『「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか』(5)

3月1日(日)雨

 一種の「思考停止ワード」としてその内容や性格について詳しく吟味されないまま、世間で様々に議論されている「個性」について、東京大学教養学部の各分野の研究者たちがそれぞれの専門的な知見を生かして縦横に「個性」について語ってきた。これまで認知神経科学、文献学、生態学、哲学、物理学、統計学、政治学、天文学の各領域の中から1人ずつの研究者が、それぞれの意見を自由に述べてきた。

 第9講では言語学の立場からトム・ガリーさんが「個性」について論じている。言語学という領域を代表しているだけでなく、発言者中でただ1人のアメリカ人であり、母語が英語であるという点も他の論者と異なっている。言語は人間どうしのコミュニケーションのために使われる記号の体系であるから、共通性を求められている。その一方で言葉の意味についても、発音にしても、それぞれの使い手の間でちがいが生じることは避けられない。その「ちがい」として現れ出ているものこそが、個性なのである。このような個性を消し去ることは難しい。
 それだけでなく、個性が言語の共通性の部分を変えていくこともある。言語の変化はその言語を使っている人々全体の個性の変化を反映するものである。これはどんな言語についても当てはまることであり、英語も例外ではない。「使う人たちの個性にさらされて、英語もまたさまざまに変化しはじめている」(158-159ページ)。英語が国際交流やビジネスのために広く使用されると、英語でコミュニケーションをしていても、そのどちらか、あるいは両方がノンネイティブな英語の話し手である場合が多くなってきている。そうなると、英語は「英語圏外の個性を反映したもの」(159ページ)に変わらざるを得ない。今や世界の英語の種類は数えきれないほどになっていて、いずれは国際共通語として英語を使うことはできなくなるかもしれないほどである。〔かつてのラテン語の運命に似てきたように思われが、英語の使われている範囲はもっとずっと広く、多様性もまた大きいと考えるべきであろう。〕
 日本語も、社会がさまざまなコミュニティーに細分化される中で多様化しており、それを一つの正しい日本語でまとめようとするのは個性を否定するものであろう。一方で、各個人の自由な個性を認めるべきであり、他方で共通なコミュニケーションを成立させていかなければならない。「個性は人間にとって一番重要なことであるのは間違いないだろうと思います。でも同時に、一番問題なことでもあるのではないでしょうか」(163ページ)と結ばれている。

 第10講では広域科学専攻の教授(もともとの出身は化学)の真船文隆さんと博報堂ブランドデザインの代表を務めながら教養学部付属教養教育高度化機構の特任教授でもある宮澤正憲さんがまとめの対談を行っている。それぞれの分野の専門家が、自由に議論をしてきたが、各議論の中で実は「個性」は「共通性」と「固有性」の中で理解されるべきだという認識はかなり一致していたのではないかと指摘される。「個性重視」という場合の「個性」には、「社会にとって価値のある固有性」というような、ある価値判断が含まれていることを見落とすべきではないという。博報堂ブランドデザインでは共通性や規範に即した「だから」という側面と、「固有性」や「革新」を秘めた「なのに」という側面とがバランスよく備わったアイディアの開発を目指している。
 共通性を考えるということは、たとえて言うと、独走ではなく、集団の先頭を走るフロントランナーとして研究開発を進めていくということである。そうはいっても革新的な研究は他人の追随を許さないような発想から生まれる場合が多いことも認めなければならない。ただ、それぞれの居場所で自分の個性を発揮するということも個性の在り方として認められるべきである。
 個性が生かされるためには、個性を発揮するためのトレーニングをしていく必要もある。例えば正解のない課題への取り組みなどを学校教育の中に組み入れていくことも必要ではないか。高等教育においては自発的に学ぶ場を作っていくことが特に求められる。また個人の個性と組織の個性は分けて考える必要がある。個人の個性は生れつきの部分が小さくないが、組織の個性は自分の意思で形成できるものである。
 最後に、個性は革新のための原動力である、他人ではなく自分でなければできないという自覚がなければ研究はできないという指摘と、その一方で共通性とのバランスを大事にすべきだという指摘とが結論的に述べられている。

 結論はかなり常識的なものになっているが、そこにたどりつくまでの議論の中で多くの事例が取り上げられ、さまざまな意見の共通性と独自性に読者は気づいてきたわけで、それだけの裏付けを以て結論されていることを重視すべきであろう。議論の過程に裏付けられた結論の力強さを感じて、読み終えることができたのではないかと思う。

 
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