ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(27)

3月10日(火)晴れたり曇ったり、なかなか天気がよくならない。

 第26歌ではトロイア戦争の英雄オデュッセウスが偽りの忠告をした罪によって地獄の第8圏の第8巣窟で罰を受けている姿を描いていた。彼は、これまで人間が到達したことのない世界への旅を試みて、地球の南半球にある(とダンテが考えた)煉獄山を見たが、神の助けなしに人間の力だけで到達したことが神意にそむくとして船を転覆させられ、地獄に堕ちたのである。彼が道の世界に旅立とうと、仲間たちに訴える言葉
獣のように生きるために君らは造られてはいない。
徳と知を極めるために造られたのだ。
(393ページ)はルネサンス時代のヒューマニズム(人間中心主義)の先ぶれであるともいえる。しかし、登場人物のそのような言葉をダンテは神意によって否定しているのである。

 第27歌は
すでに炎がまっすぐに立ち上がり、静まりかえって
話をやめていた。そして礼節を知る詩人の承諾を得て
早くも私たちのもとから立ち去っていこうとしていた。
(396ページ)という3行から始まる。誇り高いギリシアの英雄たちは、礼節を知るウェルギリウスとだけ口をきいてきたのであるが、今や物語が終わって、去っていく。なお、ウェルギリウスの『アエネイス』に描かれるトロイアの英雄アエネーアースの軌跡はオデュッセウスの軌跡と交錯するところがあることも念頭に置く必要があるだろう。

 ダンテとウェルギリウスの前には新しい炎が現われ、その中から声が聞こえる。その声はウェルギリウスの話していたロンバルディアの言葉に心を動かされたという。彼は故郷であるロマーニャ地方(現在のエミリオ=ロマーニャ州の一部)が今や平和になったかどうかを問う。ウェルギリウスに促されてダンテは
おまえのロマーニャは今も、そしてかつて一度たりとも、
その僭主どもの心中で戦争が絶えたことはない。
けれども私が離れたときにはその地に見て分かるような戦があった訳ではない。
・・・
(399ページ)と答える。そして炎の中にいる魂の名を訊ねる。声の主はグイド・ダ・モンテフェルトロ(1220-98)、イタリア皇帝党の大立者で、「狐」とあだ名され、その智謀と勇気とで知られていた(智謀と勇気という点ではオデュッセウスと同じである)。古代の英雄に続いて、ダンテの同時代人の登場である。
 歴史的な経緯を辿ってみると彼の活躍に恐れをなした教皇庁は1282年に彼を破門し、後にアスティに幽閉した。しかし彼は1289年にピサの司法長官兼軍司令官となり、トスカーナの教皇党を圧倒、1292年にはロマーニャ地方のウルビーノを征服してモンテフェルトロ宮廷を開いた。1294年に教皇ケレスティヌスⅤ世から赦免され、1296年にはそれまでの権謀術策の生活を後悔しフランシスコ会に入信、この修道会のアッシジの修道院でその生涯を閉じた。ダンテは『神曲』に先立つその作品『饗宴』(1304-07)で彼が出家したことを称賛していた。歴戦の勇士が最後には戦争を嫌い、信仰と教会に身を委ねようとしたことを評価したのである。

 それではなぜダンテは、そのグイド・ダ・モンテフェルトロを地獄においたのか。翻訳者である原さんの解説によると「それは教皇ボニファティウスⅧ世が、ローマの貴族コロンナ家の領地をねらって、教皇のお膝元、ローマ近郊パレストリーナで起こした十字軍の際、敵の城を落とす秘策と引き換えに死後の天国行きを保証するとグイドにもちかけ、彼がその話に乗ってしまったことを知ったためである」(594ページ)。「ボニファティウスⅧ世は狡猾にも、教皇位に属する職務、天国の門の鍵をちらつかせて出家した武人を脅迫し、武人jは熟慮の末、苦渋の決断を下し戦争に加担した。死後、彼は眼前で聖フランシスコと悪魔が自分の魂を奪い合うのを見た。そして論理的なアリストテレス主義者にも似た悪魔によって聖人は論破され、彼は地獄に連れて行かれた。武人は真理=神を探究する精神の騎士になったはずなのに、その探究に失敗し、オデュッセウスと同じように地獄に「失われてしまった」(前歌84行)のである」(同上)。なお、引用の中で、原さんが「フランチェスコ」とイタリア語読みしている個所は「フランシスコ」とより一般的な表記に改めた。「(前歌84行)」というのは390ページに出てくる。ダンテはグイドが戦争の悪を知りながら、教皇庁の世俗権伸張の戦いに加担してしまったことを非難し、彼を地獄においたのである。わたしからすれば、ダンテが唯一正しい戦争であるという十字軍だって決して肯定できる性格のものではない。
 なお、コロンナ家というのは中世からルネサンスにかけて反映し、現在でもその系譜を伝えているローマの名門貴族で、ミケランジェロとの交流で名高い才媛ヴィットリア・コロンナ(1492-1547)はこの一族の出身である。またパレストリーナはルネサンス時代の大作曲家ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525?-1594)の生誕の地であるが、これらはダンテからさらに後の時代のことである。また、マキアヴェッリの『君主論』にはダンテの影響が強くみられるとも原さんは注記している。

 グイド・ダ・モンテフェルトロの魂は自分の生涯と悔恨について語り終えて、離れてゆく。
あの者がこうして自分の話を終わらせた時、
炎は鋭い角をよじり、震わせながら、
苦しみつつ離れた。
(408ページ) ダンテとウェルギリウスはさらに道を進む。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR