アルファヴィル

1月16日(金)晴れ後曇り

 渋谷のシアター・イメージフォーラムでジャン=リュック・ゴダール監督の1965年作品(日本では1970年に公開された)『アルファヴィル』(Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution)を見る。1970年に日本で公開された際に、見たはずなのだが、映画の細部についての記憶が全くない。今回は昨年末からトリュフォーの『華氏451』と組み合わせての上映で、トリュフォー作品の方は見たときの記憶がかなりよく残っている。今回、この「ヌーヴェル・ヴァーグSF映画対決」の特集上映のうち、ゴダールの作品だけを見たのは、私の時間の都合であって、個人的な好みを反映したものではない。本日、19時からの『アルファヴィル』の上映は最終日の最終上映となったが、かなりの観客を集め、そのまたかなりの部分が若い観客であったことが心強く思われた。

 いつ頃のことかわからないが、遠くなさそうな未来の話。銀河系の首都であるアルファヴィルに『フィガロ=プラウダ』の記者だというイワン・ジョンソンという人物がやって来てホテルにチェック・インする。『フィガロ』はフランスの右派系の新聞、『プラウダ』は旧ソ連時代の(この映画が作られたのはまだソ連が存在し、フルシチョフが失脚してブレジネフに政権が移ったころである)共産党機関紙、イワンはロシア人に多い名前、ジョンソンは当時のアメリカの大統領の姓、この種の人名や地名が映画には盛んに登場する。

 彼は実はレミー・コーションという名のコードナンバー003を持つシークレット・エージェントで有る。彼は個人的な感情や思想の自由が排除され、人々がアルファ60という人工知能によって支配されているアルファヴィルで、彼の前にこの都市に派遣されたが、音信が途絶えているアンリ・ディクソンを探し出すこと、アルファ60の開発に役割を演じたフォン・ブラウン教授を逮捕するか抹殺すること、そしてアルファ60を破壊することを使命として派遣されたのである。

 到着するや否や、彼の周辺には様々な人物が付きまとうが、その中でフォン・ブラウン博士の娘だという美しい女性ナターシャ・フォン・ブラウンがとくに彼の目を引く。その一方でアルファヴィルの警察は彼に対する監視を続け、彼の周辺では様々な出来事が起きる。

 SF映画というが、このジャンルにつきものの大規模なセットや特殊撮影を使った場面はなく、現実のパリ市街や近郊の高速道路がドイツ表現主義の映画を思わせるように描きだされ、独特の未来世界が構成されている。ドイツ表現主義といえば、フォン・ブラウン(という名前もドイツ的であるが)の本名が吸血鬼映画の主人公と同じノスフェラトゥであるというおまけもついている。あるいは未来のディストピア世界にヒットラー台頭期のドイツの姿をかぶせる意図があったのかもしれない。

 それにしても、ゴダールは商業主義的な大作をつくることを潔しとしなかったので、映画製作の中で予算の制約に付きまとわれていたようである。それで、ハリウッド製の様々な技術を駆使したSF映画になじんでしまうと、その点では物足りなく思うかもしれない。映画製作から50年以上がたって、コンピューター技術の発展を目の当たりにしてしまうと、この作品に登場するコンピューターの古さが滑稽にさえ感じられてしまう。この映画の後でロジェ・ヴァディムがジェーン・フォンダ主演で撮った『バーバレラ』も同じような話であったが、文明批判の性格は弱くなっているものの、ヴィジュアルな面白さでは優っていたのは、予算の関係も大きいのであろう。

 それでも、いろいろ欠点はあっても観客をとらえて離さない不思議な魅力がある作品で、それは多少的外れなところがあるにしても、映画を通じて文明批評を展開しようとする映画作家ゴダールの熱意のたまものである。少し譲って映画の魅力のかなりの部分がナターシャを演じているアンナ・カリーナの美しさに支えられていることを認めるにせよ、その美しさを引き出し、画面にとらえている監督の努力も忘れてはならないのである。

 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR