円居挽『日曜は憧れの国』

11月16日(木)晴れ、雲が多くなってきた。

 11月4日、円居挽『その絆は対角線』(創元推理文庫)を、15日に同じ著者の『日曜は憧れの国』(創元推理文庫)を読む。四谷のカルチャーセンターで一緒になった4人の中学校2年生を主人公とするシリーズの第1作と第2作で、森谷明子さんの<秋葉図書館>シリーズと同様に、2作の方を1作よりも前に読んでしまった。ただし、こちらのシリーズの場合、どちらをさきに読んでも内容の理解に影響するところは少ないと思う。

 番町に住む比較的裕福な家庭の娘である暮志田千鶴はカトリックの女子校である倉瓜学園に通う中学2年の少女である。学校の成績は中ぐらい、引っ込み思案の事なかれ主義者で、この学校に通っているのも両親に従った結果である。家付き娘で自分に都合の悪いことは絶対に記憶しないという母親の姫子に何か特技を身に着けるようにと言われて、四谷文化センターの特別料理センターに出かけることになる。姫子は料理が出来ず、お手伝いさん任せにしているのに、料理の苦手な千鶴に料理を身に着けさせようとしているのは相当に勝手な思い付きである。

 四谷文化センターではトライアル5コースといって、5枚つづりのチケットを使って1回ずつ希望する教室に出席できる制度があり、その1枚分を使って特別料理教室に参加することになる。そこで、遅れてやってきた先崎桃という同じ中2の生徒に出会う。彼女は近所の公立中学校に通っているといい、明るく子どもっぽい感じである。教室に入ると、広いおでこと赤いフレームのメガネが印象的な、お調子者っぽい雰囲気の神原真紀という女の子に出会う。彼女も中2で(後でわかることだが)誠山学園大学付属中等部に通っている。4人1班のもう一人は背が高くてスタイルがよく、千鶴が憧れていた進学校の娘心館の制服を着ている。他の3人が高校生と間違えた彼女は、三方公子と言い、やはり中2で、宝塚の男役のような口の利き方をする。学年が同じというだけで、学校は違い、それと微妙に対応して家庭環境も違うらしい4人ではあるが、講師から課題を与えられ、不思議なやり方でカレーライスをつくりながら、次第に打ち解けていく。
 ところが、料理が完成して、試食という段階で教室内で盗難事件が発生し、講師の先生が被害者をなだめて一件落着したように見えたが、4人はどうも納得がいかない。それぞれが意見を出し合って、真相を推理する…。というのが第1話、「レフトオーバーズ」。(leftoverには「残り物」という意味がある。)

 意気投合というわけではないが、なぜか離れられない気持ちになった4人は、残る4枚のチケットを使ってみんなで同じコースに出席することにした。2枚目は真紀の希望で将棋教室に出席するために使うことにする。ここで、講師の先生の孫だという小学校5年生の少女と、4人は多面指しで対局することになるが、桃が思いがけない行動に出る…というのが第2話「一歩千金、二歩厳禁」である。
 第3話「維新伝心」では、舞の希望で江戸幕府がなぜ崩壊したかを考える歴史教室に参加していた4人であるが、話の途中で講師が倒れる。この教室への参加を呼び掛けるポスターと、講師の話の内容の違いに納得がいかなかった4人は、2組に分かれて情報を集め、そして、カルチャーセンターの内部の事情を覗くことになる…。
 第4話「幾たびもリグレット」は、公子の希望で人気作家・奥石衣の小説講座に参加することになる。この講座では、ある物語が示され、これに結末を与えろという課題が出されるのだが、ほかの3人はどうやら結末を考えたのに、公子はこれはという回答を与えることができない…。
 第5話「いきなりは描けない」は、残る1枚のチケットのしようが問題になるが、それを考えている4人の手元に、不思議な絵画が迷い込む。誰が、いったい…。

 一応、「日常の謎」を解いていくミステリーという形式をとるが、カルチャーセンターに学校も家庭環境も違う4人の女子中学生が通い、知り合うという設定は相当に作為的である。そして、その多少奇妙でぎくしゃくした設定の中で、4人がそれぞれを理解し、自分を理解して、少しずつ成長していく姿を描くというのが物語の真の狙いであろう。作家志望の公子は別にして、ほかの3人はまだ自分の進路をはっきりとは決めていない。進学塾で優秀な成績を上げていたのに、家庭に負担をかけたくないとやめてしまったことで家族を失望させた舞の過去の決断の話、好きで選んだ道を歩いているつもりで袋小路に向かっているような人生を送りたくないという真紀の悩みなど、5枚のチケットを使ってもまだ、4人が一緒になって考えるべき問題は残っているようである。

