七河迦南『七つの海を照らす星』

11月12日(日)晴れ、風がやや強い

 『七つの海』といっても、太平洋・大西洋・インド洋という世界の七つの海ではない。「海岸線が入り組み、小さな岬によって区切られた小さな海、というか入り江が七つある」(71ページ)というのが名前の起こりらしい。その七海市のはずれの方にある児童養護施設「七海学園」に務める保育士・北沢春菜がこの物語の語り手である。まだ勤めて2年目で、様々な事情を抱えてこの施設で暮らす子どもたちを相手に奮闘している彼女であるが、この施設には七つの怪異が言い伝えられてきて、彼女が就職してからも不思議な出来事が起きたり、思い出されたりしている。

 小学校6年生の時に他の施設から措置変更されて移ってきた葉子という中学校2年生の少女は職員たちにも反抗的で、他の少年少女ともほとんど付き合いがないが、前の施設で何かと支えてもらっていた先輩が、ほかの施設に移された後死んで、その霊が取りついているという噂である。噂どころか、ご本人が死んだはずの先輩の姿を見かけたという。職員たちは、児童相談所の担当児童福祉司である海王さんに連絡をとってみてはどうかという。児童相談所の仕事ぶりには多少批判的な春菜であったが、海王さんがやってきて、葉子と話したことで事態は一変する。何が、葉子の心を動かしたのか…。(第1話「今は亡き星の光も」)

 問題を抱えた母親のもとから逃げ出して、ハイオクで暮らしているのを保護された浅田優姫という少女には戸籍がない。この施設に入所後、特に問題も起こさずに高校に進学し、さらに専門学校への進学を希望している。彼女が休日や長い休暇にアルバイトして稼いでためた金でその専門学校に通学し、暮らすことは難しいように思われるのだが、彼女はその点については譲らない。ある日、春菜は彼女が、思っていたよりも多額の貯金をしていることを知る。何となく不審を感じた春菜は海王さんに相談して、彼が優姫と会って話をしたことから、思いがけない真相が浮かび上がる…。(第2話「滅びの指輪」)

 学園でいいつたられてきた7つの怪異は『蘇った先輩』(→第1話)、『捕まえられない廃屋の幽霊』(→第2話)、『血文字の文子』(→第3話)、第4話『非常階段で消えた幻の新入生』(→第4話)、『開かずの門の浮姫』(→第5話)、『トンネルで囁く暗闇の天使』(→第6話)で、第7番目は「誰も知らない謎、不思議そのものが隠されている、なんだかわからないこと自体が謎」というものである。読み進むにつれて、それぞれの物語が解決しているようで、なぞが残った展開になっている。春菜が大学時代からの親友である佳音(かのん)に海王さんのまねをしていったように「いつも全部の謎が解けるとは限らない。不思議なことは不思議のまま残しておいてもいいんじゃない?」(166ページ) しかし、なぞは実は連鎖していて、最後に思いがけない事実が明らかになる。

 この物語は、若い保育士である春菜の成長物語であるとともに、第3話から登場する(実はもっと前から登場しているのかもしれない)佳音ちゃんと春菜との友情の物語でもある。児童福祉施設という様々な問題を抱えた子どもたちの施設が舞台であるから、社会派のミステリーかというと、むしろそれぞれの子どもたちの心の傷にかかわる心理的なミステリーという方がふさわしい。それでも、児童福祉施設の種類やそれぞれの役割、児童福祉をめぐる法律など、最近の変化を含めて詳しく説明されているので、ミステリーの展開にハラハラしながらも、福祉関係の勉強ができるという側面もある。

 物語の最後の方で、佳音がこんなことをいう。ここで起きたことを「さしさわりのないようにあちこち手直ししながら纏めて、フィクションとして本にできたらいいな、…でももしそんな機会があったら、ペンネームはローマ字回文にしたいな。そうしたら冒頭どころか表紙に載るもんね。『最大の伏線は本を開く前から読者の目の前に!』とかってコピーができるわよ」(389ページ) 七河迦南をローマ字で書くと、Nanakawakananである。とすると、この本は、春菜が語っていると見せて、佳音が書いているのか…という謎もはらんでいるのである。 

