加東大介『南の島に雪が降る』

7月25日(土)晴れたり曇ったり

 加東大介『南の島に雪が降る』(ちくま文庫)を読む。丸々とした体躯にもかかわらず、精悍な感じで機敏な動きを見せ、主役、脇役、悪役とそれぞれの役柄に応じてその個性を生かして好演を見せることが多かったこの俳優が1975年7月31日に没して間もなく40年となる。この時期に、彼が生前に残した唯一の著作から、彼の戦争体験と役者魂とを読み取るのも意味のあることではないかと思う。

 1943(昭和18)年10月に大阪で前進座の舞台に立っていた当時の市川莚司(えんじ)、後の加東大介は2度目の召集を受ける。前回に現役を済ませたとき、伍長勤務上等兵(後の兵長)だったので、召集されると即日、衛生伍長となり、兵站病院に務めることになった。任地に赴く前に世田谷の豪徳寺に分宿、召集されてきた兵士を集めて部隊が編成される。その名簿を見ていたら、長唄師匠という職業を記載した叶谷という二等兵がいた。会ってみると、杵屋和文次という三味線弾きで、『勧進帳』では前進座の舞台を踏んだこともあるという。さらに、宴会で踊っていた前川二等兵がもともとスペイン舞踊の教師であったことを発見する。任地に輸送される船の中で輸送指揮官(輸送の責任者は本科の将校でないとできない。それで病院長の軍医中佐とは別に陸軍大尉が輸送指揮官として船に乗り込むことになる)の横で、実際に命令を下している副官がいたが、これが若手演劇評論家の杉山誠であった。彼から輸送先は西部ニューギニアのマノクワリであると教えられる。大変なことになったと驚いていたが、杉山は兵站地を開いたら、みんなで演芸でもやろうという。とにかく演芸関係者が4人いるということがわかったのである。

 昭和18年11月3日に大阪を出帆して、ニューギニアに到着するのは12月8日である。途中マニラに立ち寄った時、敦賀から出帆して西部ニューギニアに向かうという船団の兵隊に逢う。どうも不思議なことだと思って杉山中尉に聞いてみると、2つの船団のうちのどちらかが相手に沈められることを初めから考えているのだという。その後も救命具の支給の際に病院の連中には救命具は配らないといわれる。病院は船艙にあり、もし魚雷が発射されればあたるのは船艙であるからどの道助からない、不足している救命具を配る必要はないというのである。マノクワリに到着してみると、司令部は立派な建物だが、実は慰安所として建てられたもので、その慰安婦たちを乗せた船がすぐ近くの海で撃沈されたので、司令部に転用されることになったのだといわれる。どうも大変な戦局であるが、それでもしばらくは叶谷とあちこちを慰問したりして時を過ごすだけの余裕はあった。しかし敵が間近に迫って、事態はそれ以上に悪化する。

 マノクワリに敵機がビラをまくようになる。降伏しなければ上陸して総攻撃を掛けるという。怖気づいた首脳部のある将官がマノクワリに残っていた日本陸軍の半分近い1万人に転進命令を下す。「半分は転進し、残りの半数はここを死守せよ」(51ページ)。兵站病院の250名の人員のうち100人が転進に加わることになった。加東は玉砕組に振り分けられた。転進組は南の方に向かって行進を開始した。「私たちに気兼ねして、表情を殺してはいたが、内心のうれしさは、ビンビンとこっちの胸に響いてきた」(同上)。
 ところが、これが、ずさんな計画に基づいて多数の将兵がジャングルの中を当てもなくさ迷い歩き、飢えとマラリアで死んでいったた「ニューギニア死の行軍」の始まりだったのである。

 残された兵士たちはいよいよ覚悟を決めていたが、事態は予測したのとは逆の方向に動きはじめる。それまでの第二軍司令官豊島(てしま)中将に代わって指揮をとることになった深堀少将は連合軍がマノクワリを放置して、ハルマヘラ島に攻撃の矛先を向けようとしていることを察知し、長期態勢をしくように命令する。(なお、ハルマヘラ島にはこれまた戦後映画俳優として活躍する池部良がいて、後年『ハルマヘラ・メモリー』という本をだしている。) 
 そういわれても、食糧の方は底をついているし、士気は滅入る一方である。加東は叶谷の熱心さにほだされて、病院で少しはまともな慰問演芸をすることにした。ある時、ふと思いついて患者の中から飛び入りを募集すると、汚い、やせ衰えて、今にも死にそうな患者が立ち上がる。危ぶんでいると、「長崎物語」を実にうまく歌う。素性を尋ねるともとはコロンビアの歌手で浅草オペラにも出ていたという。喜んだ病院長はこの患者=今川一等兵に秘蔵のパイナップルの缶詰を与える。
 「あとで、本人が大まじめでいっていた。
「私は、あのパイカンのおかげで、生き返ったんです。あれを食べなかったら、たぶん、すぐあとで死んでたでしょうね」」(57ページ)
芸達者をまた一人見つけた加東は、早くよくなれと激励して別れる。

