ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿 2 貴族屋敷の嘘つきなお茶会』

10月2日(月)曇り

 10月1日、ロビン・スティーヴンス『英国少女探偵の事件簿2 貴族屋敷の嘘つきなお茶会』(原書房:コージーブックス)を読み終える。原題は”Arsenic for Tea"(お茶にヒ素を)で、これだけで殺人事件が起きていることが分かる。

 イングランドにあるディープディーン女子寄宿学校の生徒で、貴族の令嬢であるデイジー・ウェルズと、香港からこの学校に入学してきたヘイゼル・ウォンは意気投合して、2人だけの探偵倶楽部をつくる。会長はデイジー、副会長兼会長秘書がヘイぜルである。2人は学園内で起きた連続殺人事件を捜査し、そして思いがけない犯人を突き止める…。というのが第1作の大まかな紹介。

 第1作に記録された事件の翌年、第1作の最後の方でもヘイゼルはクリスマス休暇に招待されていたはずだが、今回のイースター休暇中も、デイジーの誕生日を祝うため、彼女の両親の住むフォーリンフォード邸に招待される。時は1930年代、アガサ・クリスティや、この作品中にその名が言及されているドロシー・セイヤーズが活躍していた、ミステリーの黄金時代である。その一方で世界的な不況や、社会構造の変化を反映して、代々の貴族といっても、その生活は次第に苦しくなってきており、屋敷の修理保全もままならない状態である。場所は、どこかの都市の郊外。自然が豊かに残っているが、ひとたび大雨が降ったりすると、交通が途絶したりして大変なことになる。

 デイジーの誕生日を祝うために集まっているのは、この屋敷の主人であるデイジーの父ヘイスティングス卿=ジョージ・ウェルズ、母親であるヘイスティングス卿夫人=マーガレット・ウェルズ、デイジーの兄アルバート(通称バーティ)、その学友のスティーヴン・バンプトン、休み中デイジー(とヘイゼル)の勉強を見るために雇われた家庭教師のミス・アルストン、そのほか、デイジーたちと寄宿学校の寮で同室のキティとビーニーがやって来ることになっている。
 ところがそのほかに、ヘイスティングス卿夫人の「友人」であるデニス・カーティスという男性、ヘイスティングス卿のおばのサスキア・ウェルズという老婦人、ヘイスティングス卿夫人の兄のフェリックス・マウントフィチェットという3人の大人たちが押しかけてくる。

 その夜の夕食は賑やかになった。フェリックスは上機嫌でバーティやスティーヴンと冗談を言い合っていたが、時々列席者の様子をうかがうようだった。サスキアおばさまは、食器類など目についた金目のものを自分のバッグにしまい込んでいた。骨董品の専門家だというカーティス氏はこの邸宅にある美術品や調度品の大部分が価値のないものだという話をしていた。そういうカーティス氏にヘイスティングス卿夫人はぼーっとなって見とれていた。

 夕食後、デイジーはカーティス氏には不審なところがあるといい、彼の様子を見張ろうと言い出す。2人が書斎のカーテンの影に隠れてみている前で、カーティス氏とヘイスティングス卿夫人はキスをしあっていた。その後、カーティス氏と顔を合わせたフェリックスは、彼がどこで古美術の知識を得て、経験を積んだのか質問するが、カーティス氏は答えない。

