ジュリー・ベリー『聖エセルドレダ女学院の殺人』

1月18日(水)晴れ、雲が多かったが、比較的温暖。

 ジュリー・ベリー『聖エセルドレダ女学院の殺人』(創元推理文庫)を読み終える。

 1890年のある日曜日、イングランド東部ケンブリッジシャーの都市イーリー。この市の郊外にある女生徒たちを対象とした小規模な寄宿学校である聖エセルドレダ女学院では、いつもと同じように校長のコンスタンス・プラケットが弟のアルドス・ゴッディングをもてなすディナーの席に、彼女の学校の7人の女生徒たちを招いていた。厳しいしつけと厳格な道徳指導を売り物にするこの学校らしく、校長とその弟は子牛の肉を口にしたが、その肉を料理した女生徒たちはバター付きパンと煮豆で我慢することによって、将来の結婚生活に備えるのであった。
 ところが、その食事の席で校長とその弟が相次いで倒れて、息絶える。それぞれ家庭の事情で、この学校に送られてきた女生徒たちは、学校が廃止になれば、親元に戻され、おそらくはまた別の学校に送られることになるだろう。不本意ながらこの学校に在籍することになった7人ではあるが、一人っ子であったり、男の兄弟しかいなかったということもあって、姉妹のようなまとまりをもつようになっていた。

 家族のもとに返されることを恐れた彼女たちは、死体を埋め、事実を隠して学校生活を続けることにする。「『わたしたちはみんな、なりたい自分になれる。偏屈で気難し屋のプラケットきょうだいが押し込もうとした型になんてはまらずに』興奮が巻き起こる。『姉妹たちに…助け合っていきましょう。何があっても』」(31ページ)。
 リーダーシップをとるのは決断力と行動力に富む<機転のキティ>。彼女たちの近くに出現する若い男性たちに言うことを聞かせる特技を発揮する美人の<奔放すぎるメリー・ジェーン>。長身で頭の回転は鈍いが、優しくて親切で、同情心に溢れた<愛すべきロバータ>。音楽の才能のある<ぼんやりマーサ>は気が弱くて騙されやすいが、時に周囲をびっくりさせるような衝動的行動に出る。体系が似ているからとプラケット校長の影武者を押し付けられた<たくましいアリス>は驚くべき演技力を見せる。年少だが科学的な知識が豊かな<あばたのルイーズ>は校長とその弟殺しの犯人を捜す探偵役を託される。死や死体に魅力を感じるという<陰気なエリナ>は、アリスをプラケット校長に似せるためのメークアップで思いがけない能力を発揮する。

 ルイーズの分析で、二人は毒殺されたことがわかる。7人はそれぞれの得意分野を生かして、校長は生きており、弟は甥の看病のためにインドへ旅立ったと表面を取り繕って局面を乗り切ろうとするが、見知らぬ人物が続々と登場し、また次々に新しい事実が判明していく…。

 本文124ページに出てくるように、このエセルドレダ女学院は「フィニッシング・スクール」である。翻訳者の神林美和さんは解説の中で、「若い女性がよき家庭人になるため、あるいは社交界デビューに備えて、教養とマナーを学ぶ学校」(390ページ)と解説し、『リーダーズ英和中辞典』によれば、「教養学校〔学院〕《若い女性が社交界に出る準備をする私立学校》」である。アガサ・クリスティーの『魔術の殺人』では、ミス・マープルがフィニッシング・スクールで一緒だった女性の危機を救おうと活躍する。なお、私立学校というのはprivate schoolの訳語で、日本の私立学校のように学校法人によって経営され、正規の学校と認められている学校ではなくて、任意に設置され、維持されている非正規の学校である。この種の学校にも一種の格差があって、貴族や金持の令嬢はスイスやイタリアの学校に行くが、国内の学校に送られている彼女らは経済的に多少遅れを取っている家庭の出身らしい。この作品中でもエセルドレダの生徒たちは、クイーンズ・スクールという学校の生徒たちに敵意を燃やしているが、こちらは、日本の私立学校と同じく正規の学校のようである。なお、先年、没したスコットランド出身の作家ミュリエル・スパークの晩年の作品『フィニッシング・スクール』が描いている学校は、現代の話で、寄宿制ではあるが、男女共学で、まったく別の種類の教育を行っている。読みながら、私も金があれば、こういう学校を経営してみたいと思った記憶があり、もし関心があれば、ご一読ください。

