『太平記』(27)

2月12日(木)晴れ

 元弘2年(1332年)、後醍醐天皇廃位の後を受けて、光厳天皇が即位され、11月に大嘗会が行われた(このことは前回書き漏らした)。おりしも、先帝が延暦寺の根本中堂に燈された新常燈が消えるという怪異があった。そのころ、鎌倉では何が起きていたか。今回は、岩波文庫版で「相模入道田楽を好む事」と題されている段を全文見ていくことにする。「田楽」というのは能や狂言の源流の1つになったといわれる平安時代末期から盛んになった曲芸的な要素を伴う歌舞であるが、その由来などわからないことも少なくない。

 また、その比(ころ)、洛中に田楽を弄ぶ事昌(さか)んにして、貴賤皆これに婬せり。
⇒また、そのころ、京の都では田楽を賞玩することが盛んで、身分の上下を問わず皆が夢中になっていた。「また」というのは前段で、都の周辺における怪異を記し、これからは鎌倉で起きた怪異を記すぞということで使っているのであろう。
相模入道、この事を聞いて、新座、本座の田楽どもを喚(よ)び下し、日夜朝暮にこれを弄ぶ事他事なし。
⇒相模入道(=北条高時)は、この事を聞いて、新座、本座の田楽師たちを呼び寄せ、毎日朝となく暮がたとなく、これを賞玩することに余念がない。本座というのは京白河の田楽、新座というのは南都(=奈良)の田楽を言うそうである。〔北条高時が一方では京都の王権を圧迫しながら、他方で京都の文化にあこがれているということ、遊び好き、珍しいもの好きの性格であることが分かる。]
入興(じゅきょう)の余りに、宗徒の大名どもに、田楽一人づつを預けて、装束を飾らせける間、これは誰がし殿の田楽、かれは何がし殿の田楽なんどと云ひて、金銀珠玉を逞(たくま)しうし、綾羅錦繍を飾れり。
⇒興に入るあまり、主だった大名たちに田楽師を1人ずつ預けて、美しい装束を装わせたので、これは誰がし殿の邸にいる田楽、あれは何がし殿の邸にいる田楽などといって(競争になり)、金銀珠玉で盛んに飾り立て、綾、薄絹、錦、刺繍のある織物で作られた豪華な衣装を着せた。〔少しくらいの道楽であれば、大目に見てもよいのだが、ここまで来ると、行き過ぎであり、それをとめられない側近たちにも問題はある。]
宴に臨んで一曲を歌へば、相模入道を始めとして、見物の一族大名、われ劣らじと、直垂、大口を脱いで投げ出だす。
⇒宴会の席に臨んで一曲を歌うと、相模入道を始めとして、見物の一族大名たちが、自分は人には負けまいと、武家の礼服である直垂や、裾の開いた大口袴を脱いで投げつけた。なお、投げるというところで、別の漢字が使われているのだが、あいにくとその字を入力できないので、この字を使っている。
集めてこれを積むに、山の如し。
⇒集めてこれを積むと、山のようになった。
その弊(つい)え、幾千万と云ふ数を知らず。
⇒浪費された額は、数えきれないほどに膨大なものであった。

 或る夜、一献のありけるに、相模入道、数盃を傾(かたぶ)け尽くして、酔(え)ひに和(か)して、立つて舞ふ事やや久し。
⇒ある夜、小宴があったのだが、相模入道は数杯の酒を飲みほして、酔うに任せて、立ちあがって少し長い間舞を舞った。
若輩の興を勧むる舞にもあらず、また狂骨の言を巧みにする戯れにもあらず、四十余りの古入道酔狂の余りに舞ふ舞なれば、風情あるべしとも覚えざりける処に、いづくより来たるとも知らぬ新座、本座の田楽十余人忽然として座席に連なつてぞ舞ひ歌ひける。
⇒若輩者が座を盛り上げるために踊る舞でもなく、またばかばかしい冗談を巧みに織り込んで一座を笑わせようというのでもなく、40歳を過ぎた古入道が酔いに任せて踊っているのだから、風情もなにもあったものではない(とはいっても、目上の人が踊っているので)座が白けてもそのままほおっておくよりほかはなかったのだが、その時どこからやって来たかはわからない新座、本座の田楽たちが十数人、突然宴席に現れて歌い踊り始めた。なお、北条高時はこの時、30歳であった。
その興甚(はなは)だ尋常(よのつね)に勝(すぐ)れたり。
⇒その面白さというのは水準をはるかに超えたものであった。
暫くあつて、拍子を替へて囃す声を聞けば、「天王寺の妖霊星を見ばや」などと囃しける。
⇒しばらくして、拍子を別のものに替えて囃す声を聞くと、「天王寺の妖霊星を見ばや」などと囃していた。〔ここで作者の目が宴席から離れ、その様子を窺っている従者や奉公人たちのほうに向っている。〕
ある官女、この声を聞いて、余りの面白さに障子の破れよりこれを見たりければ、新座、本座の田楽と見えつるもの、一人も人にてはなかりけり。
⇒邸に奉公している一人の女が、この声を聞いて、あまりの面白さに障子の破れたところからこの様子を見たところ、新座、本座の田楽と見えていた者たちは、一人も人間ではなかった。〔障子が破れているというのが気になる。〕
或いは觜(くちばし)勾(まが)りて鳶の如くなるもあり、(或いは身に翅(つばさ)あつて頭(かしら)は山伏の如くなるもあり。)
⇒或いは觜が曲がって鳶のような姿のものや、あるいは体に翔がついていて頭は山伏のような様子のものがいた。
ただ異類異形の怪物(ばけもの)どもが、姿を人に変じたるにてぞありける。
⇒人ではない異様な姿の化け物どもが、姿を人に変えていたというだけのものであった。

