ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(10‐1)

7月28日(火)晴れ、暑さが続く。

 第9歌では、前煉獄の王侯の谷で夜を過ごすうちに眠りに誘われたダンテを、空から助けに降りてきた聖女ルチーアが煉獄の門の前まで運び、ダンテとウェルギリウスは剣を持った天使に護られた煉獄の門を通って先に進むことを許され、先に進むことになる。

門の閾(しきい)のうちに私達は入った。
その門は、人々の魂に巣食う悪しき愛が
歪んだ道をまっすぐであるかのように見せるため、人が通わず、

それゆえに、その後ろで扉が音を立てて再び閉じられるのが聞こえた。
(146ページ) 地上で人々は「悪しき愛」ゆえに権力や財産を欲し、地上の栄光には至るが神に至ることのない「歪んだ」道を「まっすぐ」と考えてしまう。そのために天国に至る煉獄の門をくぐる魂は少ない。ダンテとウェルギリウスが通り抜けた後、門の扉は再び閉められる。煉獄の門を通り抜ける際に後ろを振り返ってはならないと厳命されているので、ダンテは扉が閉まる音を聞くだけである。

私達は一つの岩塊に穿たれた裂け目の中を登っていった。
それは右に左にうねり続け、
まるで寄せては返す波のようだった。
(同上) 2人は煉獄山の急な斜面を苦心しながら登っていく。そして山を取り巻く第1の環道である「台地」にたどりつく。そこには純白な大理石に見事な浮彫が刻まれていた。
自然さえもがその前では顔色を失うほどの出来栄えだった。
(149ページ) 

 2人が最初に目にするのは「受胎告知」、天使ガブリエルが処女マリアに神の子の受胎=神と人類の間の<和解の布告>を行う場面である。マリアの姿には「神の侍女はここにおります」(150ページ、「ルカによる福音書」1.38に見られる) という言葉が刻まれているように見えた。

 この第10歌から第12歌までの間で描かれているのは「高慢」の罪への贖いであり、受胎告知の場面は聖母マリアの謙譲を示すことによって、煉獄山を登る魂たちに教訓を与えるためのものなのである。原さんの解説は「中世人ダンテにとって数は象徴的な意味を持つ。…神の奇跡を表す数字「9」を持つ前歌(第9歌)で、ダンテは天使から告解の秘跡を受けて贖罪の道に入った」(533ページ)といい、さらに、「10」が完全数として神を表しているという。それゆえ、『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』の各々で第10歌は神と直接関係する主題が取り上げられているという。(ところが、一般に理解されている「完全数」というのは、その数自身を除く約数の和がその数と一致する数:例えば6=1+2+3 とか28=1+2+4+7+14をいうので、ダンテの数についての考え方は注意して取り扱う必要がありそうである。)

 この後さらに、謙譲の徳を示す浮彫が2人の眼前に展開されるが、受胎告知の場面と合わせ、キリスト者ではない人間の目から見ると、それが果たして謙譲の徳を示すものであるのか、疑問がわいてくる。

 第10歌の紹介も1回で済ませるつもりだったが、どうもパソコンの調子が悪く、2回に分けて取り上げることになった。ということで、残りの部分は次回に。
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