 円居挽というのは筆名であろうが、作者は1983年生まれで京都大学の卒業生だそうで、私の40年(まではいかないが)ほど後輩にあたる。なぜ、こんなことを書いたのかというと、京都大学の近く、百万遍の西南角の辺りに、円居(初めは梵凡といったはずである)というグリルと称していたが、レストランと洋食屋の間のような店があって、よく昼食や夕食に出かけたことを思い出す。あるいは、作者の時代にもこの店は残っていた、さらに、現在でも残っているのであろうか、機会があれば確かめてみたいものである。

七河迦南『七つの海を照らす星』

11月12日(日)晴れ、風がやや強い

 『七つの海』といっても、太平洋・大西洋・インド洋という世界の七つの海ではない。「海岸線が入り組み、小さな岬によって区切られた小さな海、というか入り江が七つある」(71ページ)というのが名前の起こりらしい。その七海市のはずれの方にある児童養護施設「七海学園」に務める保育士・北沢春菜がこの物語の語り手である。まだ勤めて2年目で、様々な事情を抱えてこの施設で暮らす子どもたちを相手に奮闘している彼女であるが、この施設には七つの怪異が言い伝えられてきて、彼女が就職してからも不思議な出来事が起きたり、思い出されたりしている。

 小学校6年生の時に他の施設から措置変更されて移ってきた葉子という中学校2年生の少女は職員たちにも反抗的で、他の少年少女ともほとんど付き合いがないが、前の施設で何かと支えてもらっていた先輩が、ほかの施設に移された後死んで、その霊が取りついているという噂である。噂どころか、ご本人が死んだはずの先輩の姿を見かけたという。職員たちは、児童相談所の担当児童福祉司である海王さんに連絡をとってみてはどうかという。児童相談所の仕事ぶりには多少批判的な春菜であったが、海王さんがやってきて、葉子と話したことで事態は一変する。何が、葉子の心を動かしたのか…。(第1話「今は亡き星の光も」)

 問題を抱えた母親のもとから逃げ出して、ハイオクで暮らしているのを保護された浅田優姫という少女には戸籍がない。この施設に入所後、特に問題も起こさずに高校に進学し、さらに専門学校への進学を希望している。彼女が休日や長い休暇にアルバイトして稼いでためた金でその専門学校に通学し、暮らすことは難しいように思われるのだが、彼女はその点については譲らない。ある日、春菜は彼女が、思っていたよりも多額の貯金をしていることを知る。何となく不審を感じた春菜は海王さんに相談して、彼が優姫と会って話をしたことから、思いがけない真相が浮かび上がる…。(第2話「滅びの指輪」)

 学園でいいつたられてきた7つの怪異は『蘇った先輩』(→第1話)、『捕まえられない廃屋の幽霊』(→第2話)、『血文字の文子』(→第3話)、第4話『非常階段で消えた幻の新入生』(→第4話)、『開かずの門の浮姫』(→第5話)、『トンネルで囁く暗闇の天使』(→第6話)で、第7番目は「誰も知らない謎、不思議そのものが隠されている、なんだかわからないこと自体が謎」というものである。読み進むにつれて、それぞれの物語が解決しているようで、なぞが残った展開になっている。春菜が大学時代からの親友である佳音(かのん)に海王さんのまねをしていったように「いつも全部の謎が解けるとは限らない。不思議なことは不思議のまま残しておいてもいいんじゃない?」(166ページ) しかし、なぞは実は連鎖していて、最後に思いがけない事実が明らかになる。

 この物語は、若い保育士である春菜の成長物語であるとともに、第3話から登場する(実はもっと前から登場しているのかもしれない)佳音ちゃんと春菜との友情の物語でもある。児童福祉施設という様々な問題を抱えた子どもたちの施設が舞台であるから、社会派のミステリーかというと、むしろそれぞれの子どもたちの心の傷にかかわる心理的なミステリーという方がふさわしい。それでも、児童福祉施設の種類やそれぞれの役割、児童福祉をめぐる法律など、最近の変化を含めて詳しく説明されているので、ミステリーの展開にハラハラしながらも、福祉関係の勉強ができるという側面もある。