森谷明子『花野に眠る 秋葉図書館の四季』

11月9日(木)晴れ

 森谷明子『花野に眠る 秋葉図書館の四季』(創元推理文庫)は、一昨日(11月7日)に紹介した『れんげ野原のまんなかで』に続く秋葉図書館シリーズ第2作である。

 もともとはススキ野原の中にあった秋庭市立秋葉図書館(なぜこのようなややこしい名称になったのかについての経緯は、前編『れんげ野原』の14~15ページをご覧ください)であるが、図書館を取り巻く広大な土地の持ち主である秋葉武蔵氏の意向で、ススキの代わりにれんげが植えられ、一面のれんげ野原が地元の話題になったりした。しかし、「レンゲ自体は作物ではない。観賞用でもない。レンゲソウは最初から土に返されるためだけに、水田となる土地に植えられる。正確にはレンゲの根に付着している根粒菌ともども肥料にするために」(『れんげ野原』、291ページ)ということで、この野原も(全部ではないが)掘り返されて、もう少し先の話だが、田んぼになるらしい。

 時の経過とともに、第1作では駆け出しの新人だった司書今居文子の仕事ぶりも板についてきた。その文子に地元の保育園で子どもたちにブックトークをするという仕事があたえられる。考えた末に馬に関係する絵本を選んで話をすることになるが、図書館にちょっと気になる男の子がやってきて、彼女が選びだした本に興味を示す。この男の子が実は…というのが第1話「穀雨」。
 それでいよいよブックトークをすることになるのが第2話「芒種」。その書き出しが面白い:
「図書館員は、本が好きである。
 これは、ほぼ正しい。
 図書館員は、児童書が好きである。
 こちらも、かなりの確率で正しいといえるだろう。
 ・・・
 ただし。
 児童書を愛する図書館員が、だからといって子どもが好きかというと、これは必ずしもそうではないのである。」(93ページ)

 文子がブックトークをすることになったのも、先輩司書の能勢さんは自分の子ども以外の子どもは苦手、日野さんも子どもは苦手で、若い文子をおだててこの仕事を押し付けたということもありそうだ。もっとも、第1話に出てくる少年は、能勢さんも日野さんもとっつきにくいと感じたが、文子には親しみを感じている。本人はどう考えているかは別として、子どもの方の都合も考えなければいけない。〔なお、私も本は好きで、児童書は好きだが、子どもはそれほど好きではない。〕

 ブックトークは幸い、うまくいったのだが、その後でちょっと困った事態が生じる。園長先生に給食を食べていきなさいと言われるが「子ども(特に集団)が苦手な文子は、さっきの子どもたちに囲まれてスパゲティナポリタンを食べるのは、実のところありがたくない。しかも今日は、勤務する秋葉図書館とは駅を挟んで反対側の保育園に来たのである。日野の言葉に従って、帰りは駅近くで何か昼食を取って帰ろうと、楽しみにしていたのだ。」(99ページ) 何とか断ろうとするが、その結果、園長先生に図書館まで自動車で送られるという事態を招く。
 実は、似たような経験が私にもあって、郊外の大学で教えていた時に、受け持ちの学生が中心部の学校で教育実習をしているので、授業参観に出かけたら、給食をどうぞと言われた。こちらは、どこか中心部の店で昼食をとろうと楽しみにしていたので、辞退したのだが、学生までもが先生、一緒に食べていってくださいというので致し方なく、一緒に食事をした。その後で、その先生が児童相手に歯の磨き方の指導をしたのだが、古い磨き方であったことまで覚えている。いま、考えてみると、その先生(教諭ではなくて、講師であった)にも同情すべきところはあったが、気の利かない人だと腹立たしく思ったものである。

 文子を送りついでに園長先生はお礼の印として、この土地の名物であり到来物の百合落雁(架空のお菓子である)を置いていく。ところが、このお菓子が騒動を引き起こす。もともと手土産として作られたものだが、あちこち使いまわされることが多い。ただし、うっかり使いまわすととんでもない事態に立ち至るというわけである。そして、この落雁の箱の1つから、剣花菱の文様を刻した四角印が出てくる。文子たちは気づかないが、この印は第1話で少年が、絵を教わった老女からもらったものである。
 第2話の終わりで、この地方を季節外れの台風が襲い、秋葉家の裏庭に土砂崩れが起き、土砂を片付けていると、その中から白骨が出てくる。