 事件との取り組みを通じて、女生徒たちの世界は広がり、人間に対する見方も変わっていく。高等教育や専門職への就職が視野に入ってくる。それに十代という年頃の女性であるから、彼女の周辺に出現する農場主の息子や警官、事務弁護士の助手、神学生などの若い男性たちとのロマンスが芽生え始める。現代のアメリカ人の作家が、1890年ごろ(シャーロック・ホームズの時代)の出来事を想像で描いているので、歴史的な事実とは多少食い違うところがあってもしかたがないし、素人探偵の推理だからなかなか真相解明が進まないところもあるが、ユーモアも適当に織り込まれて、楽しく読める作品である。

 なお、最後の方で登場人物が<クロケット>を始めるという箇所があるが、スティックでボールを打って逆U字型の鉄門をくぐらせるというこのゲームは、<クローケイ>と発音されるし、伝統的に<クローケー>と言い慣わされてきたのではなかろうか。(『若草物語』など、このゲームが登場する作品は少なくない。)

シャーロット・マクラウド『浮かんだ男』

9月25日(日)曇り、時々晴れ

 シャーロット・マクラウド『浮かんだ男』(創元推理文庫)を読み終える。原題はThe Balloon Man (熱気球の男)で、物語の中で、双子の男女が熱気球に乗って降りて来ることとは符合しない。何かほかに作者が意図していることがあるのだろうかという不審の念が残る。1979年に発表された『納骨堂の奥に』(The Family Vault、家族の地下納骨所)から始まるセーラ・ケリング・シリーズの最終作品。作者であるシャーロット・マクレオド(Charlotte MacLeod、1922-2005)は1978年に刊行した『にぎやかな眠り』に始まるシャンディ教授シリーズで名声を得た作家で、セーラ・ケリング・シリーズはシャンディ教授ものほどのユーモアはないが、ボストンの名門家庭に生まれ育ったセーラ・ケリングが、様々な事件に遭遇し、それを解決する中で、自分の背後にある血縁関係や一族の文化の桎梏を乗り越えて、新しい自分を見つけていくというところに特徴がある。

 セーラの夫であるマックスの甥マイクが結婚することになり、彼女がその野外結婚式の陣頭指揮を執る(マックスはユダヤ人であるが、結婚式はユダヤ人の風習を残しながら、世俗的に行われているようである)。当日は好天に恵まれ、多くの招待客が集まる。マックスはセーラの結婚の贈り物について作成中のリストと照合してほしいという指示を無視して(数が多すぎると判断したのである)贈り物を眺めていたが、その中に長年失われていたケリング家の宝石が並んでいたことで呆然とする。それだけでなく、どうもこの宝石を目当てらしい錠前破りのルーと名乗る泥棒が「死体!」に変装して登場したり、夕刻になって会場のテントの1つの上に、熱気球が着陸して、テントを壊し、気球からはこの結婚式が行われているケリング家の元別荘の隣人であったザッカリー家のアリスター(アリー)とカルプルニア(カリー)の双子の兄妹が現れる。

 翌日の朝、家から外に出たマックスは何者かが仕掛けた発煙弾に出会い、あたりが真っ暗闇になるのを経験する。その後、やっと片付けにやってきたテント設営業者たちは、気球によってつぶされたテントの下に死体を見つける。死んでいたのはジョー・マクベスという名の作業員であった。死体の様子から見て、どうも他殺体をどこからか運んできて、気球に押しつぶされたように見せかけようとしたらしい。それだけでなく、結婚式に参加していたケリング一族のジェレミー(ジェム)の車がいつの間にか盗み出されていた・・・。

