取るのに苦心したり、そのころのモンゴルの飛行機はすべて有視界飛行であったために、なかなか飛行機が飛ばなかったり、ゴビの砂漠で包(ゲル)に泊まったりとなかなか波乱に満ちていて、これまでの4冊よりも、かなり面白い。司馬さんも嘆いているが、日本人はモンゴルのことをあまりよく知らない。以前、ある大学の近くで食事をしていたら、その大学のたぶん大学院生が、モンゴルからの留学生と英語で話をしていて、ジンギスカンは日本を攻めてきたという話をしていた。(攻めてきたのは孫のフビライの時代のことである。)

10月11日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
Every calamity is to be overcome by endurance.
                    ―― Virgil (Roman poet, 70 -19 B.C.)
(あらゆる災難は、忍耐によって克服できる。)

 東谷暁『山本七平の思想』(講談社現代新書)を読み終える。山本についての本を読む前に、山本自身が書いた本を読むべきだったと思う(著作がかなり多いとか、かなり難しいことを言っている思想家の場合は、~について書いた本から読んだほうがいい場合もある)。山本の母校(の後身)である青山学院大学で行われた研究会に出席。

10月12日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』応用編は、アラルコンの『三角帽子』の3回目:
 隣村の村長宅まで連れて行かれたルーカスは、夜中にわら置き小屋を抜け出し、ロバを駆って自分の水車小屋へと向かう。途中野原で誰かとすれ違い、ロバが声高にいななくが、ルーカスは気にしない。水車小屋に着くと、小屋の扉は空いている。台所には誰もいないが、暖炉には火がどんどん燃えていた。暖炉の周囲には三角帽子をはじめ、市長の着衣が乾かされていた。ルーカスが二階の寝室をのぞき込むと、市長がいた。ルーカスは思いついて、市長が身につけていたものを着込み、町の方角に歩いていった。歩きながら、こんな独り言を言った。――¡También la corregidora es guapa! (市長夫人もべっぴんだ!)

 NHKラジオ『まいにちイタリア語』応用編はダンテの『神曲』の3回目。暗い森に迷い込んだダンテは小高い山を朝日が照らしているのを見て、希望をとりもどし山の頂上に向かおうとするが、豹、そして獅子、さらに雌狼に行く手を阻まれる。
… ch'io perdei la speranza de l'altezza. (私は高みを目指す望みを失った。)

 この日の当ブログで「ソクラテスの皮肉」をめぐるヘーゲルの意見について簡単に触れて、『哲学史講義』で確かめてみようと書いたが、夜、書店の文庫本コーナーで探してみたところ、河出文庫で3巻からなる『哲学史講義』の上巻しか並んでおらず、ソクラテスが登場するのはなんと中巻であることを知った。つまり、その位、ヘーゲルの『哲学史講義』はソクラテス以前の<哲学者>たちに1巻分を割くほど、ギリシアを重視していたということで、それがヨーロッパの伝統だったのだと気づいた。

10月13日
 『三角帽子』の続き。なぜ市長がそんなところにいたのか。話はいったん戻る。ルーカスが警吏と出ていき、フラスキータ奥さんは小屋に一人残されたが、家の外の用水路あたりから、助けを求める声が聞こえてきた。市長が用水路に落ちたのである。気の強いフラスキータ奥さんは、「こんな時刻に何しにいらっしゃったんですの?‥‥」と恐怖心よりもむしろ怒りに駆られて叫んだ。市長夫人にこのことを告げるというフラスキータに対し、市長はピストルを見せて脅すが、その程度のことで動じるフラスキータではない。「閣下、少しお待ちあそばせ、今火を起こしてきますので」

 『神曲』の続き。森に迷い込み、豹、獅子、狼という3頭の猛獣に行く手を阻まれたダンテは、恐怖におののき、進退窮まるが、そこへ人影らしいものが見える。何者かという問いに、
Rispuosemi: 《Non omo, omo già fui,
e li parenti miei furon lombardi,
mantovani per patrïa ambedui.

Nacqui sub lilio, ancor che fosse tardi,
e vissi a Roma sotto 'l buono Augusto
nel tempo de li dèi falsi e bugiardi.