 翌日は、デイジーの誕生日である。朝、ヘイスティングス卿とカーティス氏が屋外で話しており、ヘイスティングス卿はカーティス氏に邸を立ち去るようにいうが、その後もカーティス氏は汽車の時間がどうとか言って、厚かましくい続けようとする。邸のあちこちに鼠が出没するようで、殺鼠剤の話題が出たり、会話の中でバーティがカーティス氏を鼠になぞらえたりする。カーティス氏は平気で屋敷の中の美術品の品定めをしている。午前中、さらに彼はフェリックス、さらにミス・アルストンと会話を交わした。
 昼食後、カーティス氏とヘイスティング卿夫人が話しているが、どうも駆け落ちの相談のようである。(物語の語り手であるヘイゼルがそこまで感づいているかどうかはわからないが、会話の断片を拾うとそういうことになる。)
 そしていよいよ、デイジーの誕生日を祝う「正しい子どものお茶会」が開かれる。大人も子どももお茶やお菓子に群がるが…突然、カーティス氏が咳をはじめ、倒れて寝室に運び込まれた。大雨の中かろうじてやってきた医師は、赤痢だというが、フェリックスは納得しない様子である。それを聞いていたデイジーは医学事典を調べて、ヒ素中毒が赤痢と間違えられやすいという記事を見付ける。カーティス氏はヒ素で殺されたのだ。だが、誰が、何のために…。

 疑っていけばきりがなさそうな、一癖も二癖もありそうな人物がそろっていて、怪しげな言動を繰り返すので、謎は次第に深まっていく。カーティス氏には恨まれるだけの理由はありそうだ。犯人はその時、屋敷の中にいた人物らしい。折悪しく、大雨による屋敷の孤立という状況は極めて危険である。デイジーには、その犯人が自分の身内のものであってほしくないという当然の気持ちがある。その中で、今回はデイジーとヘイゼルに加えて、キティーとビーニーが「臨時に」少女探偵団に加わり、捜査を進めていく…。

 英国の推理小説全盛時代に物語が設定されている(かなりいい度胸である)わけであるが、そのせいかドロシー・セイヤーズばりに進行がゆったりしていて、なかなか結末に行き着かない。こういう点はむしろアガサ・クリスティを学んでほしかったなと思うのが、正直な感想である。とはいえ、多少類型化されているとは言うものの、登場人物の描き分けはなかなかの技量を見せている。特にいつもドラマのヒロインでありたいと思い続けているが、実際はコミック・リリーフといった方がいいヘイスティングス卿夫人と、犯人だと疑われそうなことばかりしているヘイスティングス卿の組み合わせが面白い。
 

山本巧次『阪堺電車177号の追憶』

9月29日(金)晴れ、気温上昇

 9月27日、山本巧次『阪堺電車177号の追憶』(ハヤカワ文庫)を読み終える。阪堺電車はその名のごとく大阪市と堺市をつないで大阪市の南の方を走っている私鉄電車で、一部区間が路面電車として運行している。昭和8年(1933)に最新鋭のモ161形電車の1台として運行を始めた177号が、平成29年(2017)に廃車になることになって、過去に自分の周囲で起きた事件をふりかえるという構成になっている。(モ161形電車は17両造られ、したがって177号がこの形では一番新しいことになる。)
 6章からなるこの物語の各章は、それぞれ独立した短編小説としても読めるのだが、177号とその他の阪堺電車の運行がかろうじてそれぞれの話をつないでいる。それに、この電車が本線試運転した時の運転士であり、最初の営業運転も担当した井ノ口という運転士の一家と、その最初の営業運転の時に乗ってきた赤ん坊を抱いた若い夫婦の一家が、177号と浅くない因縁をもって物語のあちこちに顔を出す。

 第1章「二階の手拭い――昭和8年4月――」は、177号が最新鋭の電車として走っていたころの話。阪堺線の車掌の1人が沿線の質屋の二階の欄干に干してある手拭いに不審を感じたことから、物語が始まる。手拭いがずっと干してあることが不思議なのに、ある日、その手拭いの柄が変わったかと思うと、一人の男が電車から降りて、質屋に入っていった…。車掌の機転と、彼の通報を受けた井ノ口のそれ以上の機転とで事件は一件落着かと思うと、さらにその先があって…。