 一連の不可思議な事件は、それぞれに関係があるのか、ないのか。『納骨堂の奥に』で行方不明になっていたケリング家の宝石が出現したということは、これらの事件とどう関係するのか。セーラを中心に美術品専門の探偵であるその夫のマックス、マティーニをカラフェから飲むという度し難いのん兵衛の遊び人だが、ケリング一族の歴史に詳しいジェム、その忠実で有能な執事のエグバート、セーラの従兄のブルックス、その妻で紅茶占い師だった経験から他人の心理を読み取り推理することが巧みなシオニア、セーラの又従弟で探偵見習中のジェシーというケリング一家(≒ビターソーン探偵社)のメンバーが活動を始める。セーラとマックスの一粒種であるデイヴィの動きにも目が離せない。彼は、気球から降りてきたのが火星人だと信じていて、気球に乗りたがるのである。

 ユーモア・ミステリ作家としてのマクレオドの真価は(シャンディ教授ものほど顕著ではないが)こうした一人一人の登場人物の性格や行動の描写に表れている。結婚式に招待されなかったケリング一族の一人で、セーラの従姉であるメイベルが、TVの報道で結婚式とその周辺で起きた事件について怒り心頭に発して電話をかけてくる。ジェムをはじめとする一族の何人かの悪口を言い続ける。「…セーラは本気でくすくす笑い出したくなっていた。マックスはすべての言葉をテープに録音していた。なぜならこれが最も悪意のある時のメイベルであり、もしも誰からケリング家の歴史について書く余裕ができた時には、記録として保存しておくべきだからだ。メイベルはますます怒りを煮えたぎらせており、電話代はすべてメイベルの方にかかっていることをそれとなくセーラに仄めかされなければ、一族の残りの人間についてまで話を続けそうな勢いだった。結局、セーラの仄めかしが功を奏した。メイベルは最後にやっと理解すると「まあ、なんてこと!」というなり電話を切った。」(186ページ) 強要するような笑いではないが、二重、三重に笑いの罠が仕掛けられていることがわかる箇所である。またブルックスの古い友人であり、物語の後半で重要な役割を果たすトウィーターズ・アーバスノットは、サンカノゴイのようなうるさい音を立てると表現されているが、サンカノゴイという鳥は、『バスカヴィル家の犬』で不思議な咆哮(?)を聞いたワトソンに対して、ステープルトンが、鳥の鳴き声かもしれないというその鳥である。

 物語はシリーズの締めくくりとして、もともと、WASP(=White Anglo-Saxon Protestant)であるボストンの名門に生まれ育ったセーラが、ユダヤ系のマックスと結婚することで、一族とその文化から離れ、新しい人生を築こうとしていることも読み取れる。そして、一族の受け継いできた宝石が戻り、セーラがその宝石には愛着がないと宣言することで、新しい人生への決意を示しているようである。新しい人生を歩もうとするセーラとマックスの美術探偵ぶりや、デイヴィの成長にも興味があるのだが、そこまでを描くことを作者に望むのは欲が深すぎるということだったろうか。

田中啓文『鍋奉行犯科帳 猫と忍者と太閤さん』

5月28日(土)曇り時々晴れ

 5月27日、田中啓文『鍋奉行犯科帳 猫と忍者と太閤さん』(集英社文庫)を読み終える。大坂西町奉行という重職にありながら、美食と大食いの方に精力を傾けている…が、その周辺で起きる難事件・珍事件を次々に解決していく大邉久右衛門とその配下の者の活躍を描くシリーズ第7弾である。田中さんには、落語家を主人公にする「笑酔亭梅寿謎解噺」という先行するシリーズがあるが、それを追い抜く勢いで書き進められているのは、こちらの方への読者の後押しが強いからであろうか。

 『猫と忍者と太閤さん』というと落語の三題噺めくが、実際は、太平の世に用がないはずの忍者が登場し、しかも久右衛門の命を狙う、それも奉行所の糠床が目当てなのだが、さる大名家の御家騒動が絡んで奉行所の天井裏で2人の忍者が鉢合わせをする…という「忍び飯」、芸はしっかりしているが猿面ゆえになかなか目を出せない老優に『太閤記』の秀吉の役をやらせて成功するが、この役者の命を狙う一団が登場するという「太閤さんと鍋奉行」、京都のお公家さんの家庭の事情に猫が絡むという「猫をかぶった久右衛門」の3編の中編小説から構成されていて、それぞれの間に筋の関連はない。

