語学放浪記(50)

8月1日(土)晴れ、依然として暑い

 大学院に入ったのはいいが、大学闘争が展開される中、大学の研究室や教室はほとんど占拠されている。金銭的に豊かな先生はマンションを借りて、自分の研究室にしている。そういう先生の1人が、読みたければもっていっていいよとおっしゃったので、そのまま自分の蔵書としてしまった本が種田照豊(1969)『20ヵ国語ペラペラ』(実業之日本社)である。この本については黒田龍之助さんも言及しているが、いろいろと内容に問題があるにせよ、複数の外国語に挑戦しようという勇気を掻き立ててくれる名著であることに違いはない。どこかで復刊してもらいたい。(黒田さんあたりが少し詳しい解説をつけるか、種田さんもまだ御存命だと思うので、黒田さんと種田さんの対談をつけるというような形で少し内容を刷新しておく必要があるとは思う。)

 種田さんは自分の生涯の中の一つのエピソードとしてそれほど強調をおかずに記しているのだが、注目していい個所が、高校時代に米軍の網走駐屯部隊の兵隊たちに交じってやってきた言語学者の卵オースタリッツ(Robert Austerlitz, 1923-1994)との出会いと交流を描いた部分である。1954年の9月のことである。高校のグランドで野球をしている米兵たちのキャプテンが種田さんのことをThis boy speaks excellent English.と紹介すると、オースタリッツは「私はギリヤーク語を勉強するために網走へ来ました。北海道にはギリヤーク人がだんだん少なくなっているでしょう。網走に中村さんというギリヤークのおばあさんが一人います。その人に録音とらせてもらっています」(53ページ)という。

 そういわれても種田さんにはギリヤーク語というのがどういう言語なのかわからない。そこでギリヤーク語というのはどういう言葉かと尋ねると、「アジアの北方民族の言葉です。アイヌとどんな関係にあるかまだわかっていません。そのほか、オロチョン、ツングース、サモイェドなどとの関係も明らかにされていません」(54ページ)と答える。現在ではギリヤークというよりも、ニヴフあるいはニヴヒというほうが一般的である。アジアの他の北方民族の言語との関係が明らかになっていないのは今でも変わりがないようである。種田さんは話の内容よりも、オースタリッツが日本語を流暢に話すことの方に強い印象を受ける。「私もあのくらいに英語を話せるようになりたい、と思った」(55ページ)。

 翌日、種田さんは網走の郷土博物館の館長の奥さんで、高校で家庭科を教えていた米村先生から自分の家にオースタリッツという言語学者が下宿しているので、遊びに来いと言われる。出かけてみると米村家の2階の四畳半でギリヤーク語の語彙集を作っている。そして中村さんにギリヤーク語と日本語で話してもらったギリヤークの民話の録音を聞かせてくれる。そして、「言語学の仕事には、archaeology(考古学)がたいへん有用です。ですから、ここの米村館長の石のコレクションは大変参考になります」(57-8ページ)という。ここで郷土博物館の米村館長先生と呼ばれているのはモヨロ貝塚とオホーツク文化の研究者として知られる米村喜男衛(1892-1982)のことだと思われる。オホーツク文化についてはいろいろ研究されているが、この文化の担い手は和人ともアイヌとも違う人々で、ニヴフ説が有力ではあるが、もっと別の民族であると主張する学者もいるようである。

 種田さんの本には書かれていないが、オースタリッツは前年の1953年から東京大学で研究をしていた。ニヴフは黒竜江の河口付近に住む人々なので、冷戦下では現地でその言語について研究することは不可能であり、そこで日本に住んでいるニヴフについて事前に調べて、網走を選んだようである。彼が中村チヨさんというニヴフの老婆から聞き取った民話は本にまとめられていて、私の手元にもあるが、今はそれほど入手しやすい状態にはない。これまた平凡社あたりで復刊してくれないかと思っている。

 その後の詳しい経緯が書かれていないので、よくわからないのだが、オースタリッツはいったんアメリカに帰ってコロンビア大学で博士の学位をとり、また日本に戻ってニヴフ語の研究を続け、その後はコロンビア大学を中心に北方の民族の言語の研究を展開したようである。一方、種田さんは1955年にAFS留学生として渡米、帰国後は東京外国語大学に進学するが、途中からイタリア大使館でアルバイトを始め、紆余曲折を経て、通訳業を中心に国際会議などの運営にかかわるようになる。一方は言語学者の道を進んで、多様な言語のあるがままの姿を研究し、他方は国際会議の運営を通じて、異なる言語の仲立ちの仕事に従事する。言語にかかわるといっても、かなり違うかかわり方を選ぶことになる。もっともオースタリッツの奥さんがフィンランド人で(オースタリッツはフィンランド語の研究家でもあった)、種田さんは彼女からフィンランド語を学んだようである。

 オースタリッツはコロンビアでフランスの言語学者であるマルティネに学んだというが、彼の言語学説に関心を持つよりも言語誌的な研究=ギリヤーク(=ニヴフ)を始めとする少数言語に中心的な関心を抱き、種田さんは言語学よりも主要な言語の習得の方に興味を向けたことがそれぞれの人生の違いになったのであろう。なぜ、そういうことになったのかということが、『20ヵ国語ペラペラ』という書物の中でそれぞれの人生に即して掘り下げられていないのは残念である。

 実際問題として、たいていの人は外国語を学んでも言語学者にはならないし、通訳をすることもないだろう。では、何のために外国語を勉強するのか。ある程度までは実用のためであろうが、それだけで終わってはつまらない。言語や文化の違い、その違いの奥行きといったものについての認識を持つこと、自分とは違うものについてそれを大事にしようと思う気持ちを育てることのためではなかろうか。自分が理解できないからといって、それを軽蔑したり、敵視したりするような人間を生み出すことは語学教育にとって負の成果でしかないだろう。
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こんにちは♪

とても興味深い記事で、感謝です♪
初めて知ったことばかりで、驚きました。

ところで、うっかりして自分のブログの壁紙(?)を、たんめん様と同じのを選んでしまいました。
爽やかで気に入っておりますので、ご容赦お願いいたします。

(壁紙が同じでも、こちらの重厚さと違い、記事の軽薄さは改まりませず、お恥ずかしいことですが・・・)

今後ともよろしくお願いいたします。

Re: こんにちは♪

コメントをありがとうございました。返事が遅れてすみません。

壁紙の件、出来合いのものの中から選んだので、ほかにも同じものを選んだ方もあり、また他の壁紙でも何人もの人が使っているものがありますので、特に気にしてはおりません。

> とても興味深い記事で、感謝です♪
> 初めて知ったことばかりで、驚きました。

こちらこそ、山姥さんの暮らしぶりのユーモアたっぷり、涙ちょっぴりの紹介に感心しながら読ませていただいております。人間、自分とは違った世界で、違ったことをして生きている方々の姿と意見に触れると、何かしら学ぶことがあるわけで…。
>
> ところで、うっかりして自分のブログの壁紙(?)を、たんめん様と同じのを選んでしまいました。
> 爽やかで気に入っておりますので、ご容赦お願いいたします。
>
> (壁紙が同じでも、こちらの重厚さと違い、記事の軽薄さは改まりませず、お恥ずかしいことですが・・・)
>
> 今後ともよろしくお願いいたします。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
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