『太平記』(48)

6月5日(金)曇り、夜になって雨

 元弘3年(1333年)、3月、隠岐に配流されていた後醍醐帝は、警護役の佐々木義縄(よしつな)の手助けで、六条(千種)忠顕を供として幽閉されていた御所を脱け出された。とはいうものの、港までの道もわからず、歩きなれていないこともあって、思いわずらわれながら露深い野道をさまよわれていた。

 夜道を歩くうちに時間がたち、人里が近いとわかる寺の夜明けの鐘の音が、月の光に和して聞こえてくるのを道しるべとして、ある民家を訊ねあてた忠顕は、その家の門をたたいて、「千波(せんば)の港へはどちらの方に行けばいいのだろうか」と問うと、家のなかから身分の低い男が出てきて、天皇のご様子を窺い、このような身分の人間であっても高貴な人であることがすぐに分かったのだろうか、「千波の港へは、これからわずかに50町ばかりでございますが、路が南北に分かれて分かりにくいので、迷われることもあるかと思いますので、私がご一緒致しましょう」と申しあげて、天皇を軽々と背負い、間もなく千波の港に着いた。脚注によると1町は約109メートルとあり、50町は5キロ強ということになるから、「わずか」といえる距離ではない。歩きなれている田夫と、めったに歩くことのない貴人との脚力の差が際立つ距離である。

 ここで時間を知らせる太鼓の音を聞いたが、夜はまだ五更の初め(=午前3時か4時ごろ)であった。この道を案内して来た男がかいがいしく港中を走り回り、伯耆の国(鳥取県西部)に戻ろうとする商人たちの船を見つけて、これに一行を便乗させることを頼んで、いとまごいをして去って行った。この人物は只者ではなかったのだろうか、その後、世の中が変わって恩賞をとらせようと探し回ったのだが、名乗り出るものが現われず、ついにどこの誰であったかはわからずじまいであったという。よくある話で、神々が人間の姿を借りて天皇を助けたとも考えられるし、あるいは名利に恬淡とした人物で全く恩賞には興味がなかったのかもしれない。自分は世の中を動かす大きな仕事をしたのだと、心の中で満足しているだけというのもなかなかすごい話ではある。

 夜もすでに明けたので、舟人は纜を解き、帆を上げて、港の外に漕ぎ出した。船頭は天皇のご様子を見て、高貴なご身分の方であると察し、このようなことで船を進めるのは生涯の面目というべきで、どこの裏に舟をつけよといわれてもその通りにいたしますと申し上げる。忠顕はこれを聞いて、自分が同行しているのは後醍醐帝であることを打ち明け、出雲、伯耆のどちらでもいいので、しかるべき港に急いで船をつけるように言いつける。もし、首尾よくいけば、船頭を武士に取り立て、領地を与えるであろうという。船頭は喜んで船を進める。

 海の上、20里、あるいは30里ほど進んだかと思ったところに、同じように追い風に乗って10艘ばかりの船が後を追いかけてきた。筑紫舟と呼ばれる九州からの交易船か、その他の商人の船かと思ってみていると、そうではなくて、後醍醐天皇を幽閉していた隠岐前司清高、その弟の能登守、三河守たちが天皇を追いかけてきたのであった。船頭はこれを見て、こうしてはいられません、隠れてくださいと天皇と忠顕を船底にお移し申し上げ、その上に相物という塩魚・すし魚の類を入れた俵を積み上げて、櫓の漕ぎ手の水夫と梶取の船頭がその上に並んで櫓を押し続けた。そのうちに追っ手の舟が一艘、追いついてこの船の中に追っ手の武士が乗り込んで調べたが、それらしき人物は見当たらない。船頭にあやしい人物を見かけなかったのかと聞くと、もう5,6里先に舟を走らせているはずだと答えたので、その言葉を信じてこの船は離れて行った。

 どうやら虎口を脱したと安心していると、またもや100艘余りの(少し大げさではないか)追っ手の舟が迫ってきたので、船を急がそうとするが、風向きが変わって船がなかなか進まない。後醍醐天皇が肌身は出さず身につけていらしたお守りの仏舎利を1粒取り出して、懐紙に乗せ、波の上に浮かせると、竜神がこれを納受したのであろうか、海の上の風向きがにわかに変わって、一行が乗った船は東に向かい、追っ手の舟は西に吹き戻された。こうして、後醍醐天皇は危ないところを脱して、御舟は間もなく伯耆国名和の湊(鳥取県西伯郡大山町名和)に着いたのであった。

 こうして後醍醐天皇は隠岐を脱出され、しかるべき武士を味方につけて、倒幕の企てを再び進めようとされるのである。天皇の前途にはどのような運命が待ち受けているのであろうか。隠岐からの脱出の経緯を見ても、時代の動きが天皇に味方しているように見える。このような動きを天皇ご自身はどのように御覧になっていたのであろうか。 
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