 最初の2編は2つの一見関係のない事件がどこかで結びつくという展開、「猫をかぶった」は猫とその世話係の少年の間柄の描き方が興味深い。さらに、シリーズ常連のそれぞれの個性の描き方にまた新たな工夫がみられる。相変わらず大食漢ぶりを発揮する久右衛門であるが、「太閤さん」では食べ過ぎて腹を壊して、用人の佐々木喜内をそろそろ隠居する頃合いかと心配させたり、「猫をかぶった」では迷い込んできた猫にネコ飯を作ってやったりと、これまでにない側面を見せる。奉行の配下で、大坂市中を見回る同心の村越勇太郎、その手下で役木戸を務めながら水茶屋を経営し、戯作者も兼ねるという蛸足の千三、勇太郎の直属の上司で堅物ながら、苦労人ぶりも発揮する与力の岩亀三郎兵衛、勇太郎に思いを寄せる道場主の娘小糸、奉行所お抱えの腕のいい料理人の源治郎、勇太郎の叔父で医者の赤壁傘庵など毎回登場する人物のほかに、「隠し包丁」という忍者の仲間を抜けて料理人になろうという権六、江戸から移り住んで雑喉場(ざこば)仲買人をしながら勇太郎の手下も勤めようという繁太など、新たにレギュラー入りをしそうな顔ぶれも見られる。権六の元「上司」である名張の寸二も今後悪役として再登場の可能性がある。小糸と勇太郎を争ってきた綾音はどうも方向転換をしたらしく、ほとんど登場しないが、千三におしのという恋人?ができたという聞き捨てならない話題もでてくる・・・

 読みながらなぜか、オランダの外交官・東洋学者で駐日大使を務めたこともあるロバート・ファン・ヒューリックのディー判事(狄仁傑)シリーズを思い出していた。一方は実在の人物で、則天武后(武則天)に諫言をしたという硬骨漢、他方は架空の人物で江戸後期の一見役立たず。ディー判事が地方の知事を歴任してそれぞれの土地の怪事件を解決して行く(最後には長安に戻って政府の高官になる)のに対し、久右衛門はさまざまな役職を経て、どうも大坂西町奉行が最後のご奉公らしい。ただ、両者ともグルメで(ディー判事の場合、主人公よりも作者のほうがグルメだったという意見もある)、異能の部下たちを集めているというのが共通点であろうか。もっとも鍋奉行シリーズの場合、久右衛門の個性が強すぎて、部下の能力がかすんでしまっているようにも思われる。鍋奉行シリーズが続く中で、登場人物のどのような取捨選択が進んでいくかも、読み進む際の楽しみの一つである。

シャーロット・マクラウド『猫が死体を連れてきた』

5月1日(日)晴れ

 4月29日、シャーロット・マクラウド『猫が死体を連れてきた』(創元推理文庫)を読み終える。マサチューセッツ州バラクラヴァ郡(著者が巻頭で断っているように、現実にある州の架空の郡である)にあるバラクラヴァ農業大学の応用土壌学の教授であるピーター・シャンディの名探偵としての活躍を描くシリーズの『にぎやかな眠り』、『蹄鉄ころんだ』、『ヴァイキング、ヴァイキング』に続く第4作。原題はSomething the cat dragged in (猫が引きずり込んだ何ものか)で、「死体」とはいっていない。a catではなくthe catとなっていることで、この猫が誰かの飼い猫であることが分かる。物語の文脈に照らしてみると、「死体」を連れてきたわけではないのだが、読者に物語を分かりやすくするための工夫と考えて、目をつぶることにしよう。

 長年、一人暮らしを続け、通いの家政婦であるエリザベス(ベッツィ)・ローマックスに面倒を見てもらっていたシャンディ教授が、クリスマスのイルミネーションをめぐる騒動の中で、同僚で親友でもあるティム・エイムズの妻ジェマイマがこともあろうに、シャンディの家の中で死亡しているという事件が起こり、さらにいろいろな出来事があって、ティムの身の回りの世話にやってきたはずのヘレンという小柄でブロンドの女性と結ばれたのがシリーズ第1作の『にぎやかな眠り』であり、シャンディがこうしてヘレンと結ばれた後も、ベッツィはシャンディの家に通って家の掃除をはじめとするさまざまな仕事を続けていた。第2作『蹄鉄ころんだ』ではさしたる活躍を見せないが、第3作『ヴァイキング、ヴァイキング』では、郡内の古くから残っている家系の系譜についての知識と家政婦の仕事で仕入れた大量のゴシップを駆使して、シャンディの探偵活動に貢献した。その彼女の活躍ぶりに加えて、今回は、彼女の飼い猫であるエドモンドが題名通りの活躍をする。