Poeta fui, e cantai di quel giusto
figliuol d'Anchise che venne di Troia,
poi che 'l superbo Ilïon fu combusto.
(その人影は私に答えた、「私は人間ではないが、かつては人間だった。
両親はロンバルディアの者で
二人とも故郷(くに)はマントヴァだ。
私は、遅きに失したとはいえカエサルの時代に生まれ
善きアウグストゥスが治めるローマに生きた。
偽りの神々の時代だった。
私は詩人だったから
誇り高きイリオスが焼け落ちたあとトロイアからやってきた
アンキーセスの立派な息子のことを詩に謳った。)

 「アンキーセスの立派な息子」はトロイアからイタリア半島に落ち延びて、ローマ建国の遠祖となった英雄アエネーアースのことで、この人影はアエネーアースの事績を叙事詩『アエネーイス』に謳いあげたローマ黄金時代の大詩人ウェルギリウスであった。自分がかねてから尊敬していた詩人と出会った喜びで、感謝の言葉を述べる彼に向かい、ウェルギリウスは、自分と一緒に来るように促し、ダンテはウェルギリウスに導かれて地獄、そして煉獄をめぐることになる。
 今回は、『神曲』(この日本語名は、森鷗外が名付けたものだそうである)の題名について、その言語と文体の多様さ、ダンテのリアリズムの具体例などが指摘された。

10月14日
 今日はニッパツ三ツ沢球技場でYSCCの試合があるのだが、天気が悪いので見に出かける気にならない。〔横浜市に本拠を置くJリーグのチームは3つあって、横浜F・マリノスがJ1、横浜FCがJ2、YSCCがJ3に属している。〕

 神保町シアターから7月~8月の「神保町シアター総選挙」のスタンプ・ラリーを達成したことへの賞品が届いた。このところ、足が遠のいているので、これをきっかけとしてまた出かけることにしよう(現在、その出演作を特集上映中の赤木圭一郎は私の出身校の6年先輩である。今回は、学校の後輩である辻居選手の話題からはじめて、先輩である赤木圭一郎の話題で締めることになった。〕  

渡辺淳子『東京近江寮食堂』

10月13日(金)雨

 渡辺淳子『東京近江寮食堂」(光文社文庫)を読み終える。著者の名になじみはなかったが、表題に「近江寮」とあったので、滋賀県生まれの私の食指が動いて、読んでみたのである。

 寺島妙子は、10年ほど前に夫が家出して一人暮らし、病院の下働きをしていたが、それも間もなく定年を迎えようとしている。定年退職前に30日を超える年休をとり、東京へとやってきた。東京で暮らしているらしい、姿を消した夫のことが気がかりなのである。その年の夏に、久しぶりに夫からハガキが来た。その消印が本郷であったので、本郷の近辺をあるいたのちにアメ横に向かう。ところが、財布をすられてしまう。警察に届けても、よくあることなので真剣には対応してくれない。家に戻ろうかと思ったら、かかりつけの歯科医から電話があって、財布を拾った人が現われたという。財布を拾ったのは鈴木安江という人物で、東京近江寮という宿泊施設の管理人である。滋賀在住者なら安く泊まれるというので、背に腹は代えられず(財布の中の5万2千円は掏摸に抜き取られていたのである)、この施設を利用することになる。

 翌日、近江寮の前で空き缶拾いをしていた不審な男が掏摸の犯人ではないかと思って、妙子が追及すると彼はなぜか彼女の写真をもっている。妙子が男ともみ合っていると、安江が助けに入り、そのためにけがをしてしまう。それで、寮の食事をつくることが出来なくなった安江に代わり、妙子が台所を担当することになる。妙子は昔、夫とともに近江料理の店を開業していたことがある。それが流行らないので、店を閉めて、他人の店で料理人として働くように夫に勧め、それでうまくいっていると思っていたのに、夫は家出したのである。
 美的なセンスはなかなかのものであるが、料理は下手な安江に代わって、妙子が料理を始めると寮の食事が一変する。

 もともと都内の大学に通う滋賀県出身の学生のための寄宿施設だった近江寮は、その後宿泊施設に模様替えした。安く泊まれるということで、長期滞在者や、常連客は滋賀県在住者が多いが、それが一癖も二癖もある人物ばかりである。
 38歳の光成は映像作家を目指すといいながら、3年以上この寮に連泊し、レンタルビデオ屋などに勤めながら生活している。不愛想だが、頼りになることが多いと安江は言う。
 滋賀の零細企業に勤めている四賀浩彦は2~3か月ごとに出張のため上京し、1週間ほど滞在し、その間、夜になると歌舞伎町に出勤している。あるホステスに入れあげていて、上京のたびにその店に通うのだという。
 一見すると紳士に見える池花透は、病院に通うために滞在している。忍というパートナーが、区内の病院に入院しているからだという。長期間介護を続けていると心身ともにくたびれてくるはずなのだが、そのように見えないのは不思議である。
 寮とは別の場所に住んでいる光江にはヨシ子という90歳を過ぎた姑がいる。耳は遠いし、体力の衰えは隠せないが、その経験知は恐るべきものがある。そのヨシ子の面倒を以外にも光成がよく見ている。