 第2章「防空壕に入らない女――昭和20年6月――」は、太平洋戦争末期の話。井ノ口は既に退職している。乗務員の多くが兵隊にとられたために、動員を受けた女学校の生徒だった井ノ口の娘の雛子が運転士として勤めている。父親から演技のええ電車だと聞かされていた177号を運転している時に、空襲に会う。乗客とともに、近くの防空壕に退避したのだが、一人だけ防空壕から逃げ出した若い女性(北田信子)がいた。ひとりにしておくわけにもいかないと、雛子が一緒に逃げて、事情を聴くと、彼女は幼いころに住んでいた近所の洞窟で遊んでいるうちに、洞窟が崩れて、一緒に遊んでいた子どもが生き埋めになったらしいという記憶を引きずっているという… 雛子は信子の思い出が何故か気になる…。

 第3章「財布とコロッケ――昭和34年9月――」は、戦後の復興も進んで、阪堺電車にも新型が登場し、177号も旧型になってしまった頃のお話。天王寺駅前の食堂にコックとして勤める榎本章一はコロッケつくりには自信のある若者で、時々電車の中で一緒になる若い女性(寺内奈津子)に恋心を抱く。ある日、177号の車内で奈津子が財布を落としたのを拾おうとすると、先に小学生が拾って、そのまま姿を消してしまう。奈津子にこの次第を話した章一は、2人で小学生を捕まえて、事情を聴くことにする…。少し先回りをすると、章一と奈津子は結婚して、洋食屋を開業し、コロッケのおいしい店として評判を呼ぶことになる。そして小学生(池山典郎)は、阪堺電車の車掌となり、井ノ口や雛子にかわいがられることになる。

 第4章「二十五年目の再会――昭和45年5月――」は大阪で万博が開かれていたころの話。177号の述懐によれば「大阪が一番賑やかやったんは、やっぱりあのときかなあ」(133ページ)という。ちなみに、この頃私は大阪で働いていて、主な活動範囲はキタだったが、天王寺近くのスタジオで仕事をしたこともあって、阪堺電車を見たこともある。題名の通り、雛子が25年ぶりに信子を見かけて話しかける。信子は結婚したが、夫が事故で死んだという。雛子は177号電車を見付けて、住吉神社にお参りするという信子をつれ、177号電車に乗り込む(この電車の車掌が典郎である)。実は、信子には、雛子にも言わない(あるいは雛子も気づいていたかもしれない)大きな秘密があった…。

 第5章「宴の終わりは幽霊電車――平成3年5月――」はバブル景気の時代がそろそろ終わりかけてきたころの話。阿部ののホテルで働くホステスのアユミは、この店の常連客の1人がかつて彼女の実家のクリーニング屋を破産に追い込んだ不動産屋であることに気付く。姉貴分のマキ、不動産屋の相手をしていたホステスの1人であるナツキと話すうち、不動産屋が買おうとしている土地にあるたこ焼き屋をマキが知っているということが分かり、3人でたこ焼き屋に出かけ、その土地と建物を不動産屋が買おうとして、どうしても首を縦に振らないたこ焼き屋に嫌がらせをしていることを知る。3人は力を合わせ、不動産屋をとっちめようと計画する。実はアユミだけでなく、マキもナツキもそれぞれの過去を抱えていたのである(マキはこれまでに登場した誰かの縁者である。ナツキについては作者は余韻を残した書き方をしている)。悪役の不動産屋が乗った電車(もちろん177号)の中で夢を見てうなされ、起こされた時に、運転士が通報した助役が典郎であった。

 第6章「鉄チャンとパパラッチのポルカ――平成24年7月――」は雛子の孫(井ノ口の曽孫)で東京の大学に通っている永野幸平が登場し、大の鉄道好きである彼が161形の電車の写真をとろうとしていたところ、近くのマンションに住む男の部屋を人気の女子アナウンサーが訪問するという情報をつかんだパパラッチ(余計な話だが、パパラッチは複数形で、1人の場合はパパラッツォである)に遭遇し、さらにまた…という話。雛子が幸平を連れて向かう洋食屋は第3章に登場した章一の店「榎亭」であり、不思議にも177号電車に乗ることになる。このほか、これまでの話のその後がいくつか語られている。

