神永正博 小飼弾『未来予測を嗤え!』

12月27日(土)晴れ

 12月24日、神永正博 小飼弾『未来予測を嗤え!』(角川Oneテーマ21)を読み終える。 
 私達にはどのような未来が待ち構えているのか。それに対してどのように備えるべきであるのか。プログラマー・投資家であり、書評家としても知られる小飼さんと、数学者で統計学関係の著作も多い神永さんの対談から構成されるこの書物は、そもそも未来予測など可能なのか、個人や社会が健やかに存在するためには何が必要なのか、科学からコンピュータ、経済、教育まで広範囲にわたる先端の知見から、議論が展開されている。「理系」の人間から見た現代の日本社会と学問に対する批判であり、改革の方向性についての提言でもある。
 
 全体としてお二人の発言は歯に衣着せぬものである。「人間はどうしても拠り所がほしいから、断言する人がいると、その人についていってしまいたくなる。学問の世界でも、全部わかっているかのように話す人がいますが、別にその人だって何もかもわかっているわけではなくて、わかったふりをしているにすぎません」(神永、30ページ)。
 朝、出かけるときに、天気予報を気にしない人はいないだろうが、天気予報で今日は晴れだといわれても、空を見上げると黒い雲が立ち込めている場合、折り畳み傘くらいは持って出かけるのではなかろうか。統計データを集めて予測された未来が、必ず実現するとは限らない乱暴な言い方をすれば、統計学とは一を聞いて十を知ったつもりになる技術です。・・・やがり十を知るためには十を聞くのが一番です」(70ページ)というような身もふたもない議論がこの本には溢れている。 

 特に印象に残っているのは教育、それも高等教育について触れた部分であり、このブログでも何度か述べてきた私の意見と一致する部分もあるので、以下、そのあたりのことを中心に紹介してみる。
 高校卒業生の数は減っているのに、大学の定員は増え続けている。それでこれまで大学に入れなかった人たちまでどんどん大学に入学するようになった。その結果、大学生全体で見れば、学力は低下したと神永さんは言う。これに対して小飼さんが「今までは高等教育を受けられなかった人たちも、大学に行けるようになったのだから、学力低下は喜ぶべきことだと言い切ってもいいんじゃないでしょうか」(39ページ)と返すと、神永さんは「そうは言っても、みんな自分が信じているストーリーでしかモノを見ませんけどね」(39-40ページ)と付け足す。神永さんが『学力低下は錯覚である』という書物を出した時に、「お前は文科省の犬だ!」というメールを受け取ったと言う。ここで指摘されている「学力低下」をめぐる人口学的な事実に目をつぶり、高校までの教育が悪いからだというような頭の悪い大学の先生があまりにも多いことについては、この対談では触れられていないが、おそらくは武士の情けであろう。

 また学歴をめぐって「人事データをまとめてみると確かに高学歴ほど優秀という傾向がありました」(52ページ)と小飼さんがIT産業における経験から述べていることも注目しておいてよい。とはいっても「飛びぬけて天才的なプログラマーは学歴と無関係です」(同上)ということも指摘されている。その一方で、「大量に募集をかけて学歴でフィルタリングするやり方では企業の幹部を集められない・・・ 幹部になりうる人はこちらから探し出し、その人のところへ出向いていって迎え入れる必要があります」(52-53ページ)というのも重要であろう。

 さらに大学の意義をめぐり、大学で何を教え、まなぶかについての共通性や標準化が必要であるという議論も踏まえつつも、「どの大学でも重要なのは教育内容ではないのかもしれません。数学にしても、プロの数学者になるような人は、講義に出て人に習っているだけではありませんよ。自分で勝手に学んで、勝手に理解していくんです」(56ページ)と神永さんが述べるのを受けて、編集者が最近ではインターネット上で無料で講義を公開するMOOC(Massive Open Online Course)が広がっていることを指摘し、リアルな学校の意義は「場」であることと、学生たちがつまずいた時の支援になってきているのではないかというと、神永さんはさらに、友人を得ること、同世代教育の意義を強調している。このあたりのやり取りを読んでいると、ロシアの作家ゴーリキーの『私の大学』を思い出すところがある。ゴーリキーはたまたま知り合った大学生の勧めでロシアの地方大学であるカザン大学に入学しようとしてこの大学町に赴き、大学生たちの学習会に参加したり、大学の近くで働いたりするが、結局大学には入れない。しかし、大学町での生活(場と交友関係)を通じて、大学で学ぶ以上のものを身につけることになる。ゴーリキーがカザンとその周辺でうろうろしていたのは、もう100年以上も昔の話なのだが、そこから何が変わったのか、変わっていないのかを見極めることが求められている。学校は友達と交流するという以外の意義は失われているとの極論も展開され、さらに学費の高騰が学校、とくに大学の将来を暗いものにしていると論じられている。

 読めば読むほど、いろいろな示唆を受け取ることができる本だと思うのだが、とりあえず、小飼さんの「世の中をもっと先に進めるうえで、これから必要なのは、『自分がバカかもしれない』ことをきちんと認めることですよ」(182ページ)という発言、さらにもっと外に向けた好奇心が必要だという発言を胸に畳んで、今後の指針とすべきではないかと思ったことを付け加えて、一応の紹介としたいと思う。
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