春香傳

1月10日(土)晴れ、夜空にオリオン座、冬の大三角形がはっきり見えた。残念ながら、オリオン星雲は見えず。

 1月9日、『春香傳』(許南騏訳、岩波文庫)を読み終える。李氏朝鮮時代の韓国文学を代表する文学作品の一つとされる。作者がわかっていないところに、この作品が民間説話として成長してきた経緯と、近世の韓国社会において小説という文学のジャンルが低い評価しか受けていなかった事情を読み取ることができる。

 李朝第19代の国王、粛宗大王(治世1675-1720)の頃、半島南部の全羅道南原府に、月梅(ウォルメ)という名の妓生(キイセン=芸妓)がいた。名妓の誉れ高かったが、すでに引退して、縁あって成という姓の両班の囲い者として暮らしていたが、40歳を迎えて子どもがいないので、智異(チリ)山に登って神霊に祈ったところ、一女を得た。そこで春香(チュンヒャン)と名付けて大事に育て、彼女は美しく、また教養豊かな女性として成長した。

 その頃、大王は忠孝の徳に秀でたものを選抜して地方長官に任命していたが、李翰林という両班がいて、この人物が徳行優れていたために南原府使(知事)に任命する。彼の善政のおかげでこの地方の住民は満ち足りた生活を送ることができた。ところで、彼には夢龍という息子があり、まだ16歳であったが、才能豊かで、5月のある日、南原の風物を見て詩をつくろうと外出する。同じ日に、春香もこの好天の日を無為に過ごすことはないと外出し、鞦韆(しゅうせん=ブランコ)遊びをしているところを夢龍が見初める。(この鞦韆というところがいかにも韓国の伝統を感じさせる。)

 こうして2人は結ばれるのだが、身分の違いが重大な意味をもっていたこの時代、片方は両班の息子、もう片方は父親が両班であった(すでに死去している)とはいうものの庶子で、妓生という身分の女性。正式な結婚は困難である。そのうち、李翰林は中央の顕職に栄転し、夢龍も都に帰らなければならなくなる。南原に残った春香は、新たに赴任してきた卞という好色な府使に言い寄られ、それを拒絶したために投獄されることになる。都に戻った夢龍は科挙の試験に合格し、地方行政を監察する御史の職に任じられ、半島南部の視察に出かける。

 物語はさまざまな要素をもって展開する。恋愛小説であり、二人が結ばれるとエロティックな場面が続き、使用人が登場する場面では滑稽な場面が描かれ、農民の生活を描く場面ではやや観念的ではあるが政治的な議論が展開される。中国や朝鮮の故事が美辞麗句を連ねて列挙されるかと思うと、人々の生活に即したリアルな描写も見られる。人生の様々な場面での知恵を織り込んだ百科全書的な性格もあったようである。そういう雑多な要素が集成されているのは、我が国だと平家物語や太平記のような語り物でもあった文学作品と共通する特徴のように思われる。身分違いの恋というテーマは近代的だといえなくもないが、その描き方は近代的な恋愛というよりも、伝統的な貞節観に貫かれている。

 昨年12月22日付の当ブログで王敏『禹王と日本人 「治水神」がつなぐ東アジア』について取り上げた際に、この作品が韓国の国民に及ぼしている影響を日本の『源氏物語』と比較したきわめて粗雑な議論についてその不適切性を指摘した折に、『春香傳』は短いからすぐにでも読めるというようなことを書いたが、実際は多少の時間がかかってしまった。その理由は、語り物=我が国の講談を思わせる美辞麗句の羅列ですっかり当惑させられたことである。許南騏による翻訳は、当今の読者には難しすぎると思われるので、改訳が望まれる。なお、ほかに平凡社の東洋文庫にも翻訳があるそうだが、こちらは読んでいない。

 比較文学者によると、『源氏物語』は部分的に白居易の「長恨歌」の影響を受けており、東アジア世界における「恋愛」文学という枠内で、『春香傳』と『源氏物語』を比べることは意味のないことではないかもしれない。とはいうものの、「長恨歌」にせよ、『源氏物語』にせよ、宮廷や貴族社会が主な舞台の作品であり、『春香傳』は同じ唐の時代の恋愛文学でも白居易の友人でもあった元禛の「会真記(鶯鶯伝)」とか、白居易の弟の白行簡の「李娃伝」のような才子佳人小説の系譜につながるものと考えるべきである。これらの小説では科挙を受けようとする若者(才子)と美しい女性の「恋愛」が主題となっているが、「会真記」では良家の娘がヒロインになっているのに対して、「李娃伝」では娼妓がヒロインになっているという違いがあり、『春香傳』はその点で「李娃伝」の系譜をひく作品のように思われるが、李娃が客を取る娼婦であるのに対して、春香は母親が妓生であるというだけで、実際にお座敷に出て芸を披露するようなことをしていないので、その点が大きく違うことも注目しておいてよかろう。とにかく登場人物の設定に、作品のさまざまな主張を読み取るべきであり、一筋縄でいかないのである。

 日本では官吏登用のための科挙の試験が発展せず、しかも武士が台頭して文治ではなく武家政治の時代が長く続いたので、才子佳人小説は十分な発達を遂げるに至らなかった。徳川の太平の世の中になって、『朝顔日記』のような作品が現われたが、恋愛文学の主人公は伝統的に貴族の男女であり、そこから武士や町人へと広がっていった。文学がいかに国民に親しまれているかという一点のみに着目した王敏さんの議論は、文学作品の文学としての質や社会的な性格に対する分析を欠いているために粗雑なものというよりほかはないが、禹王が『春香傳』で5回言及されているという指摘は、私も確認したので、そのことを付け加えておく。岩波文庫版で7ページ、25ページ、50ページ、87ページ、99ページの5個所である。ただし、中国古代のその他の聖人や帝王とともに列挙されているだけで、実質的な意味があるようには思えなかった。
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