中野重治「歌のわかれ」

7月20日(月)晴れたり曇ったり

 このところ中野重治の『村の家 おじさんの話 歌のわかれ』(講談社文芸文庫)を読み返している。中野がプロレタリア文学の一翼を担って書いた作品から、運動からの転向を表明したものの、執筆活動を続けることが困難な状況の中で書かれた作品までを集めた作品集である。全体を読み終えていないし、中野の戦前における文学活動の全般について論じることはかなりの労力を要する作業なので、ここでは、私が学生時代に何度か読んだ記憶のある「歌のわかれ」について考えたこと、感じたことを書いておこうと思う。

 「歌のわかれ」は雑誌『革新』の1939年4月号、5月号、7月号、8月号に発表された中編小説であり、作者自身をモデルとする北陸の農村出身の青年片口安吉の金沢における旧制高校での生活から、高校を卒業して帝国大学で学生として送る日々までが描かれている。「歌のわかれ」という題名は、この小説の終わりで、旧制高校時代に短歌を作ることに自己の最大の表現を見出していた安吉が帝国大学の中で開かれた歌会に出席して、違和感を感じ、短歌とは別れて「兇暴なものに立ちむかっていきたいと思いはじめていた」(281ページ)ということに由来する。「歌」=短歌は表現の形式の一種である。表現は形式だけでは成立しない。表現すべき内容である感情、あるいは思想があるはずである。安吉が「歌」という表現と別れようとしたことは、彼の思想に変化が生じていたことを示している。(1939年=昭和14年という時期は、その思想的な変化を記述する自由が認められていない時代であった。)

 実際、この小説は安吉の下宿生活や、友人との交流、時々の帰省といったことに多くの紙面を割き、彼の心の動きが主な内容になっているように思われる。しかし、安吉には旧制高校で学び(落第を繰り返しているが)、大学に進学した後で、文学の道に進みたいという志がある。だから、嫌いな勉強はしないし、教科書類はすべての古本屋に売り払ってしまおうと思っている一方で、ドイツ人教師のドイツ語の試験では「できれば百点を取りたいと思ってあれこれと答案をつついていた」(186ページ)りする。

 そういう一種の一途さというのが中野の持ち味ではないかと思う。この作品を読んでいて、私が中野と決定的に違うと思ったのは、地方人である中野が金沢という小都市に違和感を感じ、さらに東京という大都市に違和感を感じ、都市に違和感を感じ続けていることである。私は都会育ちだったので、地方の学校に就職して、どうにも違和感を感じた。中野が生涯を通じて感じていた違和感と、全く逆の違和感が私の中では尾を引いているような気がする。中野の場合そういう違和感を一つの基調として自分の文学の完成へと向かったという点があるだろうが、私の場合には単なる違和感として引きずりっぱなしになってしまった。中野が一途さをもっているのに対し、私の方は気が多いというのも違う点ではあろう。

 安吉=中野が旧制高校で落第を繰り返すことになったもう一つの原因は恋愛事件であり、そのことは小説中では簡単に触れられているだけであるが、この作品集の解説で触れられている中野の旧制高校時代の短歌を見ると、その影響が深刻なものであったことが分かる。恋愛と作歌が重なっているところもあったかもしれない。安吉は東京に出てきて、大学の中で開かれた歌会に参加し、高校時代に経験した歌会とは違った印象を持つ。金沢で感じていた安定した雰囲気が、よそよそしさに取って代わる。とはいうものの地方都市と大都会の違いの1つは、大都会のほうが出会いが多いということである。よそよそしさだけが大都会の雰囲気ではない。東京に違和感を感じながらも、あたらしい出会いによって中野は自分を変えていこうとする。その1つが「歌のわかれ」ということではなかろうか。

 この小説を読んだのは大学生のころで、その後読み返したかどうかは記憶がない。今回読み返してみて、中野が戦後に書いた、安吉の帝大卒業前後の様子を描いた『むらぎも』の内容とこの作品の内容が私の記憶の中でごちゃごちゃになっていることに気付いた。『むらぎも』を読み直してみないとはっきりしたことは言えないが、この2つの作品の中の安吉の姿にはかなりの違いがある。少なくとも「歌のわかれ」では安吉は思想としてのマルクス主義にまだ到達していない。その一方で、自分の郷里の伝承や自分を取り巻く文化的な伝統についてはしかるべき好奇心をもっている。作品中に名前は出てこないが、ハイネが民俗学的な関心を抱き続け敵たこと、中野の業績の1つがハイネの翻訳であったことなども思い出されるのである。

 中野の作品を読み返すことによって、彼の思想形成の軌跡を整理しなおすことは、芸術表現における思想と形式の問題を考えるうえで重要な手掛かりになるのではないかと考えているところである。 
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