 さらに「エピローグ」で、177号電車のその後が語られ、最初の営業運転の時の赤ん坊が章一であったことが分かる。助役まで務めた典郎は既に退職しているが元気で、一家と177号電車の結びつきは新しい形で続きそうである。

 177号の周囲で日常の謎というには深刻だが、強盗殺人まではいかないという事件が展開する。警察の出番もあるが、むしろ市民の日常的な知恵が事件を解決する力となっている。それぞれの章に登場する人物が、関係しあったり、しあっていなかったりで、電車が繋ぐ人間の縁の深浅と不思議さを描いている。もうひとつ、この物語の進行のなかで阪堺電車の沿線の住吉神社の存在が見え隠れしているのが見落とせない。実は、私は一宮めぐりの一環で住吉神社を参拝したことがあって、その際に利用したのは南海電車だったのだが、神社に向かう途中で阪堺電車を見かけて乗りたいなぁと思ったことを思い出す。路面電車に対する愛着と、その中でも特に阪堺電車への興味がこの小説を読んだそもそものきっかけである。特に面白いのは第5章であるが、そこで悪役の不動産屋が路面電車には一種の郷愁をもつ存在として描かれていて(だからこそ、幽霊電車の夢を見たのかもしれないが)、「罪を憎んで人を憎まず」的な作者の思いが込められているのかなと思ったりした。

芦辺拓『殺人喜劇の13人』

9月15日(金)曇り

 芦辺拓『殺人喜劇の13人』(創元推理文庫)を読み終える。1989年に第1回の鮎川哲也賞を受賞した、作者の芦辺拓名義でのデビュー作である。その後、1990年に東京創元社から単行本として刊行、1998年に講談社文庫に収められ、2015年に東京創元社から創元推理文庫の1冊として発行された。なぜか、A書店の創元推理文庫のコーナーに平積みにされていたので、新刊だと思って買ってしまったが、そういえば、B書店ではそうなっていなかったと気がついたのは後の祭りであった。修業が足りない。おそらく、同じ作者の『名探偵・森江春策』(創元推理文庫)がそこそこ売れ行きが良いので、この際、在庫を一掃してしまおうといった本屋の思惑があったものと考えられる。(余計なことばかり考えている。)

 京都のD**大学のミニコミ&実験的文芸雑誌『オンザロック』の会員たちは、臼羽医院という小さな病院だった建物を1軒借り切って”泥濘(ぬかるみ)荘”と名付け、共同下宿としていた。ここで暮らすのは、”寝たきり老人”の異名を奉られた、この同好会の温厚なまとめ役・堂埜仁志、推理小説マニアで作家志望の十沼京一、バサバサ髪に薄アバタの南瓜面で少女マンガの愛読者である錆田敏郎、落語好き(実は漫才の方が好きであったことが後でわかる)でいつもひょうきんな役割を引き受けている小藤田久雄、一刀彫のような顔といかつい体躯の持ち主で大阪のキタにある全国紙の編集局で補助員のバイトをしている海淵武範、ギョロリとした目の毒舌家・蟻川曜司、性格まことに良好、『オンザロック』の良心といってもよいが、いささかアルコールの影響を受けやすい野木勇、映画マニアで古い映画を8ミリ(⁉)版で収集している瀬部順平、髪を七三に分けたお地蔵さんという感じで内気だが惚れっぽい須藤郁哉の9人である。(”泥濘荘”は2階建てで、錆田と海淵が1階に、残りの7人は2階に部屋をもっている。1階には医院だったときの名残の薬局、診察室、処置室、待合室、それに食堂と浴室・脱衣室がある。)

