織田作之助「木の都」(2)

3月22日(日)曇り後晴れ

 大阪の上町と呼ばれる高台の上で生まれ育った語り手は、京都の高校に進学したうえに、その後父母が死んだため、故郷であるこの一帯とは無縁であったが、ある日、区役所に用事ができて、口縄坂を登って自分の生まれ育った町へと戻ることになる。

 少年時代によく利用した本屋が名曲堂というレコード店に変わっているのを見ていた語り手は、まだ区役所に出頭するには時間があるので、店に入ってみることにした。店の主人は、もともとあった本屋の主人とは別人であったが、どこかで顔を見たような気がしてならなかった。何枚かレコードを買って出ようとすると雨が降りだしてきた。主人は語り手が腕時計を見ているので、お急ぎでしたらといって傘を貸してくれた。区役所で用事を済ませて市電に乗ろうとして傘を畳んだ時に、傘に矢野という名が書いてあるのを見つけて、レコード屋の主人が何者であったかを思い出す。

 京都の学生街である吉田に矢野精養軒という洋食屋があった。レコード屋の主人はこの洋食屋の主人と同一人物であったのである。「ポークソテーが店の自慢になっていたが、ほかの料理もみんな美味く、ことに野菜は全部酢漬けで、セロリーはいつもただで食べさせてくれ、なお、毎月新譜のレコードを購入して聴かせていた」(340ページ)。傘を返しに出かけたときにその話をすると、主人のほうでも語り手のことを記憶していて、そのことから自分の身の上話をする。もともと長く船に乗っていて、最後はコックをしていたが、40歳の時に船を降りて洋食屋を始めた。しかし料理の腕に自信があるあまり、商売を考えずに店を続けたために損を重ねて、店はつぶれてしまった。それで家賃の安い場所を探して大阪に移ってきたが、買いためたレコードが残っていたので、この商売を始めたのだという。

 店主には女学校を卒業して今は北浜の会社に勤めている姉と、今度中学校を受験する弟の2人の子どもがいる。弟は無口な性分で、はたして中学校の口頭試問をうまく切り抜けるかと店主は心配している。
「帰ろうとすると、また雨であった。なんだか雨男になったみたいです名と私は苦笑して、返すために持って行った傘をそのまままた借りて帰ったが、その傘を再び返しに行くことはつまりはその町を訪れることになるわけで、傘が取り持つ縁だと私はひとり笑った、そしてあえて因縁をいうならば、たまたま名曲堂が私の故郷の町にあったということは、つまり私の第二の青春の町であった京都の吉田が第一の青春の町へ移ってきて重なり合ったことになるわけだと、この二重写しで写された遠い数々の青春にいま濡れる想いで、雨の口縄坂を降りて行った」(342ページ)。

 長編小説であれば、ここで語り手の少年時代、あるいは高校時代の出来事が回想されることになるのだろうが、語り手はなぜか、この店主が自分の子どもたち、とくに息子に注ぐ愛情の方に関心を寄せていくのである。それは語り手と、すでにこの世を去ってしまった彼の父母との関係を暗示しているのかもしれない。語り手は、新坊と呼ばれる無口で人見知りが強い少年に好意をもっている。あるいは昔の自分に似た何者かを感じているのかもしれない。ところが新坊は中学校の受験に失敗してしまう。この時代、義務教育は小学校の6年間だけだったが、中学校への進学率はかなり高かったはずであるし、高等小学校に進んで、中学校を受験しなおすということもできた。語り手が来年もう一度受けるという手もありますよというのはそういうことである。しかし、父親は彼に学問をあきらめさせて新聞配達を始めさせる。「子供のころから身体を責めて働く癖をつけとけば、きっとましな人間になるだろうというのであった」(43ページ)。(なお、厳密に言うと1941年から小学校は国民学校と改称されていて、この作品が発表された1944年から義務教育は8年に延長されるはずだったのだが、戦局が重大化したためにその実施は延期されることになっていた。が、教育制度をめぐるそのような動きは、庶民の生活にはあまり関係がなかったことがこの小説を読んでいるとわかるのである。)

 語り手はしばしば店を訪れるようになり、新坊が新聞配達を終えて帰ってくるのを見かける。「新坊が帰って来ると私はいつもレコードを止めて貰って、主人が奥の新坊に風呂へ行って来いとか、菓子の配給があったから食べろとか声を掛ける隙をつくるようにした。奥ではうんと一言返辞があるだけだったが、父子の愛情が通う温さに私はあまくしびれて、それは音楽以上だった」(343-344ページ)。語り手が抱いているらしい孤独感や失意がこの父子を見ていることで癒されているようである。

 いろいろな事情で暫く名曲堂に出かけなかった語り手であるが、7月9日の生国魂の夏祭りに出かけようと思いたち、祭の夜店で新坊に何か買ってやろうと、店を訊ねると、彼はつい最近名古屋の工場に徴用されて今はそこの寄宿舎にいるという。それからまた、店を訪問することなく過ごしていると、名曲堂からはがきが来て、お探しのレコードが手に入ったから来店してほしいという。そのレコードは京都時代に自分の下宿を何度も訪れていた女性との思い出のあるものである。「本来が青春と無縁であり得ない文学の仕事をしながら、その仕事に終われてかえってかつての自分の青春を暫らく忘れていた私は、その名曲堂からの葉書を見て、にわかになつかしく、久しぶりに口縄坂を登った」(345ページ)。

 ところが店についてみると、娘さんが一人で店番をしているだけで、新坊が実家を懐かしがって、工場に無断で戻ってきてしまったのに、父親が承服せず、そのまま家に泊めずに、夜行列車に乗って名古屋まで送り届けたという。しかしそのように一見非常に見える父親の愛情を語りては感じる。「主人は送って行く汽車の中で食べさせるのだと、昔取った包丁によりをかけて自分で弁当を作ったという」(346ページ)。

 不器用なりに一生懸命生きてきた父親は、息子をできるだけ早く自立させようと突き放すのだが、未熟な息子はその父親の愛情を理解できず、ただただ甘えたがる。その行き違いが繰り返される。しかも自分で自分を守る逞しさがなければ生き残れないような戦時下のことである。父親の愛情も十分に理解できるが、語り手が息子に対してかなり無条件に肯定しようとしているのもよく分かる。それは戦時下というご時世に対する消極的な抵抗であるのかもしれないからである。

 何度言い聞かせても、何度送り返しても、息子が戻ってくるので、店主は店を閉めて、娘とともに名古屋に移住することにする。ちょっと喜劇的にも思われる結末であるが、語り手にとってはこの一家と別れるのは残念なことであった。自分の少年時代、高校時代の思い出が断ち切られたような気持がするからである。「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。わたしは石段を降りて行きながら、もうこの坂を上り下りすることも当分あるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢に激しく突っかかっていた」(348ページ)とこの小説は結ばれている。

 語り手の思い出が語られているように見えるが、むしろ語り手が出会ったある一家の運命の方に話の重点が置かれている。父子の愛情の行き違いの過程がたんたんと記され、それが父親のほうの思いがけない譲歩で結末を迎えることになる。客観的に見れば、父親の息子への愛情を称賛すべきであろうが、語り手はどうもそういう気分にならないでいる。作者がいて、語り手がいて、語り手が出会う一家がいて、その一家を見つめる町の人々がいる。スケッチ風の作品と受け取れるかもしれないが、作者の意図しているところはもっと複雑であるように思われる。 
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