日記より(7月24日)

7月24日(金)晴れたり曇ったり、一時雨、渋谷駅で浸水騒ぎがあるなど豪雨に見舞われた地域もあったようだ。

 午前中、鶴見俊輔さんが亡くなられたことを知る。93歳というから天寿を全うされたといってよい年齢なのだが、それでもまだ生きていていただきたかったという気持ちが消えない。もう少し世の中の移り行きを眺められてからあの世に行かれてもよかったという気がしてならない。

 鶴見さんは、私の恩師の1人の友人であり、スキーで転がったり、座り込みをしてごぼう抜きにされるときの快感を楽しんでいるというようなエピソードから、身近で親しみやすい方だという印象をもっていた。それに長く京都に住まわれていたにもかかわらず、1度も直接お目にかかったことがなく、遠くから見かけるなどということもないまま過ごしてしまい、訃報に接することになってしまったことが残念に思えてならない。

 鶴見さんは哲学者であった。むかし、一高の名教頭といわれた三上隆正は、生徒の質問に対して、哲学は自分の頭で考えることだといった。ただし、その際に他人と対話して、その知恵から学ぶことが必要だと付け加えるのを忘れなかった。鶴見さんは漫画が好きだったが、どんな漫画が面白いかについて、漫画に詳しい友人の意見を聞いてから読む漫画を選んでいたようである。他人の知恵を自分の思索に生かすということに長けた人であったという印象がある。

 鶴見さんは旧制中学時代、いっぱしの不良少年で、そのため前途を心配した周囲によってアメリカに留学させられ、ハーヴァード大学に学ぶことになる。どうもスケールの大きな話だが、自分の頭で考える訓練をアメリカで受けたということがその後の思想の展開に大きな影響力を持ったように思われる。スケールの違いということを胸に刻み込んでおきながら、なんとか鶴見さんの知的営為の後を追いかけていこうと思う。

 話が全く変わって、R.P.ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)』を読み終える。ファインマン(1918-88)は、理論物理学者で、この本は科学少年だった彼がMITを経て、プリンストン大学の大学院に学び、第二次世界大戦中のアメリカの原子爆弾製造計画にかかわり、さらにコーネル大学の教授になるところまでを、実験や発明、いたずらと失敗の様々なエピソードを織り込みながら語った自叙伝である(下巻で、カリフォルニア工科大学に移ってからのことが語られるようである)。理論物理学者ではあったが、実際的な生活や他の学問領域にも興味を失わないその生き方はきわめて魅力的に思われる。

 アメリカの大学は日本の大学に比べて学生の知的な独立を促すということに成功しているのではないか――それはなぜかということを考えてみる必要がありそうだ。(もちろん、アメリカの大学で勉強しても、知的に独立できない学生のほうが多いだろうし、そうでなければ、アメリカが大衆社会であることが説明できない――というのももう一面の真実ではあるだろう。)

 
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