 官女、これを見て、余りに不思議に思引ければ、人を走らかして城入道にぞ告げたりける。
⇒官女はこれを見て、余りに不思議なことであると思ったので、急いで人をやって高時の舅である安達時顕が出家して城入道と言っていたのに知らせた。
城入道、取る物も取りあへず、中門を荒らかに歩みける足音を聞いて、かの怪物ども、掻き消すやうに失せにけり。
⇒城入道は取る物も取りあえず、中門を荒々しく足音を立てて歩いてきたのを聞いて、怪物たちは掻き消すように姿を消した。
相模入道は、前後も知らず酔ひ臥したり。
⇒相模入道は、前後不覚の状態で酔って横たわっていた。
燈を明らかに挑(かか)げさせて、遊宴の座席を見るに、天狗の集まりけるよと覚えて、踏み汚したる畳の上に、鳥獣の足跡多し。
⇒燈火を明るく掲げさせて、宴会の席を見ると、天狗が集まっていたらしく、踏み汚された畳の上に、鳥獣の足跡が多く残されていた。
城入道、暫く虚空を睨んで立つたれども、あへて目に遮る物なし。
⇒城入道は、しばらく空を睨んで立っていたが、何も目に映るものはなかった。
やや久しくあつて、相模入道驚き醒めて起きたれども、茫然として更に知る所なし。
⇒やや時間がたってから、相模入道が驚いて目を覚まし、起き上がったが、ぼんやりとして何も覚えていなかった。なお、「茫然」の「ぼう」という字がやはり入力できず、この字で代用している。

 後に、南家の儒者に刑部少輔仲範(ぎょうぶのしょうなかのり)、このことを伝へ聞いて、「天下まさに乱れんとする時に、妖霊星と云ふ悪星(あくしょう)下つて、災ひをなすと云へり。
⇒その後、藤原氏南家の儒者に刑部少輔仲範という人がいて、このことを伝え聞いて、次のように述べた。「天下がまさに乱れようとするときに、妖霊星という悪い星が地上に降りてきて、災いをなすという。〔藤原氏は奈良時代に南家、北家、式家、京家の四流に分かれた。南家は嫡流であるが、北家の繁栄の陰に隠れてしまい、もっぱら学者の家として細々と命脈を保つことになる。保元・平治の乱における重要人物の一人である信西や、この『太平記』にすでに登場している二階堂道蘊は南家の人物である。また、源頼朝の母も南家の出身であることも注意しておいてよい。この仲範は鎌倉に下って暮らしていた学者らしい。〕
しかりと雖(いえど)も、天王寺はこれ仏法最初の霊地にして、聖徳太子、自ら日本一州の未来記を留め給へり。
⇒とはいうものの、天王寺は我が国における仏法の最初の霊地であり、聖徳太子が自ら日本という一国の未来を予言した書物を残された。[天王寺は大阪市天王寺区にある四天王寺のこと、聖徳太子創建と伝えられる。『未来記』は中世に流行した聖徳太子作と伝えられる予言書で、この後6巻の5になると、楠正成が天王寺でこの書物を見る。]
されば、かの怪物どもが、天王寺の妖霊星と歌ひけるは、いかさま天王寺辺より天下の動乱出で来て、国家敗亡しぬと覚ゆる。
⇒だから、かの怪物たちが天王寺の妖霊星と歌ったのは、必ず天王寺の周辺から天下の動乱が起きて、幕府が敗亡することになると思われる。
あはれ、国王徳を治め、武家仁を施して、妖を消す謀を致されよかし」と申しけるが、はたして思ひ知らるる世になりにけり。
⇒どうも困ったことである。国王が徳をもち、幕府が仁を施す政治をして、ばけものたちが姿を消すような方策としてほしいものである」と述べたが、案の定それを思い知らされる世の中になってしまった。〔この時代は院政が行われていたので、国王=治天の君と考えるべきであろう。〕
かの仲範、未然に凶を鑑(かんが)みける博覧の程こそ、あり難けれ。
⇒仲範が凶事を予知したその博識は素晴らしいものであった。

 この話は、かなりよく知られていて、吉川英治の『私本太平記』にも関連する場面が、取り上げられているが、事件が起きたのはもっと早い時期のこととされ、怪異は否定されて合理的な解釈が施されている。しかし、物語の成り行きからすると『太平記』の本来の取り上げ方の方が自然である。『徒然草』に登場する、第5代執権北条時頼の母・松下禅尼が障子の穴を自分で紙を切って貼ってふさいだという倹約ぶり(184段)や、その北条時頼が夜、一族であり側近でもある大仏宣時を邸に招き味噌を肴に酒を楽しんだという質実さ(215段)と比べると、高時が展開する贅沢で、財宝を蕩尽するような生活態度は人々の顰蹙を買うものであったのであろう。高時やその取り巻きには怪物の正体が見抜けなかったのに、官女が気づいているというところも注目しておいてよい。天狗が現われたのは、仲範がいうように、一つの警告とみるべきであるが、そんなことで態度を変えるような高時ではなかった。
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