ローマ帝国の言語

7月6日(月)雨が降ったりやんだり

 水村美苗『増補 日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(ちくま文庫)を読んでいる。いろいろと考えさせる本である。

 この書物の中に次のような個所がある:
…ローマ帝国が滅びてからなんと10世紀にわたってラテン語はヨーロッパの<普遍語>としてしぶとく生き延びた。(66ページ)
子の歴史的な事実を踏まえると、英語も「少なくとも私たちの知る文明が存続する限りの<普遍語>となる可能性が限りなく強いのである」(同上)という。

 ある言語が人々の間で使用されるのは、一方で国家による言語政策の結果であるが、そのほかに経済的な要求や宗教的な制度などの様々な影響も受ける。現実問題として、ラテン語がヨーロッパの<普遍語>となっていった理由はそれほど単純なものではなさそうである。蔵書を整理していたら、John Sawyer, Sacred Languages and Sacred Texts(ジョン・ソーヤー『聖なる言語と聖典』)という書物が出てきた。この書物の中に、紀元200年頃のローマ帝国の言語状況について触れた個所がある。

 それによると、ローマ帝国の西の部分(北はガリアとゲルマニア、南はスペインと北アフリカ)では教養のある人々はラテン語を使用していたが、この外にギリシア語もできる人が多かった。
 人口の大部分はそれぞれの地域の言語を話していた。例えば北アフリカではベルベル語かフェニキア語、ブリテン島とガリアではケルト語、ゲルマニアではゴート語という具合である。
 一方、東の部分(東はペルシア、南はアラビアまで)では教養のある人々はギリシア語(コイネー)を使用していたが、ラテン語もできる場合が多かった。
 人口の大部分はそれぞれの地域の言語を話していた。例えばパレスティナではアラム語、エジプトではコプト語、その他小アジア、アラビア、ペルシアの諸言語が話されていた。

 ローマは帝国の統治に分割統治政策をとっていたから、ラテン語の使用を強要しなかったのである。それでもラテン語が浸透していったのは、英国のインド統治における英語の場合とよく似ているが、植民地統治者と現地民の中間の媒介者になるためという理由と、経済的な理由のどちらか、あるいはその両方のためである。

 既に書いたように、帝国の東の部分ではラテン語よりもギリシア語のほうが盛んに使われていた。ソーヤーの書物の中に、イエスの時代にはユダヤでは広い範囲でギリシア語が使われていたと書かれていた。しかし、日常的にもっとも広く使用されていたのはアラム語であり、少数ながらヘブライ語を使う人々もいた。ヘブライ語よりもギリシア語を使う人が多かったことは確かである。イエスの12使徒の中でも半数近くがギリシア語の名前をもっていた:ペトロ、アンデレ、フィリポ、タダイ、バルトロメオである。この中でタダイというのはギリシア語の名前のテオドトゥスがアラム語化した形、バルトロメオはバル≂プトレマエウス(プトレマエウスの息子」という意味であった。

 ラテン語もかなり普及していて、イエスが十字架に架けられた時の罪状書きはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた(ソーヤーは「ヨハネによる福音書」の19-21にそう記されていると書いているが、私が「新共同訳」にあたってみたところでは「それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた」(19-20)とあった。) ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語は公式に使われる言語であったが、アラム語は日常生活の言語であったということらしい。

 で、何が言いたいのかというと、言語はそれが話されている国家と無関係ではないが、国家との関係だけを強調しすぎるのはその本質を見誤ることになるのではないかということ、ラテン語の場合にはカトリック教会や、西欧社会における学問文化の発展との関係を重視すべきであるし、英語の場合にも国際的な経済活動や、水村さんも「今やインターネットという技術も加わった」(66ページ)と書いているようにインターネットの存在などに支えられて浸透しているという側面がある。また、ラテン語が結局、ポルトガル語、スペイン(カスティーリャ)語、ガリシア語、カタルーニャ語、フランス語、ラングドック、イタリア語、ルーマニア語等々に分化していったように、英語も世界中に浸透・拡散している一方で、多様化している現実がある事も無視すべきではないだろうということである。

 文学を専攻し、自身作家である水村さんが言語の運命として考えていることと、私が言語の運命として考えていることは重なる部分と、重ならない部分があるのは当然のことであるが、水村さんが日本語の運命についてどのような予見を抱いているのかはさらにこの本を読み進まないとわからない。途中まで読んだだけで書いた感想なので、全体を見ないで部分的なことだけについて触れた、多少無責任な意見の開陳になっているかもしれないが、考えたことを取りあえず記しておいた。
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