 妙子が近江寮になじみ、寮の雰囲気を変えるとともに、失踪した夫探しも少しずつ進み始める。物語が進むにつれて、初めの方では隠れていた事柄が明るみに出てくる。宿泊客たちも、いかにもという事件、思いがけない事件を起こして物語の進行を早めたり、妨害したりする。妙子が夫とともにやっていた近江料理店がうまくいかなかったのは、近江料理そのものが問題ではなくて、料理店の中での近江料理の居場所がうまく見つけられなかったということらしい。近江寮で自分の居場所を見つけ始めた妙子は、寮の定食の中に近江料理をうまくはめ込んでいくことに成功していく…。

 近江寮に実在のモデルがあるかどうかは知らないが、上野から東大の近くにかけては、この種の施設がいくつもあるので、物語の展開に無理なくついていくことができる。作者は滋賀県出身で、看護師をしながら小説を書いているという。妙子が滋賀県出身で病院の下働きをしているというような設定に、著者の経験が生かされているようである。平和堂などという滋賀県に本店のあるチェーン店の名前がさりげなく入っている。
 滋賀県といっても京都に近く、工場の進出も目立つ湖南の方と、人口が多いとは言えない湖北や湖西の方では相当な違いがあるし、この小説に多く登場する人物も滋賀県出身ということだけが共通して、その個性はきわめて多様な描かれ方をしている。ここでは、例によって、物語の起と承の部分の紹介にとどめて、転・結の部分は省略しているが、江戸っ子が登場したり、山形県の人が登場したりで、さまざまな地方色が入り乱れることで、あまり強い個性をもっているとはいえそうもない(と作者が考えている)滋賀県の歴史・文化の特色が描き出されるという効果を生んでいる。

 強い特色はないと書いたが、北陸地方から琵琶湖の水運を伝って京都に物資が運ばれていた時代からの文化的な伝統の名残のようなものはあるに違いない。この小説でも「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」(159ページ)という近江商人の心情が語られていたり、料理を通じてそのような名残が描かれたりしている。彦根藩関係では、近江牛について触れられていて、彦根リンゴについては触れられていない…というのがその現状についての認識を新たにさせてくれるわけで、歴史的な興味も多少は満足させてくれる。

木田元『哲学散歩』(3-3)

10月12日(木)晴れ、次第に雲が多くなってきたが、依然として暑い。

ソクラテスの皮肉(3)
 ソクラテスは知識人(ソフィスト)たちとの論争において、自分は無知であるからその欠けている知識(ソフィア)を愛し求める(フィレイン)という愛知(フィロソフィア)の立場をとった。〔哲学のことを英語でphilosphieというのはこれが起源であるのはご存知の方も多いはずである。〕 しかしそこで彼が取った態度は、論敵や世間の人々から「知っているのに知らないふりをする」(エイローネイア)と呼ばれたのである。近代の諸言語における「皮肉」(英語であればアイロニーironyの語源である。)
 皮肉には、心の中で思っていることと、口に出された言葉とが反対である(矛盾している)という特徴がある。これは嘘と同じことであるが、嘘はばれてしまえばおしまいであるのに対し、皮肉は相手がその皮肉に気づくことに意味がある。したがって皮肉には教育的な効果が期待できる。

 木田さんは皮肉(イロニー、これはドイツ語である)についてそれが教師の側からの教育手段として有効であると論じるニーチェの言葉を引用している。
「皮肉(イローニッシュ)な教師は無知を装う。しかもきわめて巧みにそれをやってのけるので、彼と話し合っている弟子はすっかりだまされて、自分の学識の方が先生より優れていると思い込んで大胆になり、自分の弱点をありったけさらけ出してしまう。彼らは警戒心を失い、ありのままの自分を見せてしまう――ところが一瞬、彼らが教師の顔に差し向けていた光が、その光芒を突如転じて彼ら自身を照らし出し、その慢心をくじくのである。教師と弟子の間に見られるようなこうした関係がない場合には、皮肉(イロニー)は一種の無礼であり、低俗な気どりである。」(『人間的な、あまりに人間的な』、第6章第372節)(29-30ページ)