 物語の最後の方で、佳音がこんなことをいう。ここで起きたことを「さしさわりのないようにあちこち手直ししながら纏めて、フィクションとして本にできたらいいな、…でももしそんな機会があったら、ペンネームはローマ字回文にしたいな。そうしたら冒頭どころか表紙に載るもんね。『最大の伏線は本を開く前から読者の目の前に!』とかってコピーができるわよ」(389ページ) 七河迦南をローマ字で書くと、Nanakawakananである。とすると、この本は、春菜が語っていると見せて、佳音が書いているのか…という謎もはらんでいるのである。 

森谷明子『花野に眠る 秋葉図書館の四季』

11月9日(木)晴れ

 森谷明子『花野に眠る 秋葉図書館の四季』(創元推理文庫)は、一昨日(11月7日)に紹介した『れんげ野原のまんなかで』に続く秋葉図書館シリーズ第2作である。

 もともとはススキ野原の中にあった秋庭市立秋葉図書館(なぜこのようなややこしい名称になったのかについての経緯は、前編『れんげ野原』の14~15ページをご覧ください)であるが、図書館を取り巻く広大な土地の持ち主である秋葉武蔵氏の意向で、ススキの代わりにれんげが植えられ、一面のれんげ野原が地元の話題になったりした。しかし、「レンゲ自体は作物ではない。観賞用でもない。レンゲソウは最初から土に返されるためだけに、水田となる土地に植えられる。正確にはレンゲの根に付着している根粒菌ともども肥料にするために」(『れんげ野原』、291ページ)ということで、この野原も(全部ではないが)掘り返されて、もう少し先の話だが、田んぼになるらしい。

 時の経過とともに、第1作では駆け出しの新人だった司書今居文子の仕事ぶりも板についてきた。その文子に地元の保育園で子どもたちにブックトークをするという仕事があたえられる。考えた末に馬に関係する絵本を選んで話をすることになるが、図書館にちょっと気になる男の子がやってきて、彼女が選びだした本に興味を示す。この男の子が実は…というのが第1話「穀雨」。
 それでいよいよブックトークをすることになるのが第2話「芒種」。その書き出しが面白い:
「図書館員は、本が好きである。
 これは、ほぼ正しい。
 図書館員は、児童書が好きである。
 こちらも、かなりの確率で正しいといえるだろう。
 ・・・
 ただし。
 児童書を愛する図書館員が、だからといって子どもが好きかというと、これは必ずしもそうではないのである。」(93ページ)

 文子がブックトークをすることになったのも、先輩司書の能勢さんは自分の子ども以外の子どもは苦手、日野さんも子どもは苦手で、若い文子をおだててこの仕事を押し付けたということもありそうだ。もっとも、第1話に出てくる少年は、能勢さんも日野さんもとっつきにくいと感じたが、文子には親しみを感じている。本人はどう考えているかは別として、子どもの方の都合も考えなければいけない。〔なお、私も本は好きで、児童書は好きだが、子どもはそれほど好きではない。〕

 ブックトークは幸い、うまくいったのだが、その後でちょっと困った事態が生じる。園長先生に給食を食べていきなさいと言われるが「子ども(特に集団)が苦手な文子は、さっきの子どもたちに囲まれてスパゲティナポリタンを食べるのは、実のところありがたくない。しかも今日は、勤務する秋葉図書館とは駅を挟んで反対側の保育園に来たのである。日野の言葉に従って、帰りは駅近くで何か昼食を取って帰ろうと、楽しみにしていたのだ。」(99ページ) 何とか断ろうとするが、その結果、園長先生に図書館まで自動車で送られるという事態を招く。
 実は、似たような経験が私にもあって、郊外の大学で教えていた時に、受け持ちの学生が中心部の学校で教育実習をしているので、授業参観に出かけたら、給食をどうぞと言われた。こちらは、どこか中心部の店で昼食をとろうと楽しみにしていたので、辞退したのだが、学生までもが先生、一緒に食べていってくださいというので致し方なく、一緒に食事をした。その後で、その先生が児童相手に歯の磨き方の指導をしたのだが、古い磨き方であったことまで覚えている。いま、考えてみると、その先生(教諭ではなくて、講師であった)にも同情すべきところはあったが、気の利かない人だと腹立たしく思ったものである。

