コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの読書談義』

4月26日(日)晴れ、風強し。

 読書について、「何を、どのように」読むかを教えるのは、それほど簡単なことではない。高校1年の時の国語の教科書に、小泉信三の『読書論』の一部が載っていたのを読んだが、それがその後の読書に役だったとは到底思えない。読書を囲碁や将棋にたとえると、小泉は名人級の人物である。いくらやさしく随想風に書いているとはいっても、名人級の人物が到達した境地を、高校生がどこまで理解できるかは疑問である。

 それから、小泉の『読書論』は読書における良書主義と適書主義という2つの考え方、つまり伝統的に名著と考えられてきた古典的な書物を中心に読書すべきであるという考え方と、とにかくそれぞれの人間の必要に応じて役立つ本を読めばよいのだという考え方のなかで、良書主義を代表するものである。学校における読書指導は良書主義に傾きがちだが、良書主義を採るにしても原則は踏まえたうえで柔軟な指導が望まれる。というのは高校生や大学生の場合、教師の権威に従って古典的な名著を読むということに疑問を抱く傾向が出てくる反面で、そういう古典が歴史のどのような流れの中で評価を確立してきたのかについての知識・理解がまだ不十分なところがある。だから教師が古典Aを勧めると、生徒の方は古典Bを求めたりすることも起こる。それに良書と適書の区別も曖昧である。受験参考書の類は適書であろうが、それも多くの読者に読まれて、さまざまな人から高く評価されていくと、良書に格上げされることだってないとは言えない。

 小泉の『読書論』が高校生にはどうも適切ではないかもしれないということになると、どんな読書論がいいのかということで、思い出したのがコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの読書談義』(大修館書店、1989)である。刊行されてから25年以上たっているので、今でも入手できるかどうかは疑問であるが、とりあえず、面白く読んだ読書論ということで、念頭に浮かんだのである。もう100年くらい昔の英国人の書いた本であり、この中で取り上げられている書物の少なからぬ部分がたやすくは読めなくなっているけれども、どういうふうに読書と取り組むべきかという点では参考になる点が少なくない。

 ホームズ物を読んでみればわかることだが、ドイルは博学多識、しかも彼の伝記を読めばわかることだが、国会議員に立候補したり、冤罪事件をめぐり活動したり、学校給食の実施のための運動をしたり、そうかと思うと心霊術に没頭したりとやることも多様であった。それは1つには彼の受けた教育によるものである。彼は英国屈指のパブリック・スクール(というのはイングランドでは私立の名門校をいうのである)の1つであるストーニーハーストを卒業して、スコットランドのエディンバラ大学に進学するという赫々たる学歴をもっている(もっとも成績はそれほど良くなかったらしい)。エディンバラ大学は、現在でも世界の大学ランキングでは、日本の東大と同じくらいの順位を得ているが、ドイルの時代はすぐれた教養教育と専門教育の両方を授ける超一流の大学であった(その後、順位が下がったのは、エディンバラの研究・教育の水準が下がったのではなくて、ほかの大学の水準が上がったということである)。ドイルはこの大学で医師になるための勉強をしたのだが、医師としてはそれほどの実績を上げることはできなかった。しかし、彼の小説に登場する名探偵ホームズと科学者チャレンジャー教授はともに、エディンバラ大学時代に彼が接した先生をモデルにしているといわれるから、大学で勉強したことはまったく無駄だったとは言えないのである。とにかく、ドイルはこの大学の専門教育を通じて医師の資格を得たのだが、それ以上に教養教育から多くのものを得たように思われる。しかも、大事なことは、彼が医師として開業してからも、職業的な研鑚だけでなく、教養に磨きをかけることも忘れなかったことである。読書はそういう彼の教養形成の重要な部分であったと考えられる。

 さて、『シャーロック・ホームズの読書談義』の原題はThrough the Magic Door (魔法の扉を通って)で、読書が人々を現実の世界から、魔法のような世界へと誘うことを示している。内容はというと、ドイルが自分のそれまでに読んだ書物について縦横に語るというもので、取り上げられている書物が、英国の読書人ならば誰でも読むような古典的な名著が多いというところが注目される。ホームズの著者だから適書主義かというと、そうではないのである。もちろん、エドガー・アラン・ポーとその短編小説について論じたり(『四つの署名』のなかでホームズはデュパンをぼろくそに言っているが、この書物では「あのすばらしいデュパン氏の話から何らかの技法を学ばなかったものが一人でもいるだろうか」(98ページ)と絶賛している)、騎士道小説や、旅行記・冒険記の魅力について語ったりする、ホームズの生みの親であるドイルらしさが発揮されている個所もあるが、「『英国民主革命史』を生んだマコーレイ」とか、「英語辞典の生みの親サミュエル・ジョンソン」とか、「ギボンの『ローマ帝国衰亡史』とピープスの日記」とかいう章には英国人としての正統的な教養を重視する著者の姿勢が認められるといえよう。

 ところで、ドイルはこの本で何を読むかということについて主に語っているのだが、読んだものをどのように書き留め、記憶するかについては記していないのが残念に思われる。小説のなかのワトソンはホームズが手掛けた事件についての記録を作り、その一方でホームズ自身はその自宅の部屋にファイルを保管していたようである。ドイルが実際に読んだ本についてノートを作っていたのか、もっと別の整理法を考案していたのかは興味のある所である。この書物の翻訳者である佐藤佐智子さんは、「ドイルがほとんど参考資料もなしに書いている・・・その引用にはほとんど誤りがない」(ⅵページ)と書いているが、若しその通りだとすると、それはそれで凄いことである。

 また、作家としての目から、(特に同時代の)個々の作家の技術的な特徴について触れているのも興味深い。この点と関連して、ドイルが2度国会議員に立候補したと書いたが、彼の同時代人であるH.G.ウェルズも2回立候補して、それぞれ2回とも落選している。ドイルが保守党、ウェルズが労働党から立候補したというのも両者の性格を示していて面白い。ドイルはポーについて触れている中で、ジュール・ヴェルヌとH.G.ウェルズの作品についても言及しているが、ドイル自身もかなりすぐれたSF作品を残していることを我々は評価すべきであろう。その一方で、ドイルが多くの影響を受けたはずのウィルキー・コリンズについてはあまり多くを語っていないのはどういうことだろうか。読み返すたびに発見と疑問とが見つかる書物であり、また、機会を見つけて読み直そうと思った。
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