 『オンザロック』には彼らの他に、軽薄で長広舌の癖がある日疋佳景、キザではしこくて(そして何よりラッキーすぎる)加宮朋正、キャンパス有数の美少女水松みさと、十沼の恋人で背が高い堀場省子、大柄でセンシュアルな肢体の持ち主である乾美紀が加わっており、会員みんなのアイドルであるみさとを独り占めしているのが加宮、そして美紀は有川と日疋に思いを寄せられている。そしてもう一人、十沼の友人で彼が書く推理小説の(トリック、趣向のすべてをすぐに読み取るという意味ではありがたくない)読者である森江春策が客員執筆者である。一癖も二癖もある人物がそろっているだけでなく、その中での人間関係も入り組んでいて、事件が起こらないほうが不思議である。

 物語は198*年12月22日に、京都市上京区河原町今出川にある地下レストランで『オンザロック』のメンバーが忘年会を開いているところから始まる。ほとんどの顔ぶれがそろっているが、加宮は帰省のため新大阪19:57発の夜行寝台急行<彗星3号>に乗るといって不参加、海淵はアルバイトのために途中から退出、そして二次会で、十沼の自費出版短編探偵小説集の収録作品に込めた謎をすぐに読み取った森江は普通の座席急行を利用して、北の方にふと思い立った旅行に出かける。
 翌朝、この建物の三角屋根の望楼で錆田の縊死体が発見される。駆け付けた警察は自縊と判断するが、十沼はいくつかの点に不審を抱く。”泥濘荘”の他のメンバーや、知らせを聞いて集まってきた『オンザロック』の他の会員たちも同じ気持ちらしい。

 2部からなるこの小説のⅠは、探偵小説作家志望の十沼の手記という形で進行する。23日の夕方のニュースで<彗星3号>の車内から加宮の死体が発見されたと報じられる。そして次に・・・ サークルの面々が1人、1人と殺されてゆく。犯人は”泥濘荘”の中にいるのか? 堂埜は犯人は自分たちの仲間の中にはいないと信じ、警察は加宮が過激派の学生運動と接点をもっていたのではないかと疑う…。Ⅱで旅行から戻ってきた森江が事件の謎を解いていく…。

 1980年代のおそらくは前半の京都を舞台に、暗号や密室、時刻表トリックなど本格派の趣向が満載されたミステリーで、登場人物の描写を通じて、コミックや映画、笑芸についての作者の蘊奥が披露されることで読み応えが増している。小藤田の笑芸についての収集を見た「いかにも親玉らしい中年の刑事」が発する賞賛の言葉(⁉)などは、それだけでこの刑事の実力のほどを見せつけている。「ほォこりゃ砂川捨丸・中村春代の”お笑い金色夜叉〟か。あんたら若いから「出た手足に目鼻を付けるのやがな」なんて知らんやろ。なに知ってる? えらい!」(126ページ)

 作者は私より13歳年少だそうで、私より10年ほど後の京都の(実は1980年代になっても、母校とその周辺をうろうろしていた)様子が懐かしく感じられるところがある。四条河原町の駸々堂という本屋(私は、京都書院の方によく出かけたね)、まだ同志社も立命館もキャンパスが京都の市街地にあった時分の河原町今出川、「灼熱の京都御所内グラウンドでの体育実技」(28ページ、英会話の学校で一緒になった同志社の学生がそのつらさについて話していた。いまは大学設置基準が変わって、体育実技というのが必修から外されたようだが、この科目だけを考えると、国立大学のありがたさが身にしみてわかる。東急の目黒線で大岡山の東工大のグランドを目にされる方は私のこの言葉がよくわかるはずである。) そして京阪神と地方とをつなぐ寝台急行も懐かしい思い出ではある(特に、森江が乗ったらしい「きたぐに」はよく利用したね。) 難を言えば、梅棹忠夫の信奉者であったという錆田が残した『知的生産の技術』用品一式の「京大式カード」というのが梅棹の著書の浅読みに思えること。発見のカードは文献カードとは違うものだという梅棹の言葉がどのように受け止められていたかをめぐっては、疑問が残る。
 