 この白骨が誰のものか、また剣花菱の印がどのような来歴をもっているかをめぐり、物語が進み、そして秋葉家とその周辺で起きた出来事が次第にはっきりした輪郭をとることになる。そして百合落雁の来歴も明らかになり、第1作で、秋葉武蔵さんが見たという雪女の謎も解けていく・・・ 第1作で描かれていた寺田先生の昔の恋人への想いも、新たな展開を見る・・・。

 ほんわかした舞台設定ではあるが、その中で進行する人間劇はかなり深刻なものがある。秋葉さん夫婦は(おそらく様々な波乱を経て)円満な様子だが、その息子夫婦はうまくいかず、秋庭さんにとっては孫にあたる一人息子を離婚後どちらが引き取るかでもめている。そのほかにも、嫁姑の孫息子の取り合いなどの挿話もあるが、もっとも深刻な劇はやはり白骨と消えてしまった秋葉神社に関係するものであろう・・・。

 「解説」で青井夏海さんが書いているように「物語は一話進むごとにどんどん謎をふくらませていきます。一話完結と見せかけてちっとも完結しない、謎が解けて終わるのではなくさらなる謎を生んでて展開していく連作集」(345ページ)であり、そうはいっても、第2作で謎のかなりの部分が解けているようにも思われるので、これで完結したものとなるのか、新たなる展開があるのかという不安半分、期待半分の気持ちが読後に残るのである。 

森谷明子『れんげ野原のまんなかで』

11月7日(火)晴れ

 11月5日、森谷明子『花野に眠る 秋葉図書館の四季』(創元推理文庫)を読み、11月6日、同じ著者の『れんげ野原のまんなかで』(創元推理文庫)を読み終えた。関東地方の小都市の外れの方に立つ図書館を舞台にした連作シリーズで、『れんげ野原のまんなかで』が第1作、『花野に眠る』が第2作、この順序で購入したのだが、なぜか第2作の方を買ってすぐにすらすらと読んでしまい、慌てて第1作を読むことになったという次第。

 大学を出たての司書である今居文子は、ススキが生い茂る野原のまんなかに立てられた秋庭市立秋葉図書館に勤務することになる。予算不足に悩む弱小地方都市の秋庭市の頓挫しかけた図書館分館設置計画を土地の有力者である秋葉氏が土地を寄付することで実現を見たことから、このような紛らわしい名称がつくことになったという経緯がある。図書館には館長の他に、若白髪の男性能勢と女性の日野という2人のベテラン司書がいて、新人教育という名のもとに、彼女に本を読ませたり、講演会を聴きにいかせたりしてしごいている。

 土地が提供されたから建てられたというだけの図書館であるから利用者はまばら、暇なことこの上ない。しかし、奇妙なことに地元の小学生たちが閉館後も居残るために、あの手この手で図書館員たちの裏を書こうとしているらしい。それどころか、へんてこな忘れ物をしたり、図書館をめぐる奇怪なうわさが広がったりしている。文子はかねてからその博識ぶりを崇拝している能勢の力を借りて、小学生たちの企みをつきとめようとするが…というのが第1話「霜降――花薄(はなすすき)」である。この物語の最後で、秋葉さんがススキを刈り取って、れんげの花の種を蒔くといいだす。

 図書館に足しげく通ってくるツイードのジャケットと、それに合わせたようなハンチング帽の老紳士は、実は日野が大学で図書館学を教わった先生で、退職後、郷里である秋庭に戻ったことから、この図書館を利用するようになったのだそうである。一方、市内循環福祉バスを利用して週に1度だけやって来る病身の老婦人がいる。元文学少女だったという彼女は古寺を題材にした写真集が気に入っているようである。ところが図書館の洋書絵本のコーナーに異変が起きた。本が配架されていたのとは違う順序に並べられていたのである。これはなにかの暗号か、それともただのいたずらか…というのが第2話「冬至――銀杏黄葉」。事件の展開と結末は伏せておくが、最後の方で文子が言う「ほのぼのしてくる話だと思っていたけど、実人生はほのぼのなんていうことではすまなかったんですねえ」という感想が、この本の中で展開される物語の雰囲気を要約しているように思う。

