ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(26)

3月3日(火)曇り

 第25歌で、ダンテは地獄の第8圏第7巣窟で5人のフィレンツェ市民の霊が罰を受けているのを見た。それで第26歌は次のように書きだされている:
狂喜せよ、フィオレンツァ、おまえは大国なるがゆえに、
海を越え、地を越え、おまえは翼をはばたかせ、
ついに地獄の果てまでその名が轟きわたるとは、

盗賊どもの中に五名もの、地位ある
おまえの市民を見た。それゆえ私は恥じ入る。
さればこそ、おまえが偉大な栄光にまで昇ることはない。
(382ページ) フィレンツェ共和国最高執政官の居所であるバルジェッロ宮殿の正門には「フィレンツェは海上も、地上も、地球すべてを所有する」と刻まれていたそうである。イタリアの商人たちの活動は彼らの知っている世界のいたるところにその足跡を記したが、経済活動に没頭して強力な統一国家の形成を軽んじたイタリアの都市はその代償に苦しむことになるだろうとダンテは考えているようである。

 故郷の都市に対する複雑な思いを抱えながら、ダンテはウェルギリウスに従ってその歩みを続ける。
そして孤独な道をさらに進むのに
突き出た岩と岩との間、転がった岩塊と岩塊の間をぬって、岩橋に
手をついて足を前に運んでいった。
(383ページ) そのときのことを思い出しながら、彼は次のように歌う:
あの時私は悲しみに暮れた。そして今なお私は悲しみに暮れながら、
目撃した出来事に知性を向けている。
そして徳の導きなしに暴走しないよう、

才能の手綱をこれまでより強く引く、
素晴らしい星の並び、あるいは至高者が
私にこの前を与えているとしても、私がそれを自ら無にせぬように。
(384ページ) 「この時代の思想では、才能は星々の影響により与えられもするが、自分には「至高者」神から与えられた使命があるとダンテは自覚している」、これからダンテが訪れる「第8巣窟で出会う罪人の行為はダンテもする可能性があったことが示されている」(385ページ)と原さんは注記している。

 第8巣窟には偽りの忠告をした罪人たちが閉じ込められている。「彼らが人を動かす言葉と狡知を持っていたことは明らかだが、詩人であり、政治家として生き、外交官だったダンテにとって、その罪は他人事ではなかった」(590-591ページ)と解説される。第8巣窟の罪人たちは炎に包まれ焼かれている。ダンテはウェルギリウスに火の中にいるものが誰かを訊ねる。ウェルギリウスはギリシア神話における重大事件であるトロイア戦争のギリシア方の将であったオデュッセウスとディオメーデースであるという。彼らはトロイア滅亡の原因となった木馬の計略をはじめとする多くの詭計と悪知恵によって地獄で苦しんでいるのである。

 ダンテはこの2人が神話に出てくる英雄であることを知って、彼らと話したいと思う。ウェルギリウスはダンテの望みを受け入れながらも、彼らが誇り高いギリシア人であるがゆえに、ダンテと言葉を交わそうとはしないだろうと考えて、自分が話しかけるという。そして次のように語りかける:
「一つの火の中に二人でいるあなた方よ、
もしも私が生きている間に、あなた方の役に立ったのならば、
もしも現世にあって格調高き詩を著した時に、

私が大いに、あるいはわずかであれ、あなた方の役に立ったのならば、
ここを離れることなかれ。そしてあなた方の一人がどうか話したまえ、
彼はいったいどこを目指した末に、死によって失われてしまったのか」。
(389-390ページ) ウェルギリウスはその作品『アエネーイス』の中で、彼らについても取り上げて歌ったことを引き合いに出して、2人の魂の中のどちらかが、こたえることを願うのである。すると

古代の炎のひときわ大きな片方の角が
崩れはじめた、ざわめきながら、
さながら風が掻き回す炎のように。

そして頂を左右に振りながら、
あたかも話す舌のように、
声を外に解き放って言った。…
(390ページ) 答えたのはオデュッセウスの霊である。

 ダンテの時代に、ホメーロスの叙事詩『オデュッセウス』の原典は西欧から失われていた。「おそらくダンテは、中世に流布した教会説話や騎士物語化されたものによってホメーロスの叙事詩の概要を知っていた可能性が高い」(592ページ)と翻訳者である原さんは推測している。その上で、ダンテは自分なりの物語を組み立てている。

 魔女キルケーのもとを離れたオデュッセウスは、ホメーロスの原典では故郷のイタケーに戻ってその秩序を回復するのであるが、ダンテの物語では故郷や妻子、老父のことを忘れたわけではなかったが、もっと別の情熱に駆り立てられることになっている。
わが心に燃える炎に打ち克つことはできなかった。
私はなりたかった、世界の事物と、
人の悪と、理想の徳を知り尽くしたものに。

だから、私は、飛び込んでいった、果てしなく広がる大海原のまっただ中へ。
ただ一艘の船に乗り、私を見捨てることのなかった
あの数少ない仲間たちを連れ。
(392ページ) そして彼は地中海をその西の果てのジブラルタル海峡まで航海し、さらにそこを越えてこれまで誰も漕ぎだしたことのない海原に真理の探求を続け、月で時間を計りながら大西洋を南下、南半球にある煉獄山(ダンテとウェルギリウスが『煉獄篇』で昇っていくことになる)を見て神の怒りに触れ、海に沈められるのである。

 ダンテの描くオデュッセウスは神の意思に逆らい、自分の意思で真理を発見し、行動規範を定めようとして神の怒りに触れるのであるが、ルネッサンス以後の人々はまさに自分たちの意思で真理を探り、行動規範を求めていったのである。ダンテにおいてはまだキリスト教の秩序の中にとどまっていた人間の情熱が、彼の次の世代以後の人々によってさらなる飛躍を見せることになる。
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