映画批評の役割

3月8日(金)晴れ

 今日は「まいにちフランス語」の時間だけでなく、イタリア語の時間でも映画音楽作曲家として知られるニーノ・ロータについて取り上げたので、ずっと映画につきあい続けることになった。外国語の勉強よりも、映画…ということである。

 さて、「まいにちフランス語」の本日のテーマはPour les lecteurs en general, a quoi ça sert vraiment la critique de cinema? (普通の読者にとって、映画の批評は何の役に立つのでしょうか? general, cinemaのe にはアクサン・テギュ)というものであった。

 これに対し、ジャン=フランソワ・ロジェは批評は個人、個人に向けられたもので一般大衆を相手にするものではない。その批評を読んだ個人からまた別の個人へと伝わっていくという性格があるとしながら、批評をめぐってはいろいろな見解があるという。批評と映画の興行的な成功にはあまり関係がない。だからla critique n'a aucun role dans l'economie du cinema. (批評は映画産業に何ら寄与していない、roleのoにアクサン・シルコンフレックス、economieの最初のeとcinemaのeにアクサン・テギュ)などとさえいわれている。

 しかし、Certains films ont beneficie de soutiens critiques. (ある種の映画は批評の支持によって恩恵を受ける、beneficieのすべてのeにアクサン・テギュ)。好意的な批評を受けたことで、少しの間、ある種の歴史の中に刻印される作品があるともいう(慎重な言い方)。だから映画批評と映画の経済機構が全く切り離されているわけではない。
 
 読者の立場からすると、批評には知識を与える力があると言える。他人の批評に接したことで、映画の中で自分が見落としてしまったものに気づくかもしれない。Les meilleures critiques sont celles qui m'ont fait honte. (最良の批評とは、それを読むことで恥ずかしい思いをさせられる批評のことだ)そしてもう一度その映画を見ようという気を起こさせる批評がよいのだと言っている。この個所を聞いていて、私は福沢諭吉が『福翁自伝』の中でその師緒方洪庵にオランダ語の本を訳読してもらって自分が全く無知になったような気がしたと述べている個所を思い出した。

 映画批評家が褒めて、興行成績もいいという作品が一番いいのだろうが、そういう例は少ないようである。アカデミー賞にノミネートされたり、映画祭で受賞したりしても、興行成績に結びつくとは言えない。それでも、ロジェが言うように、どこかで記憶に残るということはあるだろう。その記憶がどこまで残っていくかも問題ではあるが・・・。

 ある程度映画を見て、映画批評を読んでいると、どの批評家の目が自分に一番近いかがわかるようになるものである。それでその人が褒めた作品を見るということが映画を見る際の手がかりになる。今は映画雑誌を読まないので、批評家の意見というのはほとんど分からない。また、あまり知りたくもなくなってきている。それでインターネット上でなんとなく空気を察知するようにしているのだが、自分自身の考え方と空気の関係が今ひとつつかみ切れていないという気がする。映画の興行成績は土曜日、日曜日の観客動員が目安になっているのだが、こちらは土曜日、日曜日に映画を見ることはほとんどない。その点がこのことと関連しているのではないか・・・とも思う。

 フランス語のアクサンをいちいち断っているのは、見苦しく思われるかもしれないが、自分の勉強のためにしていることなので、しばらく我慢して付き合ってくださると幸いである。
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