 主人公といってよいのは文子で、彼女が図書館員として成長し、それとともに地元に溶け込んでいく過程での出来事が描かれているのだが、地方都市の表面上はのんびりした図書館の四季の移り変わりの中で起きる事件の探偵役となるのは主に能勢さんである。彼らが出会う出来事が、この後第5話まで語られているのだが、第4話では大雪の日に雪女を見たという秋葉さんの思い出が語られたり(どうもそれが秋葉家の家庭の秘密と関係するらしい…)、第5話では秋葉さんがまいたれんげの種が見事に花を咲かせて、地元の話題になったりする。実はその野原にも過去に起きた事件の痕跡が埋まっているかもしれない…。れんげ野原の取材をした記者と文子の間にロマンスが生まれるかに思われるのだが、ずっと秘められている文子の(妻子持ちの)能勢への想いの方が強いようにも思われる…。

 秋葉図書館の具体的なモデルはないと「あとがき」で著者は述べている。著者が過去に勤務した(その経験が作品のあちこちで行かされている)図書館や、利用した図書館のさまざまな思い出をより合わせて作り出されたのだという。「秋葉図書館ほどののんびりほのぼの図書館は、現実にはないでしょう」(310ページ)とも書いている。つまり、秋葉図書館は過去の存在として著者に意識されているようであり、この物語のかなりの部分が、過去からさらに回想される大過去の物語として展開されていることになる。

 大学時代のサークルの仲間の下馬評では、私は図書館学を専攻するものと見られていて、将来は国立国会図書館長だなどと噂されていたようである(図書館学の専門家が図書館長になるのはむしろまれである)。結局、図書館学とは別の領域を専攻したが、職場で図書館委員の類を務めることが多く、図書館とは腐れ縁が続いたので、この小説は余計な興味をもちながら読むことになった。それで、アジア系の言語に強いという先輩司書の日野さんがタイのチュラロンコーン大学図書館蔵日本語図書目録を九か旅行の際に持ち帰ったというくだりを読んで、チュラロンコーンはタイ随一の名門大学であるから、もっとマイナーな大学を引き合いに出した方が面白かったのではないかとか、日野さんの恩師の寺田先生がホームズみたいなツイードのハンチング帽をかぶっているという記述について、ホームズが被っているのはディアストーカーではないかとか、いや森谷さんはそんなことはご承知で、コナン・ドイルは本文中にはディアストーカーとは一言も書かず、ホームズにこの帽子をかぶせたのは挿絵画家のシドニー・パジェットであったということを踏まえて、ハンチングと書いているのかなとか、そんなことばかり考えて楽しんでいたのであった。

 ほんわかした物語の外見をなぞっても、その奥に潜む何かしら不気味なものに目を向けても、あるいは物語の細部にこだわっても、それぞれの楽しさを与えてくれる書物である。(近いうちに『花野に眠る』の方も取り上げるつもりである。) 

ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿 2 貴族屋敷の嘘つきなお茶会』

10月2日(月)曇り

 10月1日、ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿2 貴族屋敷の嘘つきなお茶会』(原書房:コージーブックス)を読み終える。原題は”Arsenic for Tea"(お茶にヒ素を)で、これだけで殺人事件が起きていることが分かる。

 イングランドにあるディープディーン女子寄宿学校の生徒で、貴族の令嬢であるデイジー・ウェルズと、香港からこの学校に入学してきたヘイゼル・ウォンは意気投合して、2人だけの探偵倶楽部をつくる。会長はデイジー、副会長兼会長秘書がヘイぜルである。2人は学園内で起きた連続殺人事件を捜査し、そして思いがけない犯人を突き止める…。というのが第1作の大まかな紹介。

