山本義隆『原子・原子核・原子力』

5月14日(木)晴れ後曇り

 5月13日、山本義隆『原子・原子核・原子力』(岩波書店)を読み終える。2013年3月に著者が務めている駿台予備学校の千葉校で高校生、受験生、そして大学入学予定者に向けて行った特別講演をもとに、その講演の記録を手直しして、ほぼ3倍に加筆したものだそうである。

 著者が「はじめに」で述べているところによると、10年ぐらい前までは大学の入試の範囲に原子・原子核の分野が含まれていたのが、現在では含まれなくなっているという。また2年ほど先に行くと復活するらしいのだが、「この10年間ほどの受験生には、その方面の知識が低下ないし欠落している」(ⅵページ)ということになる。これはちょっと恐ろしい結果を生み出すかもしれない。そこで、この書物は最低限知っておいてほしいことを盛り込んでいるというのだが、難しい――高校時代に習ったかもしれないのだが、忘れてしまったし、それ以上にもともと理解不可能であった――数式などが出てきて、学力低下が叫ばれてはいるけれども、(おそらくは理科系だけの話ではあるが)近ごろの受験生もこの内容が理解できるのであれば、まんざら捨てたものではないなと思ったりした。それで私はこの書物の内容が十分に理解できたとは言えないのだけれども、理解できた限りで思ったことを書き連ねておく。

 著者は予備校教師であるとともに、科学史研究家でもあり、この書物は「原子・原子核・原子力」の問題を軸に、近・現代の物理学の歩みを辿り直すことによって、受講者たちにこの領域への関心を呼び起こし、かつそれなりの知識・理解を植え付けようとするものであるが、実はここで取り扱おうとしている「歴史」には問題があるということが最初の方で述べられている。「歴史のように話していますが、実際の歴史を全て正確に語るわけではありません。実際の科学の歴史はもっと複雑で錯綜しています。その上過去の個々の発見にたいして、現在の常識で理解するものと、それを発見した本人や当時の人たちの理解とは、しばしば異なっています。現代人が現代の物理や化学の理論に基づいて理解しているように、過去の人たちはその時代のものの見方で理解しているわけです。同じ言葉でも、意味が異なる場合もあります。しかし、教育上の目的で歴史に言及すると、どうしても成功した話に話題が偏り、なぜ成功したのかについて現代人の理解による説明、つまり後智恵による説明がなされがちです。実際の科学の歴史は、圧倒的にうまくゆかなかった試みからなり、成功した例でも、現代から見て正しく理解されていたとは限りません」(15ページ)。
 そして著者は20世紀アメリカの物理学者でその独特の個性で今でも人気があるリチャード・ファインマンが一般向けの講演『光と物質の不思議な理論』で、光と物質の相互作用についてのそれまでの考え方を「歴史的に」紹介した後に、次のように語ったという例を引き合いに出す。
「ところでいままでざっとお話してきたことは、私が「物理学者による物理学史」と呼んでいるもので、決して実際に即した正確な歴史とは言い難いのです。いまお話しした歴史は、物理学者が弟子に話し、その弟子がそのまた弟子に語り伝えるといったたぐいの、伝承化された神話のようなもので、必ずしも物理学発展の歩みを実際にたどったものではありません。物理学の歴史的発達が事実どのような道筋を通って来たかなど、本当をいうとこの私にすらわからないのです」(15-16ページ)。
 若者に科学への関心を呼び起こすには、科学者たちの伝記を読ませるのがよいとか、ある学問領域を教えるのにその領域の発展の歴史を辿って教えるのがいいとかいう考えに対して、慎重に対処すべきであると思わざるを得ない(慎重に対処すべきだということは、やめてしまえということではない)。

 その中でいろいろと話を面白く聞かせる(本を面白く読ませる)工夫もされている。登場する物理学者の肖像は切手の図が使用されたり、著者自身のデッサンが使われたりして手作り感があふれている。各事例が受験とどのように関連するかも頻繁に触れられている。例えば1897年にJ.J.トムソンは、電場と磁場によって陰極線が曲がることを示し、その曲がり方から、陰極線の電荷が負であることを確かめ、その比電荷を測定する実験を行った。この実験は昔からよく大学の入試問題に使われているとして、2008年のお茶の水女子大の試験問題を引き合いに出す。個々の物理学者の人物像もエピソード満載で興味深い。ニールス・ボーアについて「ボーアはスポーツマンで、学生時代にはサッカーの選手として国内では知られていたようです。1908年のオリンピックには、デンマークのナショナル・チームの一員として弟ともに参加しています。後に数学者になる弟のハラルはミッドフィルダーのレギュラーでしたが、ニールスはゴール・キーパーの控えだったようです。補欠であったにしろ、オリンピックに出た5年後にノーベル賞論文を発表したのですから、正直、すごいものだと思います。もっとも、オリンピック自体も、商業主義と国家主義が大手を振ってまかり通っている今と違って、本当のアマチュア選手の小ぢんまりとした国際運動会のようなものだったのでしょう」(147ページ、なお、この時代ミッドフィルダーとはいわずに、ハーフ・バックと呼んでいたのではないかと思う。日本が最初にオリンピックに出場したのは1912年のことである)。比喩もなかなか巧みであって、エンリコ・フェルミについて「どこがすごいかというと、野球で言うとエースで4番というか、理論物理学と実験物理学の両方で超一流の仕事をしているということにあります。理論物理学と実験物理学が分離した20世紀には、これは稀有なことなのです」(180ページ)。

