須賀敦子『遠い朝の本たち』

5月28日(木)晴れ、暑し

 どうも考えがまとまらないので、17年前の1998年5月に書いた文章を探し出してきた。須賀敦子『遠い朝の本たち』(筑摩書房、1998)の書評(のつもり)である。

 何度もそのエッセーの中に記されてきたように、須賀さんは少女時代からカトリック系の女子校で教育を受け、かなり長い間海外で生活して、外国文化に親しんでこられた。そういう長年の異文化接触の蓄積が控えめながらも強い印象を残す表現でつづられているのが須賀さんの文章の魅力であった。女性が高等教育を受けるのがまだそれほど一般的ではない時代に大学院まで進学し、フランス、イタリアに留学、親友がカルメル会の修道女になったり、イタリア人の夫と死別したりという決して軽くはない経験を重ねて、かなり高齢になってから文筆家として出発された。その比較的短い期間に書き残した随筆賞の輝きを残して、比較的早く亡くなられてしまったのは残念至極である。イタリアとイタリア人の生活についてはやくから達者な筆を走らせてきた塩野七生さんが学習院出身であるのに対し、イタリアでの自分の経験を大事に語る須賀さんが聖心女子大学出身であるのも興味深い対照である。須賀さんの場合単純にイタリアが好きというのではなくて、英文学からフランス文学、イタリア文学とその関心を移し、フランスを経てイタリアに留学されたという経歴からも明らかなように、もっと広い西ヨーロッパ全体を見渡している視野の広さが窺われるのも特徴的である。かくいう私もカトリック系の学校(男子校だが)で6年ほどを過ごしたので、著者とどこかで共通する経験をもっていることも親しみを感じている理由であろう。

 修道女になった後、50歳を過ぎたばかりで死んだ親友の思い出が、一緒に読んだ書物の思い出とともに語られたり、たまたま住んだ家の隣の住人であった俳人原石鼎のこと、私家版で発行されていた松田瓊子の少女小説のことなど貴重な記憶がさりげなくかたっれているのがこの著者らしい。(松田瓊子は野村胡堂の娘で、経済史学者の松田智雄の夫人であったが、早く没した。年配の女性でこの人の作品が懐かしいと書いている人が少なくない。)

 この本の中で須賀さんは詩人になろうと思っていたと告白されているが、文学へのそのような思いがその文章に独特の格調を与えているのではなかろうか。とはいえ、これまでも何冊かの著書の中でいくつかの印象的な詩の翻訳に接してきたのではあるが、須賀さん自身の詩というものを見かけたことがない。私が見落としているだけなのか、あるいはどこかに草稿として眠っている状態なのか。あるいは心の中で温められていた言葉が、とうとう形をとってふき出さないままになってしまったのか。それでももし草稿が残っているのであれば、なんとか詩集としてまとめてほしいと思う。

 若い日々に詩人を目指したことの反映なのであろうが、須賀さんは誌の翻訳者として一流の方であった。ご本人にとってもかなり重要な意味をもっていたはずのダヴィデ・マリア・トゥロルドの詩の翻訳を『コルシア書店の仲間たち』から引用しておきたい。
 ずっとわたしは待っていた。
 わずかに濡れた
 アスファルトの、この
 夏の匂いを。
 たくさんねがったわけではない。
 ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
 軌跡はやってきた。
 ひびわれた土くれの、
 石の呻きのかなたから。
(『コルシア』35~36ページ)

 この本を買って最初のページから順繰りに読んでいったのだが、最後の方に思い出したように、「ダフォディルがきんいろにはためいて……」という学生時代に読んだ英語の詩集についての思い出をつづった文章が収められていた:
 イギリスの詩集といっても、そのころの私は、ほんとうのところ「抒情詩」とはどういうものなのか、詩の虚構とはどんなものなのか、詩という表現が散文のそれとはどんなふうに違うのか、なにもわかっていなかった。(いまだって、あまりわかってはいないけれど。) ただ、自分は散文よりも詩が好きだ、という天から降ってきた確信のようなものに振りまわされていて、それが私を詩に駆りたてていた。でも、私のなかにわだかまっていた詩そのものについての百の疑問は、まず英語をとことん教えこもうと日々躍起になっていたシスターたちには通じなくて、私は雲のなかを漂うように、詩を愉しみ、味わっていた。こうして私がはまりこんだ詩のなかにワーズワースの有名な「ダフォディル」があった。
 谷や丘のずっと上に浮かんでいる雲
 みたいに、ひとりさまよっていたとき、
 いきなり見えた群れさわぐもの、
 幾千の軍勢、金いろのダフォディル。
 みずうみのすぐそばに、樹々の影に、
 そよ風にひらひらして、踊っていて。
            (199~200ページ)
 ダフォディルを「ラッパズイセン」と訳さない理由を須賀さんは付け加えている。ひとつひとつの言葉が文化的な、あるいは社会的な背景をもっているという認識が窺われて貴重な発言である。

 クロード・シモンの『人間のしるし』をめぐって様々な議論をした大学院時代を回想する「クレールという女」では「共通の世界観とか、自由なままでいるなかでの愛とか、まだ本当に歩きはじめてもいない人生について流れる言葉は、たとえようもなくかるかった。やがてはそれぞれのかたちで知ることになる深いよろこびにも、どうにもならない挫折にも裏打ちされていなかったから、私たちの言葉は、その分だけ、はてしなく容易だった」(183~184ページ)という思い出と、「人生がこれほど多くの翳りと、そして、それとおなじくらいゆたかな光に満ちている」(185ページ)という現在の思いとが対比されている。そしてこの対比のなかに須賀さんが感じていたことばと経験の関係が要約されているように思われる。
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人間のしるし

 クロード・シモンの「人間のしるし」懐かしいですね。まだ我が家に残っているはずだけど、半世紀読み返していません。この本に関する須賀さんの文章にも、今回初めて接して思い深いものがありました。
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