 『殺人喜劇の13人』というのは、この小説の題名であるとともに、十沼の手記の題名であるということになっている。登場人物の性格設定は確かに喜劇的な要素を含んでいるが、物語の展開は必ずしも喜劇的であるとは言えない。登場人物も、殺人事件も過剰なのではないか、読者の想像にゆだねる部分がもっと多くてもよいのではないかという気がしないでもない。そのあたり、同じ文庫の『名探偵・森江春策』と比べて、作者の成長を確認するのも面白いのではないか。 

阿藤玲『お人好しの放課後』

9月1日(金)晴れ後曇り

 8月30日、阿藤玲『お人好しの放課後』(創元推理文庫)を読む。

 「御出学園帰宅部の冒険」と副題がついている。
 語り手である佐々木幸弘は地元の御出(おいで)学園高校に進学する。「お祭り好きで、人はいいけど基本的に怠け者」の生徒が集まる「日和見で和を重んじるが、やる気なし」(11ページ)が(おそらくは影の)校風だという学校である。かなり「ゆるい」学校らしいが、不思議なことに”正式な帰宅部”という不可思議な部活動が認められている。「授業が終われば速やかに帰宅し、平均以上の成績をとり、かつ通学区域で何らかの社会奉仕活動をすること」(9ページ)が求められる、これならば同好会で好きなことをしている方が楽だと思われる。先輩の志野さんから思いがけず、「みんなと同じ」、「楽をしたい」と自分の思っていたのと反対の助言を受ける。決め台詞は「自由って楽じゃないから」(15ページ)である。志野さんから口を酸っぱくして止められたにもかかわらず、佐々木君は帰宅部に入る(若い時代にはありがちなことである)。

 通学路別にAとBに班分けされている帰宅部のB班には佐々木君の幼馴染で、彼とは正反対に社交的で前向きな立花美緒、これまた小学校からの腐れ縁が続いている広田益次(この名づけだけで即断するのは無理かもしれないが、この作者は井伏鱒二の愛読者ではあるまいか。この本の24ページにも井伏鱒二と<山椒魚>が登場する)、同じく「歩く女性週刊誌」と呼ばれる坂口敦、広田と坂口は『怪奇! DAYナイト』というテレビ番組が好きで、そのことからおっさん好きの美少女仁藤晶、彼女の従兄で美男子の誉れ高い仁藤聖とつながりができる。この2人も帰宅部になる。帰宅部の顧問の浅井先生によると、B班は7人ということだが、もう一人は誰だろうか(というのは読んでのお楽しみ。なんと帰宅部に顧問がいるだけでなく、浅井先生のほかにも顧問の先生がいるが、それも読んでのお楽しみ)。

 学園のある御出町には<小出君>というマスコットキャラクターが存在する。ある時、御出小学校が特別授業で、小出君人形を何体も作って、役場に寄贈し、それが御出小学校の通学路に置かれている。ところが、広田によると、その小出君人形が夜な夜な歩くという噂がある。広田はこのネタを『怪奇! DAYナイト』に持ち込むと張り切っている。すでに小出君人形の配置図を作成して、見せびらかしている。
 意外なことに、佐々木君は美緒から呼び出しを受け、彼女のクラスの水島ありすという生徒に引き合わされる。彼女は小出君人形が歩くという噂の真偽を気にしている。彼女の話では、実際に小出君人形が歩いているところを見たという他の女子生徒がいるという。

