脇村義太郎『趣味の価値』

6月4日(木)晴れ

 1967(昭和42)年に岩波新書の青版の1冊として発行された書物であるが、「はしがき」に記されているように、1950年に雑誌『世界』に連載した「主として特種な商品の希少価値を論じた」(ⅰページ)論考を、20年以上たって時代の変化に合わせて書きなおしたり、新たに稿を起こしたりして1冊にまとめたものである。著者が戦前(1935~1937年)にロンドンで過ごした留学生活の中で得たロンドン(とその他の欧米の都市)の商人たちと企業についての知識がまとめられ、葡萄酒や美術品についてのうんちくを傾けた書物という以上に、これら商品にかかわった商人たちの姿を様々に描き分けた人間味に溢れた内容になっているのがこの書物の魅力である。

 私の手元にあるのは1974年6月に刊行された第6刷であり、どういう事情でこの本を買ったのか忘れてしまったし、普通だと書店でくるんでくれるカバーをとって、保存用のフィルムをかぶせて持っているので、どの本屋で買ったかもわからない。大学院の博士課程の3年次にいて、この先どこの学校で採用してくれるのかというようなことを気にしながら過ごしていた中で、多少は気持ちのゆとりを求めてこの書物を買ったのだろうと思う。そして、それから40年以上にわたって、何度も読み返してきただけでなく、ロンドンへのあこがれを育み、またいろいろな雑学を展開する際の出発点として役立ててきた。

 書物は「葡萄酒の経済学」、「スコッチとアメリカン・ウィスキー」、「紅茶物語」、「ダイヤモンドの価値」、「スイスとアメリカの時計――ウォルサム会社の破たんと再建――」、「国際商品としての郵便切手」、「美の商人たち――なぜロンドンが国際美術品市場の中心となったか――」、「ペルシャ絨毯の美――アルメニア商人・マンチェスター商人・ロンドン商人――」、「美術蒐集家としての石油人――蒐集の楽しみ――」の各章からなる。今回は前半の「ダイヤモンドの価値」までを取り上げようと思う。

 葡萄酒はリカード―以来、「国際的分業、比較生産費説の具体的」(7ページ)な例として経済学の議論の中で常に取り上げられてきた(確か、大学の教養部の経済学の講義でも聞いた記憶がある)。「それは18世紀におけるイギリスとポルトガルのような葡萄酒の取引について友好関係が存在しており、ことにポートワインのような海上運送に十分耐えることのできる、すなわち、国際貿易に適した強い性質をもつ特別の葡萄酒があって初めて成り立つ議論なのである」(7-8ページ)という。その後の国際的な交通手段の変化やその他の環境の変化は葡萄酒の国際的な性質を大きく変化・発展させてきたはずである。それでも、戦後の社会の変化と関連して、イギリス人の嗜好がシェリーに傾いていった過程について納得のいく説明をしているのはさすがである。

 「スコッチとアメリカン・ウィスキー」は、「第1次世界大戦は世界的に禁酒や節酒の傾向をもたらして、酒造業に大きな打撃を与えた。ところが第2次世界大戦は、その事業に対し繁栄をもたらした」(21ページ)と書きだされていて、戦争と酒の関係が一通りではないことをまず認識させる。この章ではスコッチ・ウィスキー、アメリカン・ウィスキーの製造法の違いやその醸造・販売をめぐる企業間の競争の歴史などが語られているが、最後に戦後におけるスコッチの品質の低下について触れて、これが古いスコッチ原酒の貯蔵量の低下に起因するのではないかと推測している点が注目に値する。(品質が低下したかどうかが判断できるほど、こちらが経験を積んでいないのが残念である。)

 「紅茶物語」では中国の茶からインドの茶、帆船(ティー・クリッパー)による輸送から汽船による輸送への変化、プランテーションの発展や競売市場の整備、エイジェントやパッカーなどの茶商人の出現などが簡潔に語られている(今では他の書物が出ているから、なにもこの本を探して読むこともないのだが…)。パッカーのなかでも特に成功をおさめ、事業家としてだけでなく、ヨットのアメリカ・カップに5回チャレンジしたことでも知られるトマス・J・リプトンについてかなりの分量が割かれている。リプトンについても最近では少なからぬ評伝が書かれているので、もっと詳しいことはそちらに譲るにしても、この人物に興味をもつ手掛かりにはなりそうである。イギリスの職場生活におけるティー・タイムについての記述、また茶の原産地における植民地的単一耕作型生産の問題について触れているところは、経済学者ならではの目の付け所であろう。

 「ダイヤモンドの価値」では、この宝石の成り立ちに触れたうえで、経済学とダイヤモンドの関係が辿られる。アダム・スミスは『国富論』でその産出が衰えていたインドのゴルコンダの鉱山のダイヤモンドについて触れ、マルクスは『資本論』において18世紀には盛んだったが、19世紀になって経営的に行き詰まってきたブラジルのダイヤモンド鉱業について取り上げた。しかし、その後、南アフリカで巨大なダイヤモンド鉱脈が発見された。ダイヤモンドは宝石としてだけでなく、工業用にも利用され、このことがダイヤモンドの価格の安定に役立っているという。また第二次世界大戦後、価値の退蔵手段として、あるいは投資の目的物としてダイヤモンドの信用は大きくなっているようであるという。

 以上のように経済史、経済学説史のさまざまな場面に嗜好品や宝石、その他の贅沢品がかかわっていることが分かる。それらは経済活動の本筋にかかわることではないかもしれないが、人間の経済生活を考えるうえで無視できない、そしてどこかしら楽しみを与えてくれるものではないかと思うのである。(続く) 
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