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ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(5)

6月2日(火)晴れ後曇り

私はすでにあの影たちから離れて、
わが導き手の背中につき従っていた。
(74ページ) すると、ダンテの肉体が影を引いていること、生者がここにいることに驚き、心を奪われる人々の声が聞こえた。これは彼らが肉体を伴っていた地上の記憶に執着しているためである。ダンテは心を乱して、
この言葉が発せられた方に私は目を向けた。
(同上) しかしここでウェルギリウスは、彼に対して
「なぜおまえの心は乱れて
――師は言った――歩みを鈍らせてしまうのか。
ここで囁かれていることがおまえにとって何だというのか。

我が後に続け。人々には言わせておけ。
堅固な塔のごとくあれ、それはいかなる風が吹きつけようと
決して頂を揺らすことはない。

というのも、ある思考から別の思考が芽吹き、
自ずと目標から逸れていくのが人の常であるからだ。
新たな思考がもとの思考の力を挫くがゆえに」。
(74-75ページ) と彼を戒める。塔のたとえは、ウェルギリウスの『アエネイス』からの引用だそうである。ダンテは自分の非を認めて、天国へ向かって前進することを誓う。

 ダンテはこの後、暴力により命を絶たれた人々に出会う。彼の同時代人である彼らは悲劇的な死の記憶を語るが、今際(いまわ)の際に己の罪を悔悛し、己を殺した相手を許したのである。
 これらの人々はダンテの同時代人か、彼よりも少し前のイタリア人であったが、彼の直接の知人はいなかった。ダンテと最初に話をするのは、ファーノの貴族で軍人政治家であったヤコポ・デル・カッセロ(1260-1298)であった。彼は1298年にミラノの最高執政官に招聘された際に、政敵であるエステ家のアッツオⅧ世によって暗殺された。彼はアッツォⅧ世を非難しつつも、自身が罪深い人生を送ったことを否定しなかった。
 次に現れたのは傭兵隊長でウルビーノの僭主となったブオンコンテ・ダ・モンテフェルトロ(1250/55-1289)で、1289年にフィレンツェ教皇党とアレッツオ皇帝党の間でたたかわれたカンバルディーノの戦いで戦死した。実はこの戦いにダンテもフィレンツェ教皇党の一員として加わっていた。しかし、神のもとに赴くことを志す煉獄ではかつての2人の敵対関係は解消している。そして生者の祈りにより贖罪の期間を短くしたいという彼の頼みをダンテは受け入れる。最後に、ダンテの前にピア・デ・トロメーイという頼高貴な身分の女性と結婚したいと願った夫に裏切られて殺された女性が現われて、地上に戻ったときは、自分を思い出してほしいと呼び掛ける。

 ダンテとウェルギリウスはまだ煉獄の本格的な旅を始めていないが、それでも出会う霊たちから様々な物語を聞く。地獄で出会った霊は生きている人々に自分たちのことを思い出すように望むだけであったが、煉獄では自分たちが煉獄で過ごす期間が短くなるように祈ってほしいと願う。地獄の旅が地球の中心に向けての下降であったのに対して、煉獄の旅は天に向かっての上昇である。必ずしも明るいものではない現実の世界の記憶を伝えながらも、『煉獄篇』にはどこか希望の明るさが感じられる。
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