 第1作に記録された事件の翌年、第1作の最後の方でもヘイゼルはクリスマス休暇に招待されていたはずだが、今回のイースター休暇中も、デイジーの誕生日を祝うため、彼女の両親の住むフォーリンフォード邸に招待される。時は1930年代、アガサ・クリスティや、この作品中にその名が言及されているドロシー・セイヤーズが活躍していた、ミステリーの黄金時代である。その一方で世界的な不況や、社会構造の変化を反映して、代々の貴族といっても、その生活は次第に苦しくなってきており、屋敷の修理保全もままならない状態である。場所は、どこかの都市の郊外。自然が豊かに残っているが、ひとたび大雨が降ったりすると、交通が途絶したりして大変なことになる。

 デイジーの誕生日を祝うために集まっているのは、この屋敷の主人であるデイジーの父ヘイスティングス卿=ジョージ・ウェルズ、母親であるヘイスティングス卿夫人=マーガレット・ウェルズ、デイジーの兄アルバート(通称バーティ)、その学友のスティーヴン・バンプトン、休み中デイジー(とヘイゼル)の勉強を見るために雇われた家庭教師のミス・アルストン、そのほか、デイジーたちと寄宿学校の寮で同室のキティとビーニーがやって来ることになっている。
 ところがそのほかに、ヘイスティングス卿夫人の「友人」であるデニス・カーティスという男性、ヘイスティングス卿のおばのサスキア・ウェルズという老婦人、ヘイスティングス卿夫人の兄のフェリックス・マウントフィチェットという3人の大人たちが押しかけてくる。

 その夜の夕食は賑やかになった。フェリックスは上機嫌でバーティやスティーヴンと冗談を言い合っていたが、時々列席者の様子をうかがうようだった。サスキアおばさまは、食器類など目についた金目のものを自分のバッグにしまい込んでいた。骨董品の専門家だというカーティス氏はこの邸宅にある美術品や調度品の大部分が価値のないものだという話をしていた。そういうカーティス氏にヘイスティングス卿夫人はぼーっとなって見とれていた。

 夕食後、デイジーはカーティス氏には不審なところがあるといい、彼の様子を見張ろうと言い出す。2人が書斎のカーテンの影に隠れてみている前で、カーティス氏とヘイスティングス卿夫人はキスをしあっていた。その後、カーティス氏と顔を合わせたフェリックスは、彼がどこで古美術の知識を得て、経験を積んだのか質問するが、カーティス氏は答えない。

 翌日は、デイジーの誕生日である。朝、ヘイスティングス卿とカーティス氏が屋外で話しており、ヘイスティングス卿はカーティス氏に邸を立ち去るようにいうが、その後もカーティス氏は汽車の時間がどうとか言って、厚かましくい続けようとする。邸のあちこちに鼠が出没するようで、殺鼠剤の話題が出たり、会話の中でバーティがカーティス氏を鼠になぞらえたりする。カーティス氏は平気で屋敷の中の美術品の品定めをしている。午前中、さらに彼はフェリックス、さらにミス・アルストンと会話を交わした。
 昼食後、カーティス氏とヘイスティング卿夫人が話しているが、どうも駆け落ちの相談のようである。(物語の語り手であるヘイゼルがそこまで感づいているかどうかはわからないが、会話の断片を拾うとそういうことになる。)
 そしていよいよ、デイジーの誕生日を祝う「正しい子どものお茶会」が開かれる。大人も子どももお茶やお菓子に群がるが…突然、カーティス氏が咳をはじめ、倒れて寝室に運び込まれた。大雨の中かろうじてやってきた医師は、赤痢だというが、フェリックスは納得しない様子である。それを聞いていたデイジーは医学事典を調べて、ヒ素中毒が赤痢と間違えられやすいという記事を見付ける。カーティス氏はヒ素で殺されたのだ。だが、誰が、何のために…。