 秋のある日、ミセス・ローマックスの飼い猫であるエドモンドが何か奇妙なものを銜えて戻ってくる。それが彼女の家の下宿人でバラクラヴァ農業大学の名誉教授であるアングレーのカツラであることを知った彼女は、教授のもとにそれを返しに出かける。しかし、彼は自分の部屋にいない。さらに探してみると、彼は博物館(になる予定のバラクラヴァ・ソサエティーのクラブハウス)の裏手で冷たくなっていた。事なかれ主義の警察署長オッタ-モールは事故死と断定、メルシェット医師もそれに同調するが、教授の部屋には誰かが押し入って、探し物をした痕跡がある。不審をぬぐいきれないミセス・ローマックスは、このところいくつかの難事件を解決して、名探偵としての評価が高まっているシャンディ―に自分の不審を詳しく伝える。さらに街の人気者である葬儀屋のハリー・グールソンも死体をめぐっては怪しい点があるという。

 アングレーも会員であったバラクラヴァ・ソサエティーは、他のクラブと違って入会条件がひどく厳しく、その一方でクラブハウスは荒れ果ててみすぼらしい。クラブの会員は、弁護士のヘンリー・ホッジャー、銀行家のヘンリー・パメル夫妻、石鹸成金のロット・ラット、元州議会議員のシル、何をしているのかわからないけれども金持の大男であるウィリアム・トゥワークスである。(実は他にもいる。) ホッジャーによると、アングレーは遺言書を残しており、その財産の3分の1をアングレー家の残された親族であるアロンゾ(ロンゾ)・ブルフィンチに譲ると書き記していたという。アングレーが残した遺産は約60万ドル、ロンゾには20万ドルの遺産が転がり込むことになる。オッタ-モールは彼こそ犯人にちがいないと意気込むが…。

 第4作ともなると、登場する顔ぶれにも変化があり、それぞれの役割も変化がみられるように思われる。シャンディ―の名探偵ぶりに変わりはないが、彼の影響を受けてか、ミセス・ローマックスは自分の知識をフル活用させて捜査に協力するし、ハリー・グールソンもなかなか鋭い推理を見せる。第3作で初登場した地元新聞の記者クロンカイトも自分の役割をはたす。依然として、頭の働きはよくないオッタ-モールでさえ、終盤になると、多数の部下が(臨時に)できたこともあって、見事な統率力を見せる。注意してよいことは、この作品がユーモアたっぷりの仕上がりを見せている一方で、シャーロック・ホームズ以来の素人>プロの警察という図式をきちんと守っていることである。それどころか、猫までもが名探偵ぶりを見せつけるのである。

 もう一つ注目されてよいのは、そのユーモアが小規模農家の利益を守り、さらに育ててゆくような教育を行うというバラクラヴァ農業大学の建学の理念と、巨大資本の陰謀との戦いという文脈で展開されていること、もう少し視野を広げると、この小説がレーガン大統領時代に発表されていることである。笑いを前面に出して入るが、その背後にレーガノミクスに対して批判的な著者の態度を読み取ることも、この小説について忘れてはならない事柄であろう。

ジル・チャーチル『大会を知らず』

4月8日(金)曇り

 ジル・チャーチル『大会を知らず』(創元推理文庫)を読み終える。主婦探偵ジェーン・シリーズの第14作である。この後、チャーチルは同じシリーズに属する作品を2編書いているが、それらはまだ翻訳されていない。本屋の棚に1冊だけ残っていたのを買って読んだということと合わせて推測すると、あまり売れ行き良好とは言えないシリーズのようであるが、この作品を読んだかぎりでは面白かった。彼女の他の作品も読んでみようと思う。