 面白く読ませようとしているだけではない。社会的な差別や戦争への科学の利用に対して批判的な目を向けるようにといている個所も目立つ。パリの自然史博物館の教授ポストを世襲してきた家柄に生まれ、エコール・ポリテクニクを卒業したアンリ・ベクレルとエコール・ポリテクニク卒業者ではないために出世が遅れたピエール・キュリーの境遇を対比して、「20世紀になってもフランスの科学界では、エコール・ポリテクニク出身者でなければ極端に冷遇されていたと伝えられます」(74ページ)と記し、キュリー夫人についても彼女が女性であり、ポーランド出身であったためかフランス科学アカデミーの会員になれなかったことを指摘している(77ページ)。さらにまた第一次世界大戦と物理学者たちとのかかわりについて率直に疑問をぶつけている。先ほどその天才ぶりについて触れられたフェルミについても、「政治や哲学の問題における判断の欠如」(180ページ)を指摘する弟子がいたことも付け加えている。さらにこの書物の主題とも大きく関連する原子爆弾の開発にかかわった学者たちの考え方やその後の姿勢についても詳しく記しているだけでなく、次のような書き方をしていることに注目すべきであろう:
「第二次大戦中にアメリカ合衆国で原爆を製造したマンハッタン計画に従事し、初めての原子炉製造を陣頭で指揮したエンリコ・フェルミが53歳という若さで癌により死亡し、そして最初の原爆実験の際に爆心地にかなり接近して観察したリチャード・ファインマンが70歳でやはり癌で死亡しています。戦争中に広島に原爆が投下された2日後に広島入りをして市内をつぶさに調査してまわり、その間に残留放射線を浴び、おそらく体内にも取り込んだであろうと思われますが、その6年後に癌で死亡しています。享年61歳でした。いずれも、放射線障害の疑いは否定できません」(90ページ)。著者は放射線障害が比較的早い時期に現れた例だけを問題にしているが、私が教わった先生で、広島で被爆されて、60年以上たって90歳を過ぎてから白血病で亡くなられた方がいる。こういう例も視野に入れておいた方よいだろう。

 「原爆と原発」をめぐっては、「核分裂の連鎖反応の実用化は、経済性も安全性も度外視した軍事的使用として、きわめて特殊な形で始まりました。軍事目的ですから、倫理性の問題も当然、、棚上げされています」(195ページ)とその発端からの危険な可能性を指摘したうえで、事故の問題、使用済み核燃料の問題(核エネルギーの使用可能期間は高だか200年ほどであるのに、その間に生まれた廃棄物が安全なものになるのには数十万年の時間を要する)、環境汚染・被曝労働の問題、最後に再び放射線の危険の問題について触れて、経済学者である安冨歩の「原子力を使うことの本質的問題は、使っている今、問題が出るばかりではなく、将来にも出ることであり、それが一体、どういう規模のどういう被害なのか、見当がつかない、という点にあります。不確定性が大きすぎるのです」(228ページに引用)という言葉によって締めくくられている。

 最後に、この本を読んでいて思い出したことを付け加えておく。キュリー夫人の長女であるイレーヌと結婚したフレデリック・ジョリオが第二次大戦中には対独レジスタンスに加わったことで知られている(166ページ)と書かれているが、ルネ・クレマンの映画『パリは燃えているか』に1場面だけ彼が登場するのを思い出した。映画を見ていて、ジョリオを演じている背の高い、ちょっと怖い感じの俳優に見覚えがあると思って後で調べてみたら、アラン・レネの映画『去年マリエンバートで』でヒロインの夫を演じていたサッシャ・ピㇳエフであった。この話をアルバイト先の同僚の女性に話したのだが、ちっともおもしろがらないので興覚めをしたことを思い出す。

 この講義を聞いた予備校の生徒たちがどのようなことを理解し、またどのような感想をもったかがわからないのが残念である。「あとがき」で著者はかつて批判した丸山眞男の言葉を引用し、権利は努力しないと失われてしまうのだと書いて、若者たちに自分たちの権利を守るための努力を呼び掛けている。「民主主義には良い点もありますが、面倒なこともあるのです」(233ページ)。著者が丸山をどのような点で批判したかについての説明も興味深いのだが、それ以上に、生徒たちがどのように著者の呼びかけに答えていくか、あるいはこたえようとしないかに関心がある。私の年齢が著者に近く、生徒たちからは遠いのがその点では残念である。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR