『太平記』(44)

5月16日(土)曇り

 元弘3年(1333年)2月、楠正成の立て籠もる千剣破城(ちはやのじょう)を幕府方の大軍が包囲したが、正成は智略を用いて再三敵を撃退し、幕府方は打つ手があまりなくなって長期の兵糧攻めに持ち込もうとした。

 戦闘がなくなったので、包囲を続けている幕府軍は暇を持て余すようになった。それで大将たちはその陣営に、当時、遊女が多くいたことで有名だった江口(大阪市東淀川区江口)、神崎(尼崎市神崎町)から遊女たちを呼び寄せて、さまざまな遊びにふけるようになった。北条一族の名越(なごや)遠江入道(=宗教)は甥の兵庫助と遊女たちの目の前で双六をしていたが、さいころの目をめぐって口論となり、気がたっていたのだろうか、刀を抜いての斬り合いになって叔父と甥が刺し違えて死に、その引き連れていた郎従たちもお互いに斬り合いになって200人余りのものが命を落としてしまった。千剣破城に立て籠もっていた兵士たちはこれを見て、「十善の君に敵し奉る天罰によつて、自滅する人々の有様を見よ」(341ページ、前世で十全会を保ったものが王になるという仏説により、天皇のことを十善の君と呼ぶ。その尊いお方に敵対したことへの天罰によって、自滅する人々の有様をみるがいい)と嘲笑した。「誠にこれただ事にあらず、天魔波旬の所行かと覚えて、あさましかりし珍事なり」(同上、天魔は欲界の第六天にいて仏法を妨げる魔王。波旬というのは天魔の別の呼び方のようである)と作者は記す。

 この年の3月4日に関東から飛脚がやって来て、戦闘をやめて無為に日々を送ることはよろしくないという指示が伝達されたので、主だった大将たちが集まって会議を開き、味方の向かい陣と敵の城との間にある堀に橋を渡して、城に打って入ろうと言う計略を立てる。このために京都から大工を500人余り呼び寄せ、長門国(山口県阿武郡)から幅5寸、厚さ6寸の材木、幅8寸、厚さ9寸の良質の材木を取り寄せ、広さ1丈5尺(4.5メートルほど)、長さ10丈(30メートルほど)の桟(かけはし)を作らせた。

 桟ができたので、それに2000本から3000本の御縄をつけて、滑車を使って、城の切岸の上に倒して懸けつけた。中国の故事に登場する魯の公輸般が、楚王が宋を攻めるときにつくった雲梯を思わせる出来であった(そんなことを書いているが、作者は雲梯を見たことはないのである)。血気にはやる兵士たちが5000人から6000人(どうも多すぎる)も橋の上を渡って、われ先にと城の方に進んだ。これまで守り抜かれてきたこの城もついに落城するのかと思われたが、楠は、こういうこともあろうかと用意しておいたのであろう、投げ松明の先に火をつけて、どんどん投げつけ、橋の上に薪が積まれているようにして、城内の水弾き(消火用のポンプ)に油を入れておいたのを注ぎかけた。それで橋げたに火が燃えついて、折からの他に風にあおられて、桟が炎上し、取り付いていた兵士たちは焦熱地獄の苦しみの中に谷底に落ちたり、そのまま焼け死んだりして全滅してしまった。

 そうこうするうちに吉野、十津川、宇多(奈良県五條市)、内郡(奈良県五條市)の野伏(農民・浮浪民などの武装集団)が、大塔宮の命を含んで集まること7,000人余り、包囲軍の武士たちを攪乱しはじめた。特に兵糧の運送を妨げたので、包囲軍は食糧に窮し、包囲を解いて郷里に帰ろうとすると、土地の地理に通じた野伏たちによる攻撃を受けて身ぐるみはがれ、這う這うの体で逃げることになった。「されば、日本国の武士どもの重代したる物具、太刀、刀は、この時に至って失せにけり」(344ページ、「重代下る」というのは父祖代々受け継いできたということである)というのは大げさに過ぎるかもしれないが、いったんは分離しかけた農民と武士との境界が鎌倉末から南北朝時代の争乱によって、またもやあいまいになったというのはその通りなのであろう。そして信長・秀吉の時代の刀狩までこの状態が続くことになる。

 こうして、千剣破城を包囲した大軍ははじめ180万と呼ばれていたのが、今やわずかに10万騎ほどになってしまった。すでに書いたように幕府は必要以上に大軍を投入した結果、兵站に困難が生じ、拙攻を重ねた包囲戦の失敗によって大きな損害を生み出すことになった。城攻めには籠城する軍の10倍を超える兵力が必要だといわれるが、はじめから10万騎で包囲したとしても、この条件は満たしていたはずである。楠がポンプに油を入れて、これを注ぎかけて火勢を強めたというのは話としては面白いが、この油がどのようなものであったのかが気になるところである。江戸時代においてもまだ菜種油は高価であったし、他にどんな油を使った可能性があるのか、調べてみたいと思う。幕府方は打つ手を打ち尽くしたかというとそうではなくて、まだまだ打つ手はある。

 包囲している将兵のなかには厭戦気分に陥ったもの、戦線から脱落するものが出てきたことは既に述べてきたとおりであるが、これに加えて、幕府に見切りをつけて、宮方に加勢しようと考え出すものが現われてくる。そのことについては次回。

 5月14日に、このブログを始めて以来読者の方々からいただいた拍手の合計が7,000を越えました。遅ればせながら、ありがとうございます。お礼を申し上げるのが遅れてしまったことをお詫びするとともに、これからも引き続きご愛読下さるようお願いいたします。
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