市井豊『聴き屋の芸術学部祭』

1月17日(土)晴れ後曇り

 市井豊『聴き屋の芸術学部祭』(創元推理文庫)を読み終える。2012年にこの文庫の版元である東京創元社から単行本として刊行された短編集を文庫版にしたもの。表題作を含む4つの短編を収録している。

 4篇すべての語り手であるT大学芸術学部文芸学科の学生、柏木君は<ザ・フール>という文芸サークルの会員であるが、サークル仲間からは他人の話の聞き役となる「聴き屋」としての才能を認められ、さらに心理学の先生の<お墨付き>がついて、学生食堂などで見知らない学生や外部の人間から相談を持ち掛けられるようになった。
 「聴き屋に持ち込まれるのはどれも大した内容の話ではない。きわめて小市民的な世間話ばかりだった。いわく『バイト先の上司が無茶を言う』『姪っ子がかわいくて仕方ない』『最近特殊な性癖に目覚めた』エトセトラ・・・・・・・。
 つらいから口に出したい不満や愚痴、何度でも話したいとっておきの自慢、毒にも薬にもならない、だけど人に聴いてもらいたい話などが集まってくる。
 聴き屋は相談所とは違うので、ぼくの対応は、ふんふんなるほどそういうこともあるんだな、とまさに聴くだけである。こんな生返事しかできないのに、不思議と聴き屋の需要は絶えることがなく、ぼくを訪ねてくる人は増える一方だった。」(15ページ)

 その彼が遭遇する4つの事件。芸術学部祭の最中に会場となっている教室の一つでスプリンクラーが作動し、駆けつけてみると教室の中央で、丸焦げになった人間が、水浸しになって倒れていた。(「聴き屋の芸術学部祭」)
 学生劇団≪ザ・ムーン≫が上演する予定の舞台劇『からくりツィスカの余命』を書き上げた座付作者が、団員のいたずらに腹を立てて、結末の部分を抜き取って姿を消してしまった。作者を探し出さずに、物語の結末を見つけてほしい。(「からくりツィスカの余命」)
 男子部員ばかりだった模型部に入って来た女子部員が制作していた宇宙ステーションの模型が何者かによって壊された。第一発見者である男子部員が、壊したのであろうと疑われたが、本人は潔白を主張する。(「濡れ衣トワイライト」)
 芸術学部祭でのサークル誌の売り上げが予想外に多かったので、それを有効に使うべく温泉地に旅行に出かけるが、その旅行先で2人組の同年輩の泥棒に出会い、それだけならよかったのだが、旅館を舞台にいた殺人事件に巻き込まれる。(「泥棒たちの挽歌」)

 語り手の「聴き屋」柏木君には、女装するとひどく色っぽくなる推理マニアの川瀬という「悪友」がいて、1年生の女子学生からは特別な関係にあるものと邪推されている。(いや、邪推ではないかもしれない…) さらに、美術科の学生だが同じサークルに属していて彼の後を背後霊のように追い回す女性の「先輩」や、同じく美術科だが同じサークルに属していて、こちらはやけに明るい森里さんなどの個性的な登場人物が彼の周囲に出没する。

 作者の市井さんは日大の芸術学部文芸学科出身とのことで、登場人物のそれぞれに奇矯な個性や生活ぶり、自由を通り越して無秩序な学園生活がこれらの作品群の素地となっているようである。「聴き屋の芸術学部祭」と「泥棒たちの挽歌」では殺人事件というめったにない事件に主人公たちは遭遇するが、「濡れ衣トワイライト」は実際に大学のサークル活動の中で起きても不思議がない事件であり、些細に思われるかもしれないが、当事者にとっては深刻な、大学の中での出来事を、詳しい性格描写を交えて描きこんでいる。出来事も登場人物も、作者の学生生活から遠くないところのものであることを推測させるような内容であり、比較的最近の学生たちの姿を知ることができて(もちろん、これがすべてではない)、その意味でも興味がわく作品である。

 大学でどのように学んでいるかではなくて、どのように大学に関連した余暇を過ごしているかの方に、学生生活の重心が置かれているような印象を受けるかもしれないが、大学という枠の中にいる限り、悪からは一応遮断されているはずであると認識すべきである。それでも大学生である登場人物たちの周辺で、殺人事件を含む事件が起きることは、もはや大学が俗世間とは別の楽園ではないことを示しているようでもある。また、大学は世界の一部分であり、学生たちはいずれは大学を出て、社会人にならなければならないことを考えると、、作者がいつまでもこれらの経験にしがみつくわけにもいかないだろうから、今後、どのような作風の転換を見せていくかという点にも興味がわく。


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