今村啓爾『日本古代貨幣の創出 無文銀銭・富本銭・和同銭』

5月10日(日)晴れ

 今村啓爾『日本古代貨幣の創出 無文銀銭・富本銭・和同銭』(講談社学術文庫)を読み終える。

 教科書的な知識では、日本で最初の貨幣は和銅元年(708年)に発行された和同開珎である。ためしに山川出版から出ている受験用の詳しい日本史参考書を見たところ、このように書かれていた。年号は和銅であり、貨幣の名は和同開珎であること、開珎を「かいちん」と読むか、「かいほう」と読むか、この時代の歴史を記す『続日本紀』には貨幣の名前について記載がないのはなぜかなどなど、さまざまな疑問が投げかけられてきた(山川出版の参考書には「かいちん」と記されている)。さらに言えば、和同開珎の発行以前に貨幣が流通していたのではないかと思わせる記事が『日本書紀』には散見されるし、<無文銀銭>とか<富本銭>とかいう考古学的な発掘物の存在は、和同開珎に先立って貨幣が発行され、流通していたのではないかという疑問を抱かせる。奈良県飛鳥池遺跡で進められていた発掘調査によって富本銭が大量に出土し、和同開珎に先立つ貨幣であることが日本最古の貨幣は和同開珎であるという入学試験の答案を書いて入学した大学で、それを否定する学説に出会うかもしれない。

 この書物では、日本で最初に流通していた貨幣は無文銀銭であったと論じている。『日本書紀』には天武天皇12年(683年)4月15日に「今より以後、必ず銅銭を用い、銀銭を用いることなかれ」(53ページ)という詔が出たと記されているが、この銀銭が無文銀銭であるというのである。今村さんが書いているように、「銅銭鋳造の記事がないのに、いきなり銅銭を使用せよという記事から始まるのであるから、このころの貨幣関係記事は、部分的な記録が残っているに過ぎないと考えなければならないであろう」(53ページ)。銅銭に先立って銀銭が発行・流通したことは日本独自の特色であるという。無文銀銭は天智朝、遅くとも天武朝には存在し、基本的に4分の1両という重さをもつものとして作られている。それで無文銀銭が地金としての価値に基づいて交換財として利用されていたと考えられる。だから実用流通銭と考えてよいというのが著者の意見である。

 この天武天皇の詔にいう銅銭が富本銭であるというのが著者の考えである。無文銀銭が国際的な価値の裏付けのある地金の実体価値で流通していたのに対し、銅で作った名目価値だけの貨幣を無理に流通させようとしたのが詔の意図であったという。銅銭を銀銭と等価のものとして流通させることにより、政府は無限の収入源を確保でいるはずであった。しかし銅銭は不人気で、思ったほどの流通を見ることなく、その一方で銀銭は禁止令にもかかわらず、その後も使われ続けた。

 25年ほどたって、改めて名目価値だけの貨幣を発行し、流通させることが試みられた。それが和同開珎である。古銭研究家は和同開珎を<古和同>と<新和同>に分けている。<古和同>には銀銭と銅銭があり、銀銭のほうが多く残っている(多く発行されたと考えられる)。<新和同>はすべて銅銭である。<古和同>は字体が古拙で、富本銭と同じようにアンチモンを含む銅合金を使用している点が注目される。
 天武天皇の時代には実体価値貨幣の無文銀銭からいきなり名目貨幣の富本銭への転換が図られたのであるが、今回は前回の教訓を学んで、無文銀銭から半名目貨幣の和同銀銭へ、そして完全な名目貨幣の和同銅銭へという計画的な2段階の交換プログラムを組んで実施されていった。なお著者は『続日本紀』の「武蔵国秩父郡和銅を献ず〕という記事について疑っている。この時代の貨幣政策の変遷についての詳しい記述がされているのだが、難しいので省略しておく。
 「きわめて意図的、政策的、計画的に強引な価値の設定が行われたことが、わが国古代貨幣の最大の特徴であろう。といっても政府は望ましい価格の維持に成功したわけではない。古代銭といえども貨幣として使用されたから、市場原理に支配された。望ましい価格の強制と市場原理による変動のせめぎあいの間にあったというのが日本古代銭の真の姿であろう」(209ページ)という。日本の古代貨幣が中国のそれを模して、同じ道を歩んだのではないという指摘は注目されてよかろう。

 経済学、とくに貨幣についての知識・理解が十分ではないし、古代貨幣についても門外漢なので、この書物のごく一部の大筋と思われるところの紹介だけで終わってしまった。しかし、文献の記述と考古学的な知見とを照らし合わせながら、進められていく議論には説得力を感じる。個人的には、貨幣の原料となった金属の出所、対馬の銀山と長門の長登銅山についての記述をもっとも興味深く読んだ。著者が熱望している対馬の銀山の遺跡の発掘が実現することを期待したい。

 蛇足かもしれない感想:この書物のかなりの部分が古代の貨幣をめぐる過去の説の紹介にあてられ、青木昆陽(『国家金銀銭譜続集』)、朽木昌綱(『和漢古今泉貨鑑』、『新撰銭譜』、『西洋銭譜』)、狩谷棭斎、松浦武四郎、成島柳北といった知名人が登場する(野次馬的な読み方で申し訳ない)。柴田実というのは京都大学の教授であった歴史学者と同一人物であろうか(だとするとその講義を聴講したことがある)。小林行雄も懐かしい名前である。著者がその業績を多く取り上げ、批判している栄原永遠男さんは私と同じ時期に京都大学の学生であり、芥川賞作家の高城修三さんたちと『狼星』だったか、記憶は確かではないが、同人雑誌を発行していたのではないかと思う。(名前が変わっているので、うろ覚えながら記憶に残っているのである。)
 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR