森正人『四国遍路』

1月12日(月)晴れ

 森正人『四国遍路』(中公新書)を読み終える。昨年の末に買った本で、読み終えるのに少し時間がかかった。

 一時、四国遍路の旅に出ようと思って、関係図書、とくに遍路の経験をつづった書物を何冊も集めて読んでいたことがある。ところが旅に出かける機会を逃したまま、年をとってしまい、体力的に歩き遍路は無理だと判断して、そういう本のほとんどは整理してしまった。今回、この本を読んだのは知的な関心からであって、四国遍路について確認可能な資料からその歴史の全体像を探るこの書物は、そういう関心にこたえる内容を備えている。著者は「あとがき」で四国遍路について研究するのではなく、四国遍路を通して何かを考えようとしてきたと述べているが、ここでは自分自身の遍路とのかかわりを通じて、四国遍路について考えているといってよいかもしれない。

 資料を基に再点検することによって、著者は四国遍路の記録が実証的に遡れるのは江戸時代中期までであるという。しかも江戸時代における四国遍路は現在、我々が知っているようなものとは違う姿をしていたこと、巡礼の形式が整ってくるのは意外に新しく20世紀に入ってからのことであるという。

 もう一つの重要な点は四国遍路が置かれていた厳しい社会的状況であり、遍路は常に沿道の人々から温かい目で見守られてきたわけではなく、時として取り締まりや差別の対象となっていたということである。この点をめぐっては地方による取扱いの違いなどが詳しく記されていて、興味深かった。

 四国遍路は確固とした教理や特定の宗教的な意義の上に成立したものではなく、特定の社会状況の中で特定の意味を与えられ、徐々に体系化されてきたものである。しばしば弘法大師との結びつきや、その古い伝統が強調されるが、むしろそれは近代的、現代的な性格を強く持つものであると著者は考えている。高群逸枝をはじめとして多くのジャーナリストの旅行記を使っているのは、このことと関連するように思われる。

 資料の選択について思うのは、「はじめに」で遍路が直面していた厳しい社会状況を語るために高浜虚子の
道のべに阿波の遍路の墓あはれ
(ⅱページ)という俳句が引用されているとはいうものの、全体としてみると文学作品や映画に出てきた遍路の姿が十分に活用されていないために、今一つイメージが豊かに膨らんでこないということである。井伏鱒二の「へんろう宿」や田宮虎彦の小説を吉村公三郎が映画化した『足摺岬』などの描く情景は私の脳裏に強く焼き付いている。第1章で十返舎一九の滑稽本『金草鞋』について触れているのは、興味深い個所であるが、作者が主人公に詠ませている
接待に世話を焼きたいはつたいをありがへとて人はたいたい
(47ページ)を「川柳」としているのは「狂歌」の誤りである。(ついでに「ありがへ」というのはというのは「ありがてへ」の誤植ではないかと思う。) このあたり、著者だけでなく編集者もしっかりしてほしかった個所である。

 とはいうものの、全体としてみると、興味深く、あらためて「四国遍路」の文化遺産としての多様な価値について認識させ、考えさせてくれる書物であることに間違いはない。
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