 文子を送りついでに園長先生はお礼の印として、この土地の名物であり到来物の百合落雁(架空のお菓子である)を置いていく。ところが、このお菓子が騒動を引き起こす。もともと手土産として作られたものだが、あちこち使いまわされることが多い。ただし、うっかり使いまわすととんでもない事態に立ち至るというわけである。そして、この落雁の箱の1つから、剣花菱の文様を刻した四角印が出てくる。文子たちは気づかないが、この印は第1話で少年が、絵を教わった老女からもらったものである。
 第2話の終わりで、この地方を季節外れの台風が襲い、秋葉家の裏庭に土砂崩れが起き、土砂を片付けていると、その中から白骨が出てくる。

 この白骨が誰のものか、また剣花菱の印がどのような来歴をもっているかをめぐり、物語が進み、そして秋葉家とその周辺で起きた出来事が次第にはっきりした輪郭をとることになる。そして百合落雁の来歴も明らかになり、第1作で、秋葉武蔵さんが見たという雪女の謎も解けていく・・・ 第1作で描かれていた寺田先生の昔の恋人への想いも、新たな展開を見る・・・。

 ほんわかした舞台設定ではあるが、その中で進行する人間劇はかなり深刻なものがある。秋葉さん夫婦は(おそらく様々な波乱を経て)円満な様子だが、その息子夫婦はうまくいかず、秋庭さんにとっては孫にあたる一人息子を離婚後どちらが引き取るかでもめている。そのほかにも、嫁姑の孫息子の取り合いなどの挿話もあるが、もっとも深刻な劇はやはり白骨と消えてしまった秋葉神社に関係するものであろう・・・。

 「解説」で青井夏海さんが書いているように「物語は一話進むごとにどんどん謎をふくらませていきます。一話完結と見せかけてちっとも完結しない、謎が解けて終わるのではなくさらなる謎を生んでて展開していく連作集」(345ページ)であり、そうはいっても、第2作で謎のかなりの部分が解けているようにも思われるので、これで完結したものとなるのか、新たなる展開があるのかという不安半分、期待半分の気持ちが読後に残るのである。 

森谷明子『れんげ野原のまんなかで』

11月7日(火)晴れ

 11月5日、森谷明子『花野に眠る 秋葉図書館の四季』(創元推理文庫)を読み、11月6日、同じ著者の『れんげ野原のまんなかで』(創元推理文庫)を読み終えた。関東地方の小都市の外れの方に立つ図書館を舞台にした連作シリーズで、『れんげ野原のまんなかで』が第1作、『花野に眠る』が第2作、この順序で購入したのだが、なぜか第2作の方を買ってすぐにすらすらと読んでしまい、慌てて第1作を読むことになったという次第。

 大学を出たての司書である今居文子は、ススキが生い茂る野原のまんなかに立てられた秋庭市立秋葉図書館に勤務することになる。予算不足に悩む弱小地方都市の秋庭市の頓挫しかけた図書館分館設置計画を土地の有力者である秋葉氏が土地を寄付することで実現を見たことから、このような紛らわしい名称がつくことになったという経緯がある。図書館には館長の他に、若白髪の男性能勢と女性の日野という2人のベテラン司書がいて、新人教育という名のもとに、彼女に本を読ませたり、講演会を聴きにいかせたりしてしごいている。

 土地が提供されたから建てられたというだけの図書館であるから利用者はまばら、暇なことこの上ない。しかし、奇妙なことに地元の小学生たちが閉館後も居残るために、あの手この手で図書館員たちの裏を書こうとしているらしい。それどころか、へんてこな忘れ物をしたり、図書館をめぐる奇怪なうわさが広がったりしている。文子はかねてからその博識ぶりを崇拝している能勢の力を借りて、小学生たちの企みをつきとめようとするが…というのが第1話「霜降――花薄(はなすすき)」である。この物語の最後で、秋葉さんがススキを刈り取って、れんげの花の種を蒔くといいだす。

 図書館に足しげく通ってくるツイードのジャケットと、それに合わせたようなハンチング帽の老紳士は、実は日野が大学で図書館学を教わった先生で、退職後、郷里である秋庭に戻ったことから、この図書館を利用するようになったのだそうである。一方、市内循環福祉バスを利用して週に1度だけやって来る病身の老婦人がいる。元文学少女だったという彼女は古寺を題材にした写真集が気に入っているようである。ところが図書館の洋書絵本のコーナーに異変が起きた。本が配架されていたのとは違う順序に並べられていたのである。これはなにかの暗号か、それともただのいたずらか…というのが第2話「冬至――銀杏黄葉」。事件の展開と結末は伏せておくが、最後の方で文子が言う「ほのぼのしてくる話だと思っていたけど、実人生はほのぼのなんていうことではすまなかったんですねえ」という感想が、この本の中で展開される物語の雰囲気を要約しているように思う。