 食糧事情が悪化して各部隊に「野草採集隊」が編成される。「バナナは実だけが食糧ではなかった。幹も、根までも食べた」(60ページ)。それでも農業技師出身の将校がいて、イモの栽培を各部隊に勧める。どうやら餓死しないで済みそうな見通しがつく。そうなるとまた気が緩んで、兵士間の些細なことからのけんか・口論が絶えなくなる。
 1944(昭和19)年の秋に、加東は司令部から呼び出しを受ける。高級参謀の小林少佐と通信参謀の渡辺少佐が兵士相手の演芸会を開いてはどうかと持ち掛ける。杉山大尉(昇進)の意見でもあるが、兵士たちの情操教育のために演芸を見せようというのである。とりあえず試演ということで、司令部の前で加東と叶谷、前川の3人で越後獅子を演じてみる。これを見た深堀少将は演芸分隊の設置を決断する。

 そこで、司令官の名前で各部隊から演芸分隊の要員を募集することになる。映画俳優としての加東大介というと、黒澤明の名作『七人の侍』で最後まで生き残る3人の侍の1人七郎次、加東のはまり役で彼のあだ名の由来ともなった『大番』の主人公・猪突猛進型の株屋牛ちゃん、それに彼の実録を彼自身が演じた『南の島に雪が降る』であろうか。『七人の侍』では農民たちから自分たちの村を野伏から守ってほしいと頼まれた勘兵衛(志村喬)が侍が7人は必要だと人探しを始める。人探しの中で以前、ある城を守っていたときの配下の武士で、落城した際に離れ離れにしまった七郎次に逢う。勘兵衛にとっては信頼できる存在である。思い出話の中で七郎次が「あの時は死ぬるかと思いました」というのが耳にこびりついている。映画を見たときは、加東の『南の島に』がベストセラーになった後なので、彼の戦争体験が台詞の実感を支えているのだなぁと思ったりした。この本を読んでみると、それだけでなく、さらに人集めの実感もこもっていたのだなと気づかされる。(加東は私の父や伯父たちとほぼ同世代であり、伯父たちから「あの時は死ぬかと思った」などという思い出を聞くことがあったのである。)

 演芸分隊は部隊として独立することになる。ということは将校の責任者が必要だということである。小林少佐の提案で、会社の重役で召集を受け、大尉ではあったが司令部の経理部長(司令部の部長は佐官クラスが務めるのが通例だが、戦局の悪化で人材がいなかったのである)をしている村田大尉が選ばれる。分隊要員の選抜試験当日、集まって来た受験生は100人近く、その中の72人が浪花節専攻であった。試験官は村田大尉、小林少佐、それに加東軍曹(昇進)。72人分の浪花節を全部聞かされるのかと思うとマラリアが起こるよと小林少佐が言うと、「我慢して、聞いてやりましょう。みんな、イモの葉っぱの弁当を持って、遠くから歩いて来たんですから…」(72ページ)となだめる。
 合格者第1号は72人目の浪花節受験者=日沼一等兵。本職は針金職人でそちらの方の腕も確かである。第2号は美術学校を出て友禅のデザインをしていた小原上等兵。舞台装置に興味がある。本職は洋服屋の斎藤上等兵が衣装部要員として合格。会社員だが、実家がカツラ屋だという塩島上等兵が加えられる。本職は僧侶で博多仁輪加の名手の篠原軍曹が、軍の規則による様々な問題はあったが、それを何とか解決して採用になる。あとは今川一等兵の病気回復を待つばかりである。

 司令部から正式の辞令が下り、渡辺参謀が加東を全員にあらためて紹介した。「この加藤軍曹は、前進座にいた本職の役者である。みなも知っていると思うが、前進座というのは、沢田正二郎の<国定忠治>で有名な劇団だ」。
「前進座と新国劇をゴッチャにしているのだった」(82ページ)。

 こうして演芸分隊が組織され、マノクワリ歌舞伎座も建設されて、その活動が始まるが、ここまでの紹介が長くなったので、続きは別の機会に譲りたい。笑いながら読んでいたし、このすぐ上の箇所にもみられるように、加東はいかなる場合にもユーモアを忘れない人であったようだ。しかし、そういう笑いの下に隠された戦争の悲惨さの描写を見落とすことはできない。笑いが強調されているから、余計この落差が目立つのである。(直接引用の箇所を除き「加東」に表記を統一しているが、彼の本名は加藤徳之助であり、本文では「加藤」が使われていることを注記しておく。)

 昨夜(7月25日)は作業の最中に寝てしまって、原稿の投稿が1日遅れた。梅雨が明けて猛暑が続き、生活のリズムを維持するのが難しくなってきているが、なんとか頑張ってブログを書き続けていくつもりなので、ご支援をよろしくお願いする。
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