ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(24)

2月17日(火)雨が降ったりやんだり、寒い。(東京では雪が降っていた。)

一年がまだ若々しいあの時分に、
太陽は灼熱の前髪を水瓶座のもとで穏やかに温め、
そして夜は既に春分に向かって短くなっていき、

大地の上には霜が、
その白い姉妹の姿をそのままに映し出すが、
けれども筆先の鋭さも長くはつづかぬようなその頃に、

飼葉の足りない若い羊飼いが起き上がり、
見渡すと、見えるのは白一面の
平野。そのため自分の腰を叩くと

家に帰り、あたりかまわず不平をこぼす
さながらどうしたらよいか途方に暮れる不幸な人々のように、
その後で再び外に戻ると、わずかな間に

世界が相貌を変えていたのを見て、
希望を心にとりもどし、杖をとって
羊たちを外へと追い立て牧草を食べさせる。
(350-351ページ) 太陽が水瓶座のところから出るのは1月21日から2月21日までと注記されている。冬から春に向かう、ちょうど今自分の時季の田園自体の情景が描かれる。この情景に託して、ダンテの希望に満ちたない面が描かれているが、と同時に、地獄の描写によって暗い気分に陥っているかもしれない読者の気分転換も図られているとみるべきである。下の「白い姉妹」というのは雪のことである。ダンテが中世の水準では数学や天文学について優れた知識を持つ人物であったこと、中世では天文学と占星術が結びついていたことなどを知っておく必要がある。ダンテはウェルギリウスの心中を図りかねて途方にくれながらも次に進もうとする。

 ダンテはウェルギリウスに促されて、第7洞窟へと向かうために岩の崖を上っていくが、その頂の上にやっとたどり着くと、
息は私の肺から絞り尽くされ、
上にたどりついた時には、私はもはや進めなくなっていた。
それどころか着いたとたん座りこんでしまった。
(354ページ) このために彼はウェルギリウスに怠惰の中にいる限り、名声にたどりつくことはないと叱責される。ダンテは力を振り絞って、元気な様子を装いながら、先を進む。
私達は岩橋の上に道をとった。
岩だらけで、狭く、歩きにくく、
これまでよりはるかに険しかった。
(356ページ) やがて二人は崖を降りて、盗賊たちの魂が罰を受けている第7巣窟の蛇の穴へと降りる。
その中に私が見たのは、恐ろしくも密集する
蛇の群れ、しかもあれほどにぞっとする種類であり、
思い出すだけで未だに私の血の気は失せる。
(358ページ)

 蛇は巣窟の中の人々の首と肩との間の場所にくいつき、そうするとくいつかれたものの前身は火がついて、崩れ落ち、灰となってしまう。驚くべきことに、こうして姿を消したはずの人物が、またすぐに元の姿を取り戻す。あたかも伝説の中の不死鳥のように。しかし不死鳥は人々に希望をもたらすが、彼らに希望はない。
おお、神の能力(ちから)よ、どれほど厳しくあらせられるのだ、
これほどの怒りの鉄槌で殴りつけるとは。
(361ページ)

 このような罰を受けているのは、ダンテの同時代のトスカーナ人であるピストイアのヴァンニ・フッチであった。彼はダンテに自分が罰を受けている姿を見られたことに怒り、かれに対して不吉な予言を投げつける。そして
おれがこれを話したのは貴様をどうあっても苦しませるためだ。
(364ページ)とその予言を締めくくる。

 原さんの翻訳には、この段の背景をなしているフィレンツェとトスカーナ地方の政治状況についての詳しい解説がされているので、興味があれば読んでほしい。この24歌では、地獄のむごたらしい光景が描かれている一方で、ダンテが暮らしているイタリアの日常的な生活を美しく描き、また彼の心中の希望が窺われる章句も見られて、変化に富み、読み応えがある。ダンテとウェルギリウスの地獄の遍歴はますます、厳しい劫罰を受けている罪人たちの世界へと進むのだが、そのさらに先には、地獄とは別の世界が待っているわけで、ダンテの気持ちもかなり複雑なものであると考えられる。
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