織田作之助「夫婦善哉」

3月9日(月)雨が降ったりやんだり

 織田作之助『夫婦善哉 正続 他十二篇』(岩波文庫)を読んでいるところである。まだ、全部を読み終わってはいないが、気になった作品から取り上げていこうと思う。
 織田作之助(1913-1947)は、大阪で生まれ、大阪を舞台とする多くの作品を残したことで知られる。ただし、最終学歴は京都にあった第三高等学校中退で、私が大学時代に接した先生方の中には直接・間接に三高時代の織田作(しばしばこう略称される)を知っているという人がいた。「夫婦善哉」は1940年の作品で、織田作の死後の1955年に八住利雄脚色、豊田四郎監督、森繁久彌、淡島千景主演で映画化された。この映画は昨年になってようやく観賞している。それでも原作よりも映画の方に早く接したことになる。

 商い下手で貧乏暮らしを続けている天ぷら屋の娘である蝶子は小学校を出てすぐに女中奉公に出たが、雇い主の虐待を親が見かねて、曽根崎新地のお茶屋のおちょぼ(芸者の下地っ子)に出される。もともと陽気好きな気性の上に、環境に染まって、親の反対を押し切って芸者になると、陽気な座敷にはなくてはならない存在として重宝され、はっさい(お転婆)で売り出すようになる。

 そんな蝶子が心を許したのが、梅田新道の安化粧品問屋の若旦那である維康(これやす)柳吉で、病気で寝たきりになっている父親に代わって店を切り回している。ある時、蝶子が店の前を通ると、柳吉は丁稚たちの荷造りを監督していたが、その姿を見て頼りがいのある、賢い男だと思って、妻子ある柳吉にますますほれ込むようになる。もっともそう思っていたのは蝶子だけで、周囲の人々は柳吉が頼りない男であることを見抜いていた。

 「柳吉はうまい物に掛けると目がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼に言わせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、・・・本真(ほんま)にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随(つ)いて・…」行くと、むろん一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼き、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨(ころ)汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮(かんとだき)、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕汁などで、いずれも銭のかからぬいわば下手(げて)もの料理ばかりであった」(10ページ)。
 実在する(した)店の名前が並ぶ。今では「一流」になってしまった店が少なくないから、柳吉が単なる遊び好きのグータラ男ではないことが分かる。食べ物屋と食べ物を列挙して、男の性格を描写しているのが、食い倒れの町大阪の作家織田作らしい。遊びの中に自己主張が隠れている。ただ、それがなかなか価値を生み出さないのがじれったくもどかしいのである。

 寝付いている父親が財布のひもを握っているために、2人の中が深くなるにつれて、柳吉は金に困るようになる。さらに蝶子との仲が父親にしれて、とうとう家を勘当される。まだ東京で集金すべき金が四、五百円あることを思い出した柳吉は蝶子に駆け落ちを持ち掛ける。そして8月の末に2人して東京行きの汽車に乗る。東京でようやく集めることができた300円ほどの金を持って2人は熱海に出かける。
「温泉芸者を揚げようというのを蝶子はたしなめて、これからの二人の行く末のことを考えたら、そんな呑気な気ィでいてられへんともっともだったが、勘当といってもすぐ詫びをいれて帰り込む肚の柳吉は、かめへん、かめへん。無断で抱主のところを飛び出して来たことを気にしている蝶子の肚の中など、無視しているようだった」(13ページ)。ところが、2日ほどたって、2人は関東大震災に遭遇する。「お互いの心にその時、えらい駆落ちをしてしまったという悔いが一瞬あった」(同上)。

 大阪に戻った2人は、忽ち生活に苦労する。それでも蝶子がヤトナ芸者として働いたりしてためた金で剃刀屋の店を開くがうまくいかない。しっかり者の女房と遊び好きなぐうたら亭主とは、その後もおでん屋を開いたり、果物屋に商売替えをしたり、さらにはカフェを開業したりする。柳吉は蝶子の甲斐性の上に胡坐をかいているかというと、そうではない。実家に戻りたいという本音を覗かせたり、遊び癖がまたまたうずきだしたりする。

 この作品は男女の愛憎の人情を知るということのほかに、大正から昭和にかけての大阪の風俗を知るとか、今日のB級グルメの先駆けとしてとか、いろいろな読み方ができる。あるいは映画化された作品との比較を試みるのも一興であろう。柳吉を勘当した後、彼の実家では柳吉の妹に養子をとって店を継がせる。小説では、この養子の登場する場面は少ないのだが、映画では森繁の代貸し格であった喜劇俳優の山茶花究が演じていて、その出番は決して少なくなく、しかもねちねちと森繁をいじめる。子分が親分をいじめているという楽屋落ち的な興味がわく…などと長広舌をふるっても仕方がないか。
 結末までを書いてしまうのは本意ではないが、2人の関係がどうやら落ち着きそうだ・・・というところで小説も、映画も終わっているのだが、その結び方にそれぞれの表現形式の特徴が現われている。小説では、蝶子が太ってきたことを書いたうえで、
「蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝りだした。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義(そぎ)大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十(たじゅう)」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座布団は蝶子が毎日使った」(57ページ)と結んでいる。映画の方は、「めおとぜんざい」の店を出て、「おばはん、頼りにしてまっせ」という柳吉に対し、蝶子が「へえ、大きに」と答え、雪のちらつく冬の町を歩いていく。以前、蝶子が運勢を占ってもらった八卦見が声をかけるが、2人は振り向かない(つまり運勢を気にしなくなった)という幕切れである。柳吉と蝶子はちょうど一回り年が違うという設定なので、まだ若い、蝶子に向かって「おばはん」はないだろうという気がしないでもないが、その言い方で、彼が実家に戻ることをあきらめて、二人で生きていこうという決意を固めたことがしられる。なお、「頼りにしてまっせ」というセリフは森繁のアドリブだそうだが、柳吉が蝶子を「おばはん」と呼ぶということは、原作の中にも書かれている。
 天牛書店は実在の古書店で、作者は忘れたが「天牛で咳してたのが作之助」という川柳があるほど、織田作とはなじみのある店だそうである。井伏鱒二原作、川島雄三監督の『貸間あり』という映画の冒頭に、この店の昔の様子が描きだされている。現在は別の場所に移っているらしい。ということで、次の機会には川島の監督昇進第1作『帰って来た男』(1944)の原作の1つとなった作品「木の都」について書きたいと思っている。
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