泉谷閑示『反教育論――猿の思考から超猿の思考へ」

2月27日(水)雨後曇り

 泉谷閑示『反教育論――猿の思考から超猿の思考へ』(講談社現代新書、2013)を読み終える。著者は精神科医として開業する傍ら、音楽家としても活動中で、複数の領域にわたるその経験から挑発的な学習論を展開している。

 この書物の帯には「『好き嫌いは言わない』『秘密は持たない』『基礎は大切』『わがままはだめ』・・・・こんな『常識』にとらわれていませんか?」とある。確かにこの書物の中で、教育をめぐるこれらの「常識」は論駁されている。しかし、この書物が『反教育論』と題されているのは、外からの教育ではなくて、内からの学習こそが真に創造的な人間をつくるのだという主張のためである。

 著者は人間がコンピューター的に情報処理を行う「頭」と、野生原理で動いている「心=身体」という2つの部分からなると考え、近代における理性万能の傾向が、両者の関係を崩したことに現代の社会の問題の原因があると考えている。この考えについてはもう少し考えてみたいので賛否は保留しておくが、以下、読んでいてなるほどと思った個所を紹介しておく。

 子供に「教える」内容や方法について思案をめぐらすことよりも、まず私たちは「子供は大人たちの言うことに従うのではなく、大人たちの在りようをモデリング(模倣)する」という大前提を再認識しなければならない。(97ページ)

 思考停止に陥った「服従」的精神の人間が「教育」というものを考えた時には…良かれと思って「道徳」教育を熱心に推進したりして、その結果、逆に陰惨な「いじめ」問題を作り出してしまうという過ちを犯してしまう。しかも困ったことに、当事者はそのことに全く自覚を持っていないので、あべこべに「もっと道徳教育を強化すべきである」ということを言いだしかねないのである。(113ページ)

 「いじめ」というものも、ムラ的共同体において異分子を排除したり同化させたりする集団維持行動がその由来であり、いくら倫理的に「いじめ」を問題視して議論しても、このムラ的メンタリティを温存したままでは、根絶できようはずはない。(116ページ)

 人間は「経験」によって真に学び成長するものであり、最大の「経験」はむしろ「失敗」や「無駄」、あるいは「愚かさ」によってもたらされることの方が多いのではないか。(172ページ) [もっとも、自信をつけることが重要な場合もあるのではないかとも思う。]

 「嘘」も「秘密」も持つことができない人間は、公明正大ではあるかもしれないが、影も奥行きもない、薄っぺらで色気のない存在である。人間が人間らしく在るというのは、闇を内包して生きるということではないのか。(183ページ)

 そもそも「悪」というものは、いわば夜のようなものである。昼しか存在しない世界を想像してみれば、それは砂漠のようなところであり、とても生命など存在しえない死の世界である。(184ページ)

 著者はニーチェからの引用を多く行っているだけでなく、その思考と語り口もニーチェを思い出させるところがある。改めてニーチェとその影響下に展開された教育運動について考え直す必要を感じさせられたことをつけ加えておく。
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