 ・・・というところから話が進展していくのが、この連作集の最初に置かれている「小出君、夜歩く。」 帰宅部員は地域でボランティア活動をすることになっていて、そこから商店街とのつながりができ、商店街の洋食店で、経営者の姉弟と同居している甥の幼稚園児の行動をめぐる「たたかうにんじん」、在学生で交通事故で2人のうちの1人が死んだ一卵性双生児をめぐり噂が飛び交う「左利きの月」、帰宅部B班のメンバーが商店街と学園のコラボイベント『OIDE商店街・秋の文化祭』の実行委員を任され、女子に人気の仁藤聖が委員であることから参加希望者が増え、実行委員会も拡大するが、いろいろなもめごとが起きる…という「お姫様たちの文化祭」、合わせて4編の短・中編が収められている。

 実は私もそうだったが、集団活動が苦手な人間というのはいるものである。私の場合は、むしろやたらはじけていたという記憶があるが、語り手はできるだけ、一人で自由な高校生活を送ろうと考えている。しかし思惑通りにいかないという集団のメカニズムのようなものの描き方は真に迫っている。さまざまなしがらみが、語り手をとらえる。本人の思うところとは別に周囲の人間の期待が別の自分を作り上げている。何か事件が起きると、問題解決能力を期待されて、関わることになる。特に美緒が放っておかない。いくら否定しても、語り手と美緒とは噂を立てられる。「自由って楽じゃないから」という先輩の言葉が、次第に実感されてくるのである。実際の高校生活の中で起こりそうな出来事と、起こりそうもできない出来事、実際に存在するような性格や特技の持ち主と、ちょっとあり得ない人物とが入り混じって、多少の謎が絡んで物語が進行する。連作のそれぞれが相関している。そういう構成力に非凡さを感じる。この作品は作者が出版社に持ち込んだものをいきなり文庫化したものだと解説されているが、なるほどと思う。

 とはいえ、いくら学園ミステリとはいえ、登場人物が多すぎて、その性格付けが十分に整理されているとは言えない一面がある。特に<美少女>が多すぎる。多いのは結構だが、それぞれの美しさを、描き分けてほしいというのは余計な注文であろうか。語り手を含めて主要な登場人物はまだ高校1年生であり、「解説」で佳多山大地さんが書いているように、帰宅部B班全員の個性がこの連作だけでは十分に発揮されているとは言えないので、(他にも理由はあるが)、続編が書き継がれることを期待するものである。

倉知淳『ほうかご探偵団』

7月4日(火)曇り

 倉知淳『ほうかご探偵団』(創元推理文庫)を読み終える。2004年、”大人にとびっきりの興奮を、子どもに未来の夢を〟といううたい文句のもとに一線級のミステリの書き手を集めて、講談社刊行されたシリーズ<ミステリーランド>の1冊の文庫化。

 僕(=藤原高時)は富士山の裾野にある小都市の、ごく普通の小学校の5年生。おっとりした気風の土地柄に加えて、のんびりした性格の生徒が多く、学校で”いじめ”の話は聞かない。特に彼の所属するクラスはわりに結束が固い。担任の山崎先生がおおっざっぱで、おまけに学級委員の神宮寺のリーダーシップがしょっちゅう空回りするから、その分、学究の構成員ひとりひとりがしっかりしなくちゃと思っているからかもしれない。

 ある日、その僕が登校すると、その神宮寺から話しかけられる。彼の机の上にもう使わなくなったたて笛が置かれている。その真ん中の細長い部分がどこかに行ってしまった状態にされている。神宮寺をはじめ、学級のみんなが騒ぎ立てるのは、この学級に立て続けに不思議な事件が起きているからである。先週の月曜日、みんなが描かされた富士山の絵を教室の後ろに貼り出してあったのが、その真ん中に貼られていた棟方君の図画がどこかに行ってしまっていた。そして水曜日、5年生が飼育当番になっているニワトリが姿を消した。「厳密に言えば、これは教室の中の事件とは言えないけど、クラスの女子が飼育係であり発見者でもあるので、クラスに関係していると考えても構わないだろう。」(23ページ) 飼育係は女子の成見沢めぐみと男子の三浦(ヤス)の2人なのだが、三浦がサッカーの練習に熱心で、仕事は成見沢一人が引き受けているのである。金曜日には神宮寺が「外国の戦争被災者の人たちに、毛布や医薬品を送ってあげたい」と募金用に作ったハリボテ招き猫が姿を消した。明けて月曜日には高時のリコーダーが部品を抜き取られていた。

 昼休み、どう考えても役に立ちそうもないものばかり、姿を消した(→盗まれた?)謎を考えていた高時に、同じクラスの龍之助がやって来る。彼には事件をめぐっての独自の推理があったのだが、それが当たっていないことを知ると、2人でこの事件を調べてみようと持ち掛けてくる。このおしゃべりで少し変わっている龍之介は、高時の一番の親友で、二人とも探偵小説が大好きだったことから仲良くなったのである。

 捜索を開始した2人は昼休みに、まず棟方(彼は絵の天才だということになっている)、次に神宮寺から話を聞く。さらに放課後に成見沢から話を聞こうとすると、彼女と仲のいい女子の学級委員である吉野明里がやってきて、話に加わる。さらに三浦(ヤス)が通りかかって、ニワトリの目撃情報を残してサッカーの練習に出かけていく。吉野は自分と成見沢の二人も仲間に入れてくれと頼んでくる。龍之助は承知して、仲間は4人になった。吉野にひそかに心を寄せる高時は胸をときめかせる。

 4人は、成見沢が第一発見者だという山崎先生のところに事情を聴きに出かける。先生の証言に嘘はなさそうで、事件の謎は深まる。教室に戻った4人は事件について話し合う。次々に、短期間のうちにものがなくなっている――ということは、同じ犯人の犯行と考える方が自然だという龍之介の推理に一同は同意する。さらに、4つの物を消して見せる理由、その動機をもつ人間が犯人であると、龍之介は推理する。あるいは、犯人が本当の目的は1つで、他の3つはカムフラージュかもしれない。4つの物の共通の特徴は何か。なかなか結論は出ない。

 捜索は4日にわたり、アッと驚く結末に至る。その結末を語る「解決編」が作品全体の3分の1近くの量をしめているのが異色である。事件はささやかなもの(途中で、町で起きた宝石泥棒事件が絡む??→シャーロック・ホームズの「青いガーネット」のような展開か??)であるが、4人ががやがやと話し合う中身は推理小説入門的な面白さをもつ。たとえば、この一連の事件が何かの暗号ではないかと考えて、その意味をさぐってみたりするが、解読できない…。

 静岡県出身だという作者自身の小学校時代の想いでが重なっているような学校生活の描き方に加え、登場人物の思考や行動が変に大人びているように思われ、現実感が今ひとつ感じられないのであるが、それぞれに個性的な登場人物の言動が魅力的である。その中で、語り手の高時が影の薄い存在に設定されているのも面白い。
 学校の裏で文具と駄菓子の店を出している吉田屋のおばば、保健室の先生だが、保健室にはいないでそこらを歩き回ってばかりいる仁美先生、同級生で1年生の妹の面倒をいろいろとみている豪史など多彩な人物がそれぞれ自分の見聞きしたことを話す。一見関係がないようでいて、それぞれに意味があったりする。結末は伏せておくが、果たして4つの事件が同一犯人の仕業かということは疑ってかかった方がいい。むしろ、その推理が強調され、すんなり受け入れられる方に謎が潜んでいる。
 終りの方で龍之介がいう「僕たちが連続消失事件を調べようとしたんだから、他にも同じようなことを考えるヤツがクラスにいても、おかしくはないだろう」(237ページ)というセリフ、また「探偵ごっこが出来て、楽しかったじゃないか」(245ページ)というセリフにこの作品の子どもたちに発信したメッセージが込められているように思われる。もちろん、大人にとっても読み応えのある読み物となっている。
 
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