 ソクラテスの皮肉(イロニー)もまた、知識人(ソフィスト)に対するこうした教育的手段だったと考えてよい。彼もまた無知を装って知識人(ソフィスト)たちに問答を仕掛け、彼らの誇示する知識を吟味してそこに矛盾を見出し、彼らに己の無知を自覚させて、真の知への愛に目覚めさせた――ということで一応の決着がつくが、木田さんはそこから先を問題にする。
 ソクラテスが無知を装っているとするのであれば、当然彼には語るべき知識があるはずである。しかし、プラトンの初期の対話篇を読むと、ソクラテスがそのような真の知を語ったという形跡はない。だとすると、ソクラテスは自分で言っているように、本当に無知だったということになる。ヘーゲルの『哲学史講義』はそのような立場をとっているそうである(それで、読んでみたくなった)。本当に無知な人間が、自分は無知だと表明することは、皮肉でも何でもない。「だが、無知な人間に、いったいどうして吟味ができるのか。」(31ページ)

 「彼がその内面においても無知でありながら、なおかつ彼の言動が皮肉(イロニー)である可能性がありうるだろうか。
 …皮肉(イロニー)とは外なる現象を仮象として否定し、真の本質に立ち返ろうとする運動であった。もしそうして立ちかえった本質をさえもさらに仮象として否定していくといったふうに、その否定が無限に繰りかえされるとしたらどうであろうか。」(同上)

 ソクラテスの皮肉によって、自己の真の内面に立ち戻らされたソクラテスの論敵は、それと同時jにソクラテスの偽装された外面をもつ紀破り、彼の真の姿をとらえたと思うに違いない。だが、その時訴kルアテスがその姿をさえも仮象として脱ぎ捨て、無限に後退を続けていくとしたらどうであろうか。おそらく相手は果てしなく自己のうちへ突き戻され、これまでの信念や知識の一切を奪われて、無の不安にさらされるであろうと木田さんは言う。〔しかし、不安は古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分に移る際の、一時的な現象であればよいが、それが続くということになると危険を招くかもしれない。〕

 「ソクラテスの皮肉(イロニー)の真のねらいは、どうやらこうした無限否定、つまり単なる否定のための否定にあったのではないかと思われる。おそらく自分が歴史の大きな転換点に立たされているという予感があったのだろう。」(31-32ページ)
 「だが、こうした否定の運動は、一度止まってしまうと、それまでのすべてが嘘になる。どこまでも走り続けねばならないのだ。そんなことは、ソクラテスのような巨人にしかできそうにない」(32ページ)。そして、皮肉屋として生きようとしたフリードリッヒ・シュレーゲルや太宰治の挫折の例を引き合いに出して、「皮肉屋として生きるのは大変なことなのだ」(32ページ)と結ぶ。〔しかし、ソクラテスが自分では発見できないけれども、新しい時代を切り開く真理を誰かに発見してほしいと考えて、既存の真理に対して否定的な態度をとり続けていたとみることもできるだろう。モンテーニュの見たソクラテスの姿はこのようなものではなかったかと私は勝手に考えている。批判とか、懐疑とかいう姿勢は、いくつか数えられる程度の、自分にとって重要な問題をめぐるものにとどめておいて、後は常識に任せて、思考を停止するという方針を私はモンテーニュから学んだと、これも勝手に思っている。〕

 皮肉は使う側にも、使われる側にも、それなりの知性が要求されるのであって、むやみに使うべきではない、それに皮肉を言う側の善意が言われる側に通じない場合も考えるべきであるということを、私の教師としての経験から付け加えることができる(多少の皮肉が通じるような師弟関係の方が楽しいが、なかなかそれは成立しにくくなっているのではないかと思う)。
 

ダンテ・アリギエリ『神曲 天国篇』(29-1)

10月11日(水)曇り

 ベアトリーチェに導かれて地球の南半球にそびえる煉獄山の頂上にある地上楽園から、天上の世界へと旅立ったダンテは、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天を歴訪し、至高天から彼を迎えにやってきた魂たちと会話し、自分の使命が地上の世界の人々に自分が見聞きしたことを知らせることであるとの自覚を得る。至高天から土星天へと降りている「ヤコブの階段」を上って恒星天に達した彼は、信仰、希望、愛という3つの対神徳についての試問を受け、地上で自分の見聞を語るにふさわしい人物であることを証明する。そして、彼は物質的な目に見える世界を離れて、非物質的な世界の入口である原動天に達する。そこは宇宙全体の運動の起点であり、天使達の世界である。ベアトリーチェは、原動天について、天使達についてダンテに説明する。

