ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(20)

1月13日(火)晴れ

新たな罰を私は詩行に重ねて
第一曲の第二十歌の主題を
書き表さなければならない。闇に沈んだ者どもをめぐる曲ではあるが。

私は既に全身を緊張させて
視界に広がった地底をよく見ようとしていた。
それは苦悩の涙で濡れていた。

するとこの現世では祈りの列がなす
歩き方で、沈黙のうちに涙を流しながら、円形の深い谷を
進んでくる者どもが見えた。
(290ページ)

 上記2行目で第一曲というのは『地獄篇』のことである。この第20歌で、ダンテはウェルギリウスに導かれて地獄の第8圏の第4巣窟に到着した。ここでは沈黙が支配し、生前に未来を予見した占い師たちが顔を後方に捻られて、想像が及ばないほど奇怪にゆがんだ姿で歩いている。占い師たちは、未来を予見することにより、神慮を無視して自分の運命を捻じ曲げようとしたためにこのような罰を受けているのである。

 ギリシャ神話に登場する占い師や、歴史上の占い師が登場したのちに、ウェルギリウスの生まれたマントゥアの町の起源についての物語がウェルギリウスの口から語られる。彼の叙事詩『アエネーイス』ではこの市を建設する際に占いがかかわっていると述べられているのだが、彼はこのことを否定する。ウェルギリウスの口を借りて、このように述べることで、ダンテは占いの効力を否定しているのである(それよりもまず、占い師たちが地獄の奥深くに置かれていることに彼の考えが現われている)。

 またこの物語と関連して
地上にある美しいイタリアには、
ラマーニャを閉じるアルプスの麓の
チロルのそばに一つの湖が横たわり、名をベナコという。

千もの泉、私が思うにさらに多くの泉のあるおかげで、
ガルダとヴァル・カモニカとアペンニーノの間は
先ほどの湖に流れ込んでいこう水によって洗われている。
(296ページ)と、地上の美しい自然が描かれている。これは、読者を地獄の描写の息苦しさから一時的にせよ解き放つ配慮のように思われる。

 ウェルギリウスは、この第二十歌の最後で、叙事詩の冒頭、暗い森の中でダンテを見捨てなかった月を忘れるなと述べる。月は太陽の光を反射して光るが、太陽は神の<知>を象徴し、月は神の光の反射で輝く<理性>を象徴する。
ところで昨夜すでに月は真円だった。
よくよくおまえはそれを覚えておかねばならぬ。なぜならあの時、
おまえを奥深い森の中で見捨てることはなかったのだから。
(302ページ) ウェルギリウスはこの作品では理性を代表する存在であり、月を忘れるなというのは、結局、彼を忘れるなということである。

このように私に話しながらも、その間、私達は進んでいた。
(同上)


 
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