『太平記』(28)

2月20日(金)晴れ後曇り

 前回は、相模入道(北条高時)が田楽に熱中し、田楽師を呼んでは自らも歌い踊っているうちに、天狗が現われて奇怪な舞を舞い、天下の大乱を予言するという出来事が起きたことを取り上げた。高時はそんな目にあっても、依然として行動を改めようとはせず、珍奇なものを愛好する癖をやめなかった。

 或る時、庭先に犬が集まってかみ合っているのを面白い様子だと思い、すっかり夢中になってしまった。そこで諸国に向けて、あるいは国の税や年貢として犬を集め、またあるいは公家や名門の武家に話を通じて犬を集めたので、各国の守護、刻し、一族の大名が犬を10匹、20匹と揃えて、鎌倉に連れていった。その間、エサには魚や鳥の肉を与え、犬をつなぐために金銀の飾りをつけた紐を用いたので、そのために消費した額は少なからぬものであった。犬を輿にのせて通行したので、道を急ぐ旅人も、幕府の業務による通行とあっては下馬して道を譲らざるを得ず、本来ならば田畑の仕事で忙しいはずの農民も、人夫として徴用されて輿を担がなければならないという有様である。このような愛玩ぶりだったので、肉類を餌として散々食べたうえに、豪華な衣装を着た犬が、鎌倉中にあふれ、4,5千匹に達したという。

 月に12回は犬合わせ=闘犬の日として定められ、北条氏一族のほか、北条得宗家譜代の家来たちとそれ以外の御家人たちが集まってそれを見物する。犬たちは2つの陣営に分かれて、それぞれ100匹から200匹が放たれて、戦うことになり、上になったり下になったりしながらかみ合う声が遠くまで聞こえた。心無い人々は、これを見て、戦場の様子のようで面白いといい、心ある人々は荒野で犬が死体を争う様に似て、困ったことだと眉をひそめていた。それはすべて人間の争いや死の前兆を全長を示すものであり、呆れた振る舞いであった。

 北条高時が闘犬を愛したのは本当の話かどうかわからないところがあり、あるいは他の逸話が紛れ込んできたのかもしれない。いずれにしても、『太平記』の作者は北条氏の支配がやがて終わろうとしていることを様々な形で語ろうとしてきた。その一方で、以下のような説話も挿入している。以下、原文をそのまま紹介し、口語訳していく。

 そもそも時すでに澆季に及んで、武臣、天下の権を把る事、源平両家の間に落ちて度々に及べり。
=いったいに時勢は既に末世をむかえて、武士が政権を支配するようになり、源平両家がその支配権を何度か握ってきた。
しかりと雖も、天道満てるを欠くゆゑに、あるいは一代にて滅び、あるいは一世を待たずして失へり。
=とはいうものの、満ちれば必ずかけるという天の道理のために、平清盛、源頼朝は長くその政権を維持することはできなかった。
今相模入道の一家(いっけ)天下を保つてすでに九代に及べる事、故あるべし。
=今相模入道(北条高時)の一家(=北条一族)が天下を保ってすでに9代となることには理由があるはずである。鎌倉幕府の執権になった北条一族の人物として高時は14人目であるが、得宗として、次のように数えて9代目ということのようである。①時政、②義時、③泰時、時氏、④経時、⑤時頼、⑧時宗、⑨貞時、⑭高時(時氏は執権にならず、経時と時頼は兄弟)。