ラートーナの二人の子が
牡羊座と天秤座とに重なり、
双方が同時に地平線を帯にする頃、

天頂の天秤で両者を平衡に保った瞬間から
その両者が異なる半球に入り、
帯を解いていくまで、

それと同じ時間だけ、ベアトリーチェは
私を圧倒したあの点をじっと見つめながら、
微笑みに彩られた顔で沈黙した。
(432ページ) 「ラートーナの二人の子」は、ギリシア神話の女神ラートーナと、ユピテルの間に生まれた太陽神アポロンと月守ディアーナをさす。つまり太陽が牡牛座にあり、月が天秤座にあり、それが地平線上に同時にあるような季節と時間帯が示唆されている。牡羊座と天秤座は天球上で正反対の位置にある。太陽が牡羊座にあるのは春で、これが地平線に中央を横切られて昇ってくるのは午前6時ごろだそうである。

 そしてベアトリーチェは、ダンテの心中の疑問をまたもや見抜いて、その疑問に答え始める。
永遠の愛は、善をさらに獲得し増やすためではなく、
それはあり得ぬことですから、その光を反射した輝きが、
反射している中にあって「我在り」と言えるよう、

時間外の、また自らの他には何も含まぬ空間外の
永遠の状態にあって、ただ望まれたがゆえ、
新しく創造した愛の中に自らを開示されました。
(433ページ) 「永遠の愛」=神は、時空間の出現以前に永遠の状態にあって「ただ望まれたがゆえ」、つまり純粋な愛から、天使を、それぞれが個として神を愛し返すように創造した。さらに、その時に創造の「三様の成果」天使、宇宙、そして地球をも創造した。その三様の成果とは、全宇宙の頂点である至高天にいる純粋な形相「現実態」=天使、形相と質料の合成=宇宙、純粋な質料「可能態」=月天下の四元素である。

 天使は天地創造の時に、時空間外の永遠の中に、純粋な概念である形相として創造された。
その天使たちの一部があなた達の諸元素の基底を
激震させたのは、数を数えて二十にも達しない、
それほどの瞬く間のことでした。

他の天使達は残り、あなたが今見ている
この技を始めました。その喜びですが、
この方たちが決してこの輪を離れぬほどなのです。

失墜のそもそもの原因は
宇宙の全重量が集中して圧している有様をあなたが見た
あの者の呪われた高慢にありました。

ここにあなたがみているのは
あれほどの理解に達するよう彼らを創造された
かの善に自身が由来することを認めた謙虚な方々です。
(436-437ページ) 天地創造直後に天使達の一部が神に反逆した。「あなた達の諸元素の基底」とは地上世界を構成する四元素のうち、一番下にある土。ここでは大地のことをさす。そしてその反逆の中心であった堕天使ルシフェルは全宇宙の中心である地心に封じられた。その姿は、地獄を訪れたダンテが見たとおりである。

 ベアトリーチェはその後に、天使達の神を見る知性の視力は、神の恩寵によりさらに高められているが、それは、神に対してどれだけ心を開いたかで恩寵の多寡が定まる、功績への報酬だからだと説明を加え、さらに天使は人間と同様に「理解」「記憶」「意志」を持つとする学説があるが、森羅万象が現前する神をつねに見ている天使には、事物を時間的に分節して知性にしまい込む記憶は必要ないと述べた。ここでは、ダンテの時代の神学者たちが天使がどのようなものであるかをめぐって烈しく論争を続けていたことが批判的に語られているようである。(存在するかどうかわからない天使について議論するよりも、もっと先に議論すべきことがあるのではないだろうか…)

 天使の反逆を題材にした叙事詩がミルトンの『失楽園』である。天国を追われたルシフェル達は、ふたたび反撃を企て、その過程で人祖アダムとエヴァを罪に誘惑しようとする。ミルトンは、ダンテに匹敵する、あるいはそれをしのぐ叙事詩を創造しようとしたのだろうが、近年その評価はあまり高くないようである。エリック・ホッファーはミルトンがクロムウェル時代に宗教や政治問題にかかわるパンフレティーアとして労力を浪費したことを嘆いているが、最近では『失楽園』の詩人としてより、パンフレティーアとしてのミルトンを高く評価する意見の方が有力なように思われる。

 ベアトリーチェはさらに言葉を続ける…。
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