 主人公といってよいのは文子で、彼女が図書館員として成長し、それとともに地元に溶け込んでいく過程での出来事が描かれているのだが、地方都市の表面上はのんびりした図書館の四季の移り変わりの中で起きる事件の探偵役となるのは主に能勢さんである。彼らが出会う出来事が、この後第5話まで語られているのだが、第4話では大雪の日に雪女を見たという秋葉さんの思い出が語られたり(どうもそれが秋葉家の家庭の秘密と関係するらしい…)、第5話では秋葉さんがまいたれんげの種が見事に花を咲かせて、地元の話題になったりする。実はその野原にも過去に起きた事件の痕跡が埋まっているかもしれない…。れんげ野原の取材をした記者と文子の間にロマンスが生まれるかに思われるのだが、ずっと秘められている文子の(妻子持ちの)能勢への想いの方が強いようにも思われる…。

 秋葉図書館の具体的なモデルはないと「あとがき」で著者は述べている。著者が過去に勤務した(その経験が作品のあちこちで行かされている)図書館や、利用した図書館のさまざまな思い出をより合わせて作り出されたのだという。「秋葉図書館ほどののんびりほのぼの図書館は、現実にはないでしょう」(310ページ)とも書いている。つまり、秋葉図書館は過去の存在として著者に意識されているようであり、この物語のかなりの部分が、過去からさらに回想される大過去の物語として展開されていることになる。

 大学時代のサークルの仲間の下馬評では、私は図書館学を専攻するものと見られていて、将来は国立国会図書館長だなどと噂されていたようである(図書館学の専門家が図書館長になるのはむしろまれである)。結局、図書館学とは別の領域を専攻したが、職場で図書館委員の類を務めることが多く、図書館とは腐れ縁が続いたので、この小説は余計な興味をもちながら読むことになった。それで、アジア系の言語に強いという先輩司書の日野さんがタイのチュラロンコーン大学図書館蔵日本語図書目録を九か旅行の際に持ち帰ったというくだりを読んで、チュラロンコーンはタイ随一の名門大学であるから、もっとマイナーな大学を引き合いに出した方が面白かったのではないかとか、日野さんの恩師の寺田先生がホームズみたいなツイードのハンチング帽をかぶっているという記述について、ホームズが被っているのはディアストーカーではないかとか、いや森谷さんはそんなことはご承知で、コナン・ドイルは本文中にはディアストーカーとは一言も書かず、ホームズにこの帽子をかぶせたのは挿絵画家のシドニー・パジェットであったということを踏まえて、ハンチングと書いているのかなとか、そんなことばかり考えて楽しんでいたのであった。

 ほんわかした物語の外見をなぞっても、その奥に潜む何かしら不気味なものに目を向けても、あるいは物語の細部にこだわっても、それぞれの楽しさを与えてくれる書物である。(近いうちに『花野に眠る』の方も取り上げるつもりである。) 

ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿 2 貴族屋敷の嘘つきなお茶会』

10月2日(月)曇り

 10月1日、ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿2 貴族屋敷の嘘つきなお茶会』(原書房:コージーブックス)を読み終える。原題は”Arsenic for Tea"(お茶にヒ素を)で、これだけで殺人事件が起きていることが分かる。

 イングランドにあるディープディーン女子寄宿学校の生徒で、貴族の令嬢であるデイジー・ウェルズと、香港からこの学校に入学してきたヘイゼル・ウォンは意気投合して、2人だけの探偵倶楽部をつくる。会長はデイジー、副会長兼会長秘書がヘイぜルである。2人は学園内で起きた連続殺人事件を捜査し、そして思いがけない犯人を突き止める…。というのが第1作の大まかな紹介。

 第1作に記録された事件の翌年、第1作の最後の方でもヘイゼルはクリスマス休暇に招待されていたはずだが、今回のイースター休暇中も、デイジーの誕生日を祝うため、彼女の両親の住むフォーリンフォード邸に招待される。時は1930年代、アガサ・クリスティや、この作品中にその名が言及されているドロシー・セイヤーズが活躍していた、ミステリーの黄金時代である。その一方で世界的な不況や、社会構造の変化を反映して、代々の貴族といっても、その生活は次第に苦しくなってきており、屋敷の修理保全もままならない状態である。場所は、どこかの都市の郊外。自然が豊かに残っているが、ひとたび大雨が降ったりすると、交通が途絶したりして大変なことになる。

