くちびるに歌を

4月4日(土)曇り

 4月3日、横浜駅西口ムービルで『くちびるに歌を』を見る。最終上映日の最終上映での観賞であった。

 長崎県の西、五島列島の中の島にある中学校。出産で休暇に入る音楽の教師に代わって、彼女の友人が代理としてやってくる。同じくこの中学校の卒業生であるというその新しい教師は、音楽大学を出て、ピアニストとして活躍していたのが、ある演奏会で演奏を拒否して、その後ステージには立ってこなかったらしい。

 中学校の合唱部は全国大会(の県予選)を目指して練習中であるが、これまでは女声だけの部活であったのが、新しい教師に対する好奇心からか、男子の新入部員が加入し、男子部員と女子部員、そして新しい教師ともともといる女子部員たちの軋轢が起きる。映画はその中で、部長をしているが、母親を亡くし、父親は家出中という女子生徒と、素晴らしいボーイ・ソプラノの声をもっているが障害をもつ兄の面倒を見るために、自由な時間がなかなか取れない男子生徒の様子を中心に描きながら、自分のコンサートに向かう途中に交通事故で死んだ恋人への思いを断ち切れない教師の自分の音楽は誰のために意味をもっているのかという問いを重ね合わせて物語を進行させている。

 芸術は具体的なものであり、人間はその生涯を通じて、具体的なものを越えたなんらかの理想を実現するために生きている。では、芸術は人生に対してどのような意味をもちうるのか。というのがギリシャの哲人たちの問いであり、トーマス・マンが『ヴェニスに死す』と終わり近く、主人公に自問自答させた問いである。ルキノ・ヴィスコンティによる『ヴェニスに死す』の映画化では、この問いは省かれていたが、この映画は人間が生きるということと、音楽がどのようにかかわるのかという問いに真っ向から取り組もうとしている。

 「くちびるに歌を」というのは生活の中に音楽を絶やさずにということで、単に生徒たちが中学生としての今を生きる中で、常に音楽を意識するということだけでなく、成人して社会生活を送っていく中で音楽とどのように向き合うかを問いかける言葉である。中学生たちはコンクールで歌う歌として「手紙~拝啓十五の君へ」を選ぶ。30歳になった自分が、15歳(現在)の自分に宛ててどのような手紙を書くかを想像させる。どのように生きているか。どのように音楽とかかわっているのか。職場で合唱を続けているかもしれないし、地域のコーラスに参加しているかもしれない。

 中学生というのは、子ども時代から急速に大人に近づいていく時代であり、その結果、先生たちの生の姿が急に見え出す時代でもある。女子だけの部員たちを優しく指導していた産休中の前の先生と、クールだが部員たちの力を的確につかんでいる代理の先生。それぞれの等身大の人間像が生徒たちに次第に見え始める。生徒たちは改めて自分が音楽と取り組むことの意義を考え出す。

 少し先廻りをして(多少のネタバレを許してもらって)書いておけば、映画の終わりの方、コンクールが終わった後、ロビーで(何が起こるかについては見る楽しみを妨害しないように伏せておく)の場面がこの映画の一番の見せ場である。コンクールに出場するとか、勝つとかいうこと以上に、音楽に取り組むことにはその意味があるのだということを、改めて観客に示す場面だからである。

 失意の音楽家を主人公とする映画は少なくないが、その結末は、失意がどのように克服されていくかをめぐり、いくつかに分かれる。以前、『ここに泉あり』と『シベリア物語』を対比して書いたことがあるが、中央と地方の対立が物語の展開に絡むことがしばしばある。この映画にもそのような問題は内包されているのだが、それ以上に音楽と人生の関係を、中学生という人生の転換点にある登場人物たちに問いかける内容をもっているために見応えがあるものとなっているように思われる。

 五島の風景が美しく描きだされているが、そこに住んでいる人々にとってはごく当たり前のものなのだろう。生徒たちがコンクールのために長崎市に赴き、ホテルから市内の夜景を見て大騒ぎをしている場面があるが、確かにそんなものかもしれない。それぞれの土地でそれぞれの人生を送る一人一人の人間を大事にすること、そのことが、人生と音楽について問いかけているこの映画の行間からさらに浮き出てくるテーマなのではないかと映画を見終わって考えたのであった。
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No title

「拝啓ー十五の君へ」
亡くなった恋人から この元ピアニストへのメッセージでもあると
彼女は気付いたのかなぁ〜。
彼女はピアニストとして 又復活しようと決意したのかも知れませんね。
私も この映画を観てみたいと思っています。

スルーしたくなる様な 難解な文章が好きになる様頑張っています!(笑)
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