 交通事故で夫を亡くした専業主婦のジェーン・ジェフリーは3人の子どもたちの子育てに奮闘中だが(第14作のこの作品では、子どもたちも大きくなって、世話がかからなくなってきている)、身近なところで殺人事件が起きたりすると、隣の家に住む親友のシェリイとともに事件の解明に活躍してきた。
 その彼女たちが住む町のホテルで、ミステリ作家や出版関係者が集まる大会が開かれると知り、ジェーンは喜び勇んで参加を決める。会場となるホテルにシェリイの夫が投資をしている関係で、スイートルームが確保してあるという。この部屋を使えば、大会に入り浸っていられるわけである。長らくジェーンが乗り続けてきたおんぼろのステーション・ワゴンがまったく動かなくなったので、これを機に新しい車を買う。2人はこの車でホテルに向かう。
 ジェーンはこれまでずっと小説を書き続けてきた。この大会に参加する編集者か代理人に、どうやら書き上げたその作品を読んでもらうことも大会参加の目的である。女性作家に厳しいことで知られる批評家のザック・ゼブラや、かねてから愛読している女流作家のフェリシティ・ロアンがホテルにチェック・インしている姿を見かける。そうかと思うと新進作家のヴェルネッタ・ストラウスマンが夫と2人で西部風の派手な衣装で現われるのにも出逢う。
 ジェーンがフェリシティ・ロアンの本を読みながら、様子を窺っていると、ご本人から声をかけられる。ジェーンとシェリーはフェリシティとすっかり意気投合し、彼女から大会参加者についての情報を得る。大会には大物編集者のソフィ・スミス、書籍販売人と自称するがミステリについては誰よりも詳しいチェスター・グリフィス、それにこの種の大会には必ず参加して、その場にいない作家の悪い噂を探りだす謎の批評家ミス・ミステリが来ているという。
 開会式で演壇に立ったソフィ・スミスが体調を崩して病院に運ばれるという出来事はあったが、大会は順調に進行し、ジェーンとシェリーは手分けをしてセミナーに出席し、いろいろなことを学んだり、出席して損したと思ったりする。そのうちザック・ゼブラが行方不明になり、負傷して発見され、命には別条ない様子であるが、折よく居合わせたジェーンの恋人であるメル・ヴァインダイン刑事(大会で講演をするためにホテルにいたのである)から現場の様子を聞いた彼女にはどうも腑に落ちないことがある…。

 ミステリ作家の大会という、おそらくは著者にとってなじみの深い場所を舞台にして、殺人や強盗といった事件は起きないけれども、作家にとってみると大事な問題をめぐっての事件が展開する。登場人物の性格や行動はユーモアを交えて誇張されているが、それなりの現実感がある。翻訳者である新谷寿美香さんはこの作品でのジェーンの姿が、作家としてデビューする以前のジル・チャーチル自身の経験を踏まえて描かれているのではないかと推察しているが、出版会の内情を知るという意味でも興味の持たれる作品である(ただし、作品発表から10年以上たっているので、出版にかかわる事情は多少変わってきているかもしれない)。

 内容からすれば、『大会を知らず』という題名はおかしいのだが、「(井の中の蛙)大海を知らず」のもじりということだろう。原題はBell, Book and Scandalで、これは映画俳優・監督・製作者であったリチャード・クワイン(1920-89)が1958年にキム・ノヴァク主演で監督した『媚薬』(Bell, Book and Candle)の題名をもじったものだそうである。この主婦探偵ジェーン・シリーズの題名はすべて何か他の作品の題名のもじりで、Grime and Punishment (ゴミと罰)とか、War and Peas (エンドウと平和)などというのはすぐに元の題名が分かるが、この作品についてはわかりにくい。リチャード・クワインというと、一時キム・ノヴァクとロマンスがあり、彼女をヒロインにした凝った(気取った?)映画を作っていた監督として知られるが、ミステリも何作か手掛けている(『刑事コロンボ』も何本か監督している)。あるいはジル・チャーチルさんはこの監督の作品がお気に入りなのかもしれず、『媚薬』という映画を私は見ていないのだが、映画の中で<媚薬>がどのように使われたかが分かれば、そこからこの作品の命名の理由が分かるかもしれないと勝手に想像している次第である。
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