 疑っていけばきりがなさそうな、一癖も二癖もありそうな人物がそろっていて、怪しげな言動を繰り返すので、謎は次第に深まっていく。カーティス氏には恨まれるだけの理由はありそうだ。犯人はその時、屋敷の中にいた人物らしい。折悪しく、大雨による屋敷の孤立という状況は極めて危険である。デイジーには、その犯人が自分の身内のものであってほしくないという当然の気持ちがある。その中で、今回はデイジーとヘイゼルに加えて、キティーとビーニーが「臨時に」少女探偵団に加わり、捜査を進めていく…。

 英国の推理小説全盛時代に物語が設定されている(かなりいい度胸である)わけであるが、そのせいかドロシー・セイヤーズばりに進行がゆったりしていて、なかなか結末に行き着かない。こういう点はむしろアガサ・クリスティを学んでほしかったなと思うのが、正直な感想である。とはいえ、多少類型化されているとは言うものの、登場人物の描き分けはなかなかの技量を見せている。特にいつもドラマのヒロインでありたいと思い続けているが、実際はコミック・リリーフといった方がいいヘイスティングス卿夫人と、犯人だと疑われそうなことばかりしているヘイスティングス卿の組み合わせが面白い。
 

山本巧次『阪堺電車177号の追憶』

9月29日(金)晴れ、気温上昇

 9月27日、山本巧次『阪堺電車177号の追憶』(ハヤカワ文庫)を読み終える。阪堺電車はその名のごとく大阪市と堺市をつないで大阪市の南の方を走っている私鉄電車で、一部区間が路面電車として運行している。昭和8年(1933)に最新鋭のモ161形電車の1台として運行を始めた177号が、平成29年(2017)に廃車になることになって、過去に自分の周囲で起きた事件をふりかえるという構成になっている。(モ161形電車は17両造られ、したがって177号がこの形では一番新しいことになる。)
 6章からなるこの物語の各章は、それぞれ独立した短編小説としても読めるのだが、177号とその他の阪堺電車の運行がかろうじてそれぞれの話をつないでいる。それに、この電車が本線試運転した時の運転士であり、最初の営業運転も担当した井ノ口という運転士の一家と、その最初の営業運転の時に乗ってきた赤ん坊を抱いた若い夫婦の一家が、177号と浅くない因縁をもって物語のあちこちに顔を出す。

 第1章「二階の手拭い――昭和8年4月――」は、177号が最新鋭の電車として走っていたころの話。阪堺線の車掌の1人が沿線の質屋の二階の欄干に干してある手拭いに不審を感じたことから、物語が始まる。手拭いがずっと干してあることが不思議なのに、ある日、その手拭いの柄が変わったかと思うと、一人の男が電車から降りて、質屋に入っていった…。車掌の機転と、彼の通報を受けた井ノ口のそれ以上の機転とで事件は一件落着かと思うと、さらにその先があって…。

 第2章「防空壕に入らない女――昭和20年6月――」は、太平洋戦争末期の話。井ノ口は既に退職している。乗務員の多くが兵隊にとられたために、動員を受けた女学校の生徒だった井ノ口の娘の雛子が運転士として勤めている。父親から演技のええ電車だと聞かされていた177号を運転している時に、空襲に会う。乗客とともに、近くの防空壕に退避したのだが、一人だけ防空壕から逃げ出した若い女性(北田信子)がいた。ひとりにしておくわけにもいかないと、雛子が一緒に逃げて、事情を聴くと、彼女は幼いころに住んでいた近所の洞窟で遊んでいるうちに、洞窟が崩れて、一緒に遊んでいた子どもが生き埋めになったらしいという記憶を引きずっているという… 雛子は信子の思い出が何故か気になる…。

 第3章「財布とコロッケ――昭和34年9月――」は、戦後の復興も進んで、阪堺電車にも新型が登場し、177号も旧型になってしまった頃のお話。天王寺駅前の食堂にコックとして勤める榎本章一はコロッケつくりには自信のある若者で、時々電車の中で一緒になる若い女性(寺内奈津子)に恋心を抱く。ある日、177号の車内で奈津子が財布を落としたのを拾おうとすると、先に小学生が拾って、そのまま姿を消してしまう。奈津子にこの次第を話した章一は、2人で小学生を捕まえて、事情を聴くことにする…。少し先回りをすると、章一と奈津子は結婚して、洋食屋を開業し、コロッケのおいしい店として評判を呼ぶことになる。そして小学生(池山典郎)は、阪堺電車の車掌となり、井ノ口や雛子にかわいがられることになる。

