小林登志子『文明の誕生』

6月28日(日)雨が降ったりやんだり

 6月27日、小林登志子『文明の誕生』(中公新書)を読み終える。著者は冒頭P・ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という油彩画を取り上げて、この書物の目指すものが「我々の文明はどこから来たのか 我々文明人は何者か 我々の文明はどこへいくのか」であるという。古代メソポタミアの最初期の文明であるシュメル文明についての長年の研究成果を基礎に据えて、文明とは何かを問うている。文明には時空を超えた共通性があり、我々の生活にはシュメルをはじめとする古代文明に起源をもつさまざまな道具や消費財が見いだされることを、さまざまな事例を引き合いに出して論じている。

 明治の文明開化以後、日本は本格的に西洋文明を受け入れ、悪戦苦闘を続けることになったが、その西洋文明の源流にあるのはシュメルに始まるメソポタミア文明であるという(異論を唱える向きもあるだろうと思う)。「文明社会には叡智もあれば、悪徳もある」(ⅲページ)。それは古代も現代も変わりがない。「物事の本質は祖型にこそよくあらわれる」(ⅳページ)。だとすれば、われわれが古代文明、とくにシュメル文明から学ぶことは少なくないのではないか。
 「本書が、「我々の文明はどこへいくのか」を考える際のヒントになれば、著者は本望である」(同上)とも書かれている。シュメル文明についての体系的な著述というよりも、シュメル文明とその後の様々な文明に現れる共通点をいわば雑学的に取り上げて論じながら、著者は読者がそこから何かの示唆を得ることを期待しているようである。

 この書物はその性格上かなり多くの話題を盛り込んでおり、
序章 都市国家とは――ギルガメシュの城壁
第1章 職業と身分の文化――シュメル版「職人尽」
第2章 時は力なり――暦と王朝表
第3章 交通網の整備――「下の海から上の海まで」を支配したサルゴン王
第4章 金属の利用――銀と銅
第5章 文字の誕生――楔形文字が結んだ世界
第6章 法の誕生――男と女のもめごとを裁くには
第7章 王の影法師――「ウルのスタンダード」は語る
第8章 詩を編む女、子を堕す女――女性たちの光と影
第9章 安心立命の仕組み――グデア王の釘人形
終章 歴史をきずいた「相棒」――馬を見たシュルギ王
という11章からなっている。序章、終章と銘打たれているが、そこに全体の構成にとって重要な内容が含まれているかどうかは疑問である。とにかく、話題の宝庫、文明にかかわる話題が無造作に詰め込まれているという感じである。今回はとりあえず第3章までの内容を紹介して、簡単な論評を付け加えることにしておこう。

 序章ではシュメル文明が都市国家を基盤に発展したこと、文明と都市国家、城壁の関係について論じられている。著者も指摘しているように日本の都市では環濠や塀は作られても、城壁は作られなかった。これはおそらく、海岸まで急峻な山が迫る日本の地形では天然の要害が城壁の代わりをしたからであるが、その点については著者は触れていない。見渡すばかりの平原が続くような土地では、城壁をめぐらして自分たちの都市を守ることは重要な防御策であった。都市は経済活動の中心地であったが、それゆえに自分たちを守る必要もあったのである。城壁をきずくことは都市国家の領主である王の務めであり、ギルガメシュは父子を求める旅が失敗に終わった後、王の責務を果たすべく壮大な城壁をきずく。その後も西洋の文明の中にある都市では城壁の建造とその城壁で守られた都市の攻略戦が続けられることになるのである。

 第1章では序章で述べられていたような城壁の内側にはどのくらいの数の人々が住み、どのような職業に従事して、どのような生活を送ってきたかについて述べられている。ここでは急にローマ帝国の初代皇帝であるアウグストゥスが行ったとされるケンスス(census=英語のcensus、日本語としても使われるセンサスの語源である)について取り上げられている。古代ローマでは王政時代からケンススが行われていたとされるが(定かではない)、アウグストゥスは自分の治世中に3度帝国全域におけるケンススを行ったことを誇りにしたそうである。
 それから著者はシュメル都市国家の人口をめぐる研究者たちの推計の結果について紹介しているのだが、どうもはっきりした数字は出ないようである。ただ、これは多ければ多いほど良いというものではない。確かアリストテレスは、都市国家の人口は8.000人くらいがいちばんいいと書いていたと記憶するが、これはかなり信頼できる議論であると私は思っている。ただ、その8,000人の内訳も問題である。
 シュメルの遺跡からは「職業名表」が出土していて、当時どのような職業が存在すると認識されていたかがわかる。その一方で「最古の文明社会シュメルは法の下に平等ではない身分制社会であった」(43ページ)。その一方で経済的格差が拡大すると、格差を是正することも行われていたという。一種の「徳政」が行われたり、弱者を保護する政策がとられたりする一方で、差別される弱者も存在したという。

 第2章では「時間は支配の道具である」と書き起こされ、人々が暦や、為政者の定めた時間に従って暮らすことが文明の秩序を維持する営為であったと論じられている。シュメル文明で採用されていたのは、基本的には月の運行を暦の基礎とした太陰太陽暦であった。しかし1年を354日とするこの暦では、季節の変化とのずれが生じるために、閏月が設けられていた。(「旧暦」のほうが季節の変化をよく反映しているなどとほざいている連中は、このあたりの歴史をきちんと勉強してほしいものである。) 暦は権力者の威信を示すものとして支配の道具として利用された。また、暦法の整備はそれに伴って帝王の事績を時間的に整理する年代記の編纂を促すことになった。

 第3章ではティグリス川、ユーフラテス川の河川交通がシュメル文明、その後のメソポタミア文明の発達に果たした役割が論じられ、河川交通だけでなく、海上交通や、陸上の道路網の整備までが進められたことが記されている。交通事故の処理に関する法律が整備される一方で、すでに地中海からインド洋に至る海洋が為政者たちの視野に入っていた。道路には軍用道路と生活道路があったが、人々がより多く利用し、その後も長く残ることになったのは生活道路の方である。

 シュメル文明は30を超える都市国家によって形成された文明であり、まだ統一的な国家が形成されなかったし、これらの都市国家のなかにはまだ発掘されていないものもあるので、全貌が分かっていない。したがってその後の文明との関係や類似性・共通性などもこれから新しく発見される部分もあるのではないかと思う。著者は自分のあらゆる知識を動員し、歴史上の様々な文明、明治維新以前の日本の文明についても触れながら議論を展開しているが、十分に理論的に整理された議論というよりも、雑学的な知識と批評の寄せ集めという印象を否定できない。それだけに突っ込みどころ満載という感じであるが、既に述べたように著者自身がそのような突っ込みと、そこから人類の文明についての具体的な、あるいは体系的な考察に関心をもつ若い世代の出現を期待していることが見て取れる書物なのである。
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