見えない神

7月10日(金)晴れ

 久しぶりに晴天に恵まれ、午後から東京に出かけて、神保町シアターで市川崑監督の『プーサン』を見た。東京まで出かけるのも久しぶりだったせいか、ひどく疲れて、新しくものを考える元気が出ないので、昔書いた文章を手直しして、掲載することにする。

 『旧約聖書』の『歴代誌』はアダムから始まったユダヤ民族の系譜と歴史を記している。『上』の最後で、ダビデの王位を継承したソロモンの繁栄が『下』の最初の方で語られるが、彼の死後、王国は北のイスラエルと南のユダヤに分裂する。ユダヤはソロモンの息子であるレハブアムの子孫が王位を継承したが、イスラエルはソロモンの課していた重税に反発したヤロブアムと彼を支持する人々が新たに建設した王国であった。

 イスラエルは周囲の様々な民族の宗教の影響を受け、国王たちは祖先から継承した宗教をないがしろにする傾向があったのに対し、ユダヤでは祖先から継承した宗教を守ろうとする努力が続けられていた。とはいうものの、そこから逸脱する国王もいた。その1人であるアハズは、ユダヤの悪王の1人とされ、「彼はイスラエルの王たちの道を歩み、その上バアルの神々のために像を鋳て造った。主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、ベン・ヒノムの谷で香をたき、自分の子らに火の中を通らせた。またまた聖なる高台、丘の上、すべての茂った木の下でいけにえをささげ、香をたいた」(新共同訳、歴代誌下28.2-5)とその治政ぶりを要約されている。ユダヤの王であるのに「イスラエルの王たちの道を歩み」というのは厳しい評価である。

 要するに祖先から継承したユダヤ民族の神、唯一神、偶像崇拝を拒否する神ではなく、そのほかの神々を(あるいはそのほかの神々も合わせて)信じるようになったということである。多神教的で、現世利益的な信仰が前面に出てきたということでもあるらしい。

 もともとユダヤ民族は遊牧民族だったが、カナンの地に定住して農耕民族化すると、周囲の民族の影響で農耕神(雷の神)を信じるようになったと考えられている。ユダヤ民族は12支族の連合体で、それらの支族は共通の祖先をもつと信じられていたが、実はそうではなくて異質な集団の連合体であったのではないかという学者もいる。この考え方からすると、12支族のすべてが遊牧民族だったのではなくて、中には初めから農耕民族であったグループもいたのかもしれない。ユダヤの神はこのような12支族統合の要となる神であった。その信仰が揺らぐということは民族の結合が弱まることでもあった。

 私の旧知のある聖書研究家によると、北で盛んであり、南にも影響が及んだ「聖なる高台」の祭祀は日本の神道に似たところがあり、そのことが聖書の理解に役立つと語っていた。この考えにはいろいろと教えられるところがあったのだが、疑問に思うとこrもある。神道(あるいは日本人の原初からの信仰)における神は、歴史的にさまざまな解釈や意義付けをされながら、姿を現さない、隠れた神であるという点は維持し続けたのではないかと考えている。この点は旧約聖書の編纂者から批判された「聖なる高台」の信仰よりも、ユダヤ民族が祖先から継承した神についての考え方に似ているのではなかろうか。

 北にイスラエル、南にユダヤという2つの王国に分裂した時代となると、本来の信仰と農耕神であるバアル信仰とが混ざり合い、日本で固有の信仰と仏教が混ざり合ったのと同じような現象が起きる。それでも、ユダヤ民族は偶像崇拝を退けようとしたし、日本でも「仏は常にいませども、うつつならぬぞあはれなる。人のおとせぬ明け方に、ほのかに夢に見え給ふ」という今様に歌われているように、仏が、日本の固有の神のように見えない存在であるという考えは尾を引くのである。

 もちろん、日本の八百万の神々の中には住吉大神のように時として姿を見せると信じられている神もいて、話はそれほど簡単ではないのだが、「神は見えない」というのが一般的な理解であったし、それは尊重すべき伝統であると私は考えている。日常的な経験のレヴェルで宗教を考えるというのも1つの生き方ではあろうが、宗教は現実の日常のかなた、抽象的な世界について考える一つの手掛かりとして重要なのではないかと思うのである。
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