小倉美惠子『オオカミの護符』(4)

1月2日(金)晴れ、日差しはかなり暖かかったが、風が冷たかった。三ツ沢公園の入り口付近から雪をかぶった富士山を見ることができた。

 「穀物を炊いて、山の頂にお供えする『お炊き上げ』神事が、オオカミ信仰の神社で行われているということの背景に何があるのか。そこに神事が形作られる以前の原点を感じ」(182ページ)、小倉さんは晩秋の三峰山へと向かう。三峰山とは本来、埼玉県の妙法ヶ岳、白岩山、そして東京都の最高峰である雲取山の3つの山の総称であるが、現在では三峰神社の本殿が建つ山をそう呼んでいる。三峰は「奥秩父」、「奥武蔵」と呼ばれ、荒川の最上流部にある。訪れてみると「これまでとは格段に周囲の山の迫力が違う。山から発せられる力のようなものがじんじんと感じられる」(183ページ)と著者は言う。

 三峰神社は「オオカミ信仰の神社としては、御岳山と並んでその規模が大きく、名も通っているが、御岳山の信仰は主に山を南に下って関東平野一帯に広がりを見せ、三峰の信仰は逆に北に山を伝って甲州、信州、上州を抜け、東北の方角に拡がった」(184ページ)。実は小倉さんの協力者である映画監督の由井さんは、信州の三峰信仰を伝える山村の出身であった。ここまで取材を続けてきた小倉さんと由井さんは不思議な感覚を味わった。

 三峰神社の神域に祭られているヤマイヌ型の狛犬は他の神社に比べて格段に多く、それらが皆講中からの奉納であることを考えていると「お犬さま」に対する篤い信仰を窺うことができる。三峯山博物館では、折よく「幻のニホンオオカミ展」が行われており、そこで小倉さんは『日鑑』という神仏分離以前の江戸時代の日記を見つけ、その中に記されていた「御産立(おぼだて)」という行事に関心を抱く。「そこには実際に山に棲むオオカミのお産の鳴き声を山に暮らす百姓が聞きつけ、寺社に知らせてお産のあった場所に供え物をささげた」(187-188ページ)と書かれていた。

 いったん川崎に戻って御産立について調べてみると、「埼玉から東北、信州の山間部では神社の神事としてはなく、庶民の素朴な行いとして『オオカミの産見舞い』と称し、山に赤飯を供えてきたことがわかった」(188ページ)。さらに柳田国男の『山の人生』の中に「御産立」についての記述を見つける。そこで、オオカミのお産の鳴き声は「心直ぐなる者のみこれを聴くことを得べし」(190ページ)という記述を見つける。「心直ぐなる者」とはどのような人を言うのか。

 三峰には「三峰」と「三峯」という2つの表記があるが、地名としては「三峰」、神社の場合は「三峯」と書き分けるのだそうである。三峯神社の神官である千島幸明さんの配慮で、小倉さんは三峯神社の「御焚上祭」の神事に立ち会うことができた。そこではお供物の「赤めし」が何かを語りかけるように思われた。
 「お供物の『赤めし』は、糯米の『赤飯』ではなく、粳の飯を小豆とともに炊き、その上からお酒がかけてある。宝登山神社では白飯、猪狩神社では糯米と雑穀の赤飯、そしてここ三峯では粳米と小豆の赤めし。それぞれに少しずつ内容が異なるが、山の頂にお供えすることは共通していた。
 『赤』という色は、各地で魔除けに使われると聞いたことがあるが、『赤めし』にも何か意味が込められているように思われた」(192ページ)。

 子を産むオオカミの叫び声を聴くことができる「心直ぐなる者」とは、山の「神領民」のことであり、三峰山の社領に住み、社寺に仕えた百姓をさすが、三峯神社の神官である千島さんその人がまさに神領の出身であることが分かった。現在は神社境内に移築されている千島さんの実家の建物の頂には「ノザス」と呼ばれる千木が置かれている。小倉さんは千島さんから江戸時代まで三峰の耕地は、三峯神社ならびに三峯山観音院の社領で、神領民は三峯の社寺に税金を納めるだけでよく、幕府も朝廷も権力が及ばぬ「守護不入」の治外法権の存在であったという話を聞く。神領民たちは、代々焼畑や山仕事に従事しながら三峯神社に仕えてきたという。伝統的な集落は、土地の持つ「自然の恵みの総量」によって決まっており、そのような集落の規模は互いを親身に気遣うことができ、意思疎通が図れる規模でもあったのではないかと小倉さんは考える。われわれの少し前の時代まで、そういう伝統的な生活が維持されてきたということに思い至るのである。

 小倉さんが取材活動を続けていたころと重なるようだが、5年ほど前に青春18きっぷを使って旅行した帰り道、名古屋と豊橋の間あたりで、各駅停車の電車に乗り合わせた老婆が孫らしい子どもたちに向かって北の方に霞む山々を見ながらいろいろと話しかけている場面に出会った。豊橋で乗り換えて、北の方に行けば、その山々に近づくことになり、たぶん、そのことを念頭に置いて話をしているのだろうが、私にとってはただの山でも、おばあさんにとってはふるさとの山、特別の意味をもつ山なのだろうなぁとその様子を眺めていたことを思い出す。そして、ハイネが『ハルツ紀行』の中で、老婆が孫に向かってその昔は自分の花嫁衣裳の一部であったスカートについて、その生地に描かれた花模様の花を数えている孫に向かって話をするという場面を描きだしていることを思い出していたのである。衣服が消耗品ではなく、子々孫々に記憶とともに継承されているような生活についてハイネが語っていたのはもう150年以上も昔のことである。そのハイネの別の本を読んで、柳田国男が山で暮らす人々の生活の中に昔の生活が残っているのではないかという示唆を受けたのも100年以上昔の話になってしまった。が、とにかく、そういう記憶の尻尾を我々は捕まえているし、捕まえた以上離すべきではないのであると思っている次第である。 
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こんにちは。

コメントありがとうございました。
新潟の住んでおられたのですね。
万代橋で橋歩きを思い出していただけて嬉しいです。

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