小倉美惠子『オオカミの護符』(3)

12月26日(金)晴れ

 著者である小倉さんは自分の生家である川崎市の農家の土蔵に貼られたお札に興味を持ち、そのお札にかかわる神事の記録作業に取り組み、さらに、お札を発行している御嶽神社に通ってお札に描かれたけだものがニホンオオカミであることを突き止める。そしてオオカミを神として祀る信仰は日本各地にみられるが、オオカミの護符を発行し、講社が組まれる信仰形態は関東と天竜川流域に限られていることを知る。特に秩父地方がオオカミ信仰の密集地であることを知って、秩父地方へと足を運ぶことになる。

 「柞(ははそ)の国」ともよばれるこの地方の山々は落葉広葉樹に覆われ、柔らかな姿を見せている。「柞」は落葉樹のことである。昭和50年代にまだこの地方に残っていた民俗を映像に収めた『秩父の通過儀礼』シリーズの制作者であった栃原嗣雄さん、カメラマンであった伊藤碩男さんの協力を得て、小倉さんはオオカミ信仰の神社である宝登山神社の取材に取り組むことになる。

 宝登山でも講が組織されているが、御嶽講の場合とは違って、御師も宿坊も存在せず、「宝登山谷ッ平講」の神事は、箱状のお犬様の貸し借りをするというもので、「お犬替え」と呼ばれている。それぞれの家で神様として大切にお守りされてきた箱が神社に返され、新しい箱が渡される。行事に立ち会ったことから、小倉さんは「山」が信仰の場として、文化の発信源の役割も演じてきたのではないかと思い至る。

 宝登山神社では毎月7日の早朝に山に棲むお犬様のために山の麓にある里宮の社殿で白飯を炊き、山頂の奥宮に供える「お炊き上げ」という神事を行っていることを知って、小倉さんはその撮影に取り組む。「宝登山神社のみならず関東の山々に点在する『オオカミ神社』の多くが『お炊き上げ』の神事を行っているという。ところにより捧げる供物が白飯であったり、糯米の赤飯であったり、粳米に小豆を混ぜた「赤めし」であったりと変わるが、穀物を炊いて山に供えることは共通している」(154ページ)。さらに村人たちが自ら山に登ってお炊き上げの祭りをする小さな神社があることを知る。「しかも近くの山頂で村人たち全員がオオカミの遠吠えのような『雄叫び』を発するという」(同上)。次に取材の対象となるのは、その行事が行われるという猪狩神社である。

 猪狩神社は氏子がたった12軒という極めて小規模な集落の人々によって守り通されてきた神社である。ここでは「オオカミの護符」をいまだに版木を使って手刷りで作成している。このような手作りのお札の有難さを講中の人々は強く感じているが、それだけでなく、神社の(オオカミ型の)狛犬についても、1933(昭和8)年にこの像が運ばれている最中に山からオオカミが下りてきたという出来事があったという(ニホンオオカミが生きた姿で最後に確認されたのは公式には1905=明治38年のことである)。

 猪狩神社の奥宮祭には集落の各家々で赤飯を炊いて、それを重箱に詰めて山の奥宮に登る男たちに持たせる。山頂に登るのは男たちだけと決まっているのである。山の頂に到着すると、山頂の祠の周囲の草刈りと清掃が始められる。「草刈りや清掃が一段落すると、そこに並ぶ小さな二つの祠に家から持ち寄った供物が捧げられる。・・・/お供えを上げるときに、とある所作をする。まず山に生える檜の葉を敷き、その上に重箱から箸で赤飯を取り分け、盛り付けるのだ。…そしてお供えに欠かせぬというサンマも供えられた」(167-8ページ)。なぜサンマが供えられるのかはわからない。

 男衆が奥宮に上って祭りを行っている間、女衆は重箱に赤飯を詰め、集落のそこここに祭られている小さな祠の神々にお供えを上げて回る。

 「奥宮祭は最後に、山に登った全員で『鬨の声』と呼ばれる雄叫びをあげる。集落の方向を見下ろし、まず長老が『ウオーッ』とトウ(頭)をとると、みなが威勢よく『ウオーッ』と叫ぶ」(180ページ)。山から下りると集落の集会所で(山頂での直会に続いて)直会が行われる。そしてそのあとまた、鬨の声が全員によってあげられるのである。鬨の声はオオカミの遠吠えを模したものだという説もあるが、集落の人からはそのような意見は聞かれなかったという。

 穀物を炊いて、山の頂にお供えする「お炊き上げ」神事が、オオカミ信仰の神社で行われていることの背景に何があるのかを小倉さんはさらに探ろうとする。信仰や神事だけでなく、山の中で山と共に暮らしている集落の人々の暮らしに目を向けながら、小倉さんは探究を進めていく。遠くかすんだ山を眺めて暮らしている人間にはかすかな経験もできそうにない探究であるということを正直に認めておこう。もっとも、私の住んでいる一帯の近くにもタヌキは棲息しているらしく、まったく野生の存在がないわけではない。そうはいっても、昔からの集落の記憶が共有も継承もされにくい環境の中にいることは間違いない。
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