 デイジーの誕生日を祝うために集まっているのは、この屋敷の主人であるデイジーの父ヘイスティングス卿=ジョージ・ウェルズ、母親であるヘイスティングス卿夫人=マーガレット・ウェルズ、デイジーの兄アルバート(通称バーティ)、その学友のスティーヴン・バンプトン、休み中デイジー(とヘイゼル)の勉強を見るために雇われた家庭教師のミス・アルストン、そのほか、デイジーたちと寄宿学校の寮で同室のキティとビーニーがやって来ることになっている。
 ところがそのほかに、ヘイスティングス卿夫人の「友人」であるデニス・カーティスという男性、ヘイスティングス卿のおばのサスキア・ウェルズという老婦人、ヘイスティングス卿夫人の兄のフェリックス・マウントフィチェットという3人の大人たちが押しかけてくる。

 その夜の夕食は賑やかになった。フェリックスは上機嫌でバーティやスティーヴンと冗談を言い合っていたが、時々列席者の様子をうかがうようだった。サスキアおばさまは、食器類など目についた金目のものを自分のバッグにしまい込んでいた。骨董品の専門家だというカーティス氏はこの邸宅にある美術品や調度品の大部分が価値のないものだという話をしていた。そういうカーティス氏にヘイスティングス卿夫人はぼーっとなって見とれていた。

 夕食後、デイジーはカーティス氏には不審なところがあるといい、彼の様子を見張ろうと言い出す。2人が書斎のカーテンの影に隠れてみている前で、カーティス氏とヘイスティングス卿夫人はキスをしあっていた。その後、カーティス氏と顔を合わせたフェリックスは、彼がどこで古美術の知識を得て、経験を積んだのか質問するが、カーティス氏は答えない。

 翌日は、デイジーの誕生日である。朝、ヘイスティングス卿とカーティス氏が屋外で話しており、ヘイスティングス卿はカーティス氏に邸を立ち去るようにいうが、その後もカーティス氏は汽車の時間がどうとか言って、厚かましくい続けようとする。邸のあちこちに鼠が出没するようで、殺鼠剤の話題が出たり、会話の中でバーティがカーティス氏を鼠になぞらえたりする。カーティス氏は平気で屋敷の中の美術品の品定めをしている。午前中、さらに彼はフェリックス、さらにミス・アルストンと会話を交わした。
 昼食後、カーティス氏とヘイスティング卿夫人が話しているが、どうも駆け落ちの相談のようである。(物語の語り手であるヘイゼルがそこまで感づいているかどうかはわからないが、会話の断片を拾うとそういうことになる。)
 そしていよいよ、デイジーの誕生日を祝う「正しい子どものお茶会」が開かれる。大人も子どももお茶やお菓子に群がるが…突然、カーティス氏が咳をはじめ、倒れて寝室に運び込まれた。大雨の中かろうじてやってきた医師は、赤痢だというが、フェリックスは納得しない様子である。それを聞いていたデイジーは医学事典を調べて、ヒ素中毒が赤痢と間違えられやすいという記事を見付ける。カーティス氏はヒ素で殺されたのだ。だが、誰が、何のために…。

 疑っていけばきりがなさそうな、一癖も二癖もありそうな人物がそろっていて、怪しげな言動を繰り返すので、謎は次第に深まっていく。カーティス氏には恨まれるだけの理由はありそうだ。犯人はその時、屋敷の中にいた人物らしい。折悪しく、大雨による屋敷の孤立という状況は極めて危険である。デイジーには、その犯人が自分の身内のものであってほしくないという当然の気持ちがある。その中で、今回はデイジーとヘイゼルに加えて、キティーとビーニーが「臨時に」少女探偵団に加わり、捜査を進めていく…。

 英国の推理小説全盛時代に物語が設定されている(かなりいい度胸である)わけであるが、そのせいかドロシー・セイヤーズばりに進行がゆったりしていて、なかなか結末に行き着かない。こういう点はむしろアガサ・クリスティを学んでほしかったなと思うのが、正直な感想である。とはいえ、多少類型化されているとは言うものの、登場人物の描き分けはなかなかの技量を見せている。特にいつもドラマのヒロインでありたいと思い続けているが、実際はコミック・リリーフといった方がいいヘイスティングス卿夫人と、犯人だと疑われそうなことばかりしているヘイスティングス卿の組み合わせが面白い。
 
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