 鎌倉草創の初め、北条四郎時政、榎島に参籠して、子孫の繁盛を祈ること折なり。
=頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃、北条四郎時政は江の島に参籠し、子孫の繁栄を一生懸命に祈った。
三七日に当たりける夜、赤き袴に柳裏の衣(きぬ)着たる女房の、端厳美麗なるが、忽然として時政が前に来たつて告げて曰はく、
=21日目にあたる夜に、赤い袴に表は白、裏は白みを帯びた青の襲(かさね)の衣を着た端正で荘厳な美しさを見せる女性が突然時政の前に現れて、次のように述べた。
「汝は、前生(ぜんしょう)に箱根法師にてありし時、六十六部の法華経を書いて、六十六ヶ国の霊地に奉納したる善根によつて、再びこの国に生まるることを得たり。
=「お前は、前世で箱根神社の社僧であったときに、六十六部の法華経を書いて、日本全国の六十六ヶ国の霊地に奉納した善根のために、再びこの国に生まれることを得たのである。この時代、日本は66の国と2つの島とに分けられていた。ここでは2つの島が省かれている。
されば、子孫長く日本の主となつて、栄花に誇るべし。
=この為に、子孫は長く日本の支配者となって、栄華を極めるだろう。厳密に言えば、執権の上には名目的にせよ、将軍がいるわけであるし、京都の朝廷もあるのだから、「日本の主」という表現が適切であるかどうかは疑問である。
但し、その振る舞ひもし違(たが)ふ所あらば、七代を過ぐべからず。
=ただし、その行状に道にそむくところがあれば、7代を過ぎて支配を保つことはできないだろう。
わが云ふ所不審あらば、国々に収めし所の霊地を見よ」と云ひ捨てて、立ち帰りける後ろ質(すがた)を見れば、さしも厳(いつく)しかりつる女房、忽ちに節長(ふしだけ)二十丈ばかりなる大蛇になつて、海中に入りにけり。
=私のいうところに不審を感じたならば、各国の霊地にお前が収めた経文を探してみよ」と言捨てて、帰っていく後姿を見ると、あれほどまでに端正であった女性が、急に全長20丈(60メートル)ほどの大蛇になって海に入っていった。
その跡を見るに、大きなる鱗(いろこ)を三つ落とせり。
=その跡を見ると、大きな鱗が3つ落ちていた。
時政、所願成就しぬと喜びて、かの鱗を取つて、旗の紋にぞ推したりける。
=時政は、参籠して願い事をした願いがかなったと喜んで、鱗を旗の紋にしようと押し付けた。
先代の三鱗形の紋これなり。
=北条氏の三鱗形の紋はこれによるものである。

 その後、弁才天の御告げによつて、国々の霊地へ人を遣はして、法華経の奉納所を見せけるに、俗名の時政の字に替はらず、「大法師時政(じせい)」と、奉納筒の上に書きたりけるこそ、不思議なれ。
=その後、弁才天の御告げを頼りに、国々の霊地へ人を遣わして法華経の奉納所を探してみたところ、(経文を収めた筒が見つかり)俗名の時政という字と同じく、「大法師時政」と奉納筒の上に書かれていたのは不思議なことであった。
されば、今の相模入道の一家、天下を七代に過ぎて保ちけるも、榎島の利生、または過去の善根に感じけるゆゑなり。
=それで、北条氏が天下を7代を越えて支配してきたのも、江の島の弁才天が告げた利生、あるいは時政が過去に積んだ善根(と北条氏の善政)に神仏が感動したためである。
今、高時禅門、すでに七代を過ぎて九代に及ぶ。
=今、高時の代になって、すでに七代を過ぎて九代に達している。
されば、すでに滅ぶべき時分到来して、かかる不思議の振る舞ひをもせられけるかと覚えたり。
=ということで、すでに滅びるべき時分がやって来て、(父祖たちの善政を裏切るような)このような不思議なことが起きるのかと人々は考えていたのであった。

 この話には様々な変形があるようで、時政がまだ若かったころに江の島にお参りしたところ、このようなお告げを受けただけでなく、私の侍女の一人がおまえの娘に生まれ変わるだろうと言われたという話があったと記憶する。あるいは記憶違いかもしれないが、出典を探してみたい。前世は箱根神社の社僧であった時政が江の島に参籠するというのも興味深い組み合わせである。江の島神社、箱根神社のほかにも、三島大社、伊豆山神社など源平ゆかりの神社はこのあたりに多いのである。なぜ、こういう話になっているのかということも、折に触れて考えていきたいものである。

 鎌倉の北条高時の様子を描いた部分はこれで終わり、これからは潜行を続ける護良親王の姿が描かれることになる。
 
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