 第4章「二十五年目の再会――昭和45年5月――」は大阪で万博が開かれていたころの話。177号の述懐によれば「大阪が一番賑やかやったんは、やっぱりあのときかなあ」(133ページ)という。ちなみに、この頃私は大阪で働いていて、主な活動範囲はキタだったが、天王寺近くのスタジオで仕事をしたこともあって、阪堺電車を見たこともある。題名の通り、雛子が25年ぶりに信子を見かけて話しかける。信子は結婚したが、夫が事故で死んだという。雛子は177号電車を見付けて、住吉神社にお参りするという信子をつれ、177号電車に乗り込む(この電車の車掌が典郎である)。実は、信子には、雛子にも言わない(あるいは雛子も気づいていたかもしれない)大きな秘密があった…。

 第5章「宴の終わりは幽霊電車――平成3年5月――」はバブル景気の時代がそろそろ終わりかけてきたころの話。阿部ののホテルで働くホステスのアユミは、この店の常連客の1人がかつて彼女の実家のクリーニング屋を破産に追い込んだ不動産屋であることに気付く。姉貴分のマキ、不動産屋の相手をしていたホステスの1人であるナツキと話すうち、不動産屋が買おうとしている土地にあるたこ焼き屋をマキが知っているということが分かり、3人でたこ焼き屋に出かけ、その土地と建物を不動産屋が買おうとして、どうしても首を縦に振らないたこ焼き屋に嫌がらせをしていることを知る。3人は力を合わせ、不動産屋をとっちめようと計画する。実はアユミだけでなく、マキもナツキもそれぞれの過去を抱えていたのである(マキはこれまでに登場した誰かの縁者である。ナツキについては作者は余韻を残した書き方をしている)。悪役の不動産屋が乗った電車(もちろん177号)の中で夢を見てうなされ、起こされた時に、運転士が通報した助役が典郎であった。

 第6章「鉄チャンとパパラッチのポルカ――平成24年7月――」は雛子の孫(井ノ口の曽孫)で東京の大学に通っている永野幸平が登場し、大の鉄道好きである彼が161形の電車の写真をとろうとしていたところ、近くのマンションに住む男の部屋を人気の女子アナウンサーが訪問するという情報をつかんだパパラッチ(余計な話だが、パパラッチは複数形で、1人の場合はパパラッツォである)に遭遇し、さらにまた…という話。雛子が幸平を連れて向かう洋食屋は第3章に登場した章一の店「榎亭」であり、不思議にも177号電車に乗ることになる。このほか、これまでの話のその後がいくつか語られている。

 さらに「エピローグ」で、177号電車のその後が語られ、最初の営業運転の時の赤ん坊が章一であったことが分かる。助役まで務めた典郎は既に退職しているが元気で、一家と177号電車の結びつきは新しい形で続きそうである。

 177号の周囲で日常の謎というには深刻だが、強盗殺人まではいかないという事件が展開する。警察の出番もあるが、むしろ市民の日常的な知恵が事件を解決する力となっている。それぞれの章に登場する人物が、関係しあったり、しあっていなかったりで、電車が繋ぐ人間の縁の深浅と不思議さを描いている。もうひとつ、この物語の進行のなかで阪堺電車の沿線の住吉神社の存在が見え隠れしているのが見落とせない。実は、私は一宮めぐりの一環で住吉神社を参拝したことがあって、その際に利用したのは南海電車だったのだが、神社に向かう途中で阪堺電車を見かけて乗りたいなぁと思ったことを思い出す。路面電車に対する愛着と、その中でも特に阪堺電車への興味がこの小説を読んだそもそものきっかけである。特に面白いのは第5章であるが、そこで悪役の不動産屋が路面電車には一種の郷愁をもつ存在として描かれていて(だからこそ、幽霊電車の夢を見たのかもしれないが)、「罪を憎んで人を憎まず」的な作者の思いが込められているのかなと思ったりした。
プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR