王敏『禹王と日本人 「治水神」がつなぐ東アジア」

12月22日(月)晴れ

 王敏『禹王と日本人 「治水神」が繋ぐ東アジア』(NHKブックス)を読む。

 中国古代の伝説的な帝王禹は人々を洪水から救った存在として、長く崇敬の対象となってきた。著者は日本で暮らすうちに、日本の各地に禹王に関連する遺跡が残されていることを知り、調査を始める。その調査の結果であるこの書物は5章からなり、第1章は中国の夏王朝の始祖であるとされる禹王の伝承がなぜ日本で受け入れられたのか、災害に悩まされることが多い日本の風土に即して考察し、また儒教が普及した江戸期以降に禹王信仰が深まった背景についての考察を行っている。第2章では京都御所の襖絵に禹王の故事が描かれている理由を探っている。第3章では中国における禹王の伝説に九尾の狐が関係していることから日本の玉藻の前伝説について取り上げ、第4章では日本語の中の禹王に関連する語句を取り出し、さらに空海と禹王の関係についてもほのめかしている。終章では日本と中国の関係、また朝鮮半島での事例を加えて、改めて東アジアということについて考え直そうとしている。

 この構成から見て言えることは、日本各地に残る禹王に関連する文物の調査をまとめているのは第1章だけで、その他の章は文献調査が主体の雑学の集成ではないかということである。著者は日本全国に禹王に関連する史跡や文献は100件以上あるという。この書物の巻末210-214ページに「日本国内禹王遺跡一覧」として101の遺跡が列挙されているが、その中にはどのように禹王と関連するのか、結びつきが曖昧なままに記載されているものが見られる。たとえば、80の「幸田露伴文学碑」などは、露伴の文学者としての名声との関連で説明が必要であると思うが、本文では全く触れられていない。露伴の代表作『運命』の書きだしは「世おのづから数といふもの有りや。有りといへば有るがごとく、無しと為せば無きにも似たり。洪水天に滔(はびこ)るも、禹の功これを治め、大旱(たいかん)地を焦せども、湯(とう)の徳これを済(すく)へば、数有るが如くにして、而(しか)も数なきが如し」(岩波文庫『運命 他一編』5ページ)というものであり、確かに禹の治水事業について触れているが、これだけのことっではなさそうである。

 つまり私のいいたいことは、第1章を中心にもっと時間をかけて調査をした結果をまとめてほしかった、第2章以下は、別の本にまとめればいいということである。まだまだ調査すべきこと、読むべき文献は残っているのではないか。第1章で酒匂川の流域の福澤神社境内に立つ「文命東堤碑」とその対岸の山北町の堤の「文命西堤碑」(文命は禹王の別名だそうである)について触れ、『新編相模国風土記稿』における言及も引用している。治水事業の中心人物であった田中丘隅(1663-1729)が工事の後に、禹王を祀る文命神社(現在は福澤神社)を建立したというのだが、田中丘隅の主著である『民間省要』は活字本になっているのだから、目を通しておいてもよかったのではないか。参考文献に丘隅の著書が挙げられていないので、そう思った次第である。

 さらに言えば、取り上げられている事柄の背景について著者の議論の進め方がさまざまな可能性を十分に視野に入れていないのではないかと思われる部分がある。著者は禹王をめぐる伝承が儒教を通じて日本に伝わったと考えているが、日本に入ってきた中国の思想は儒教にとどまらず、老荘思想や実学、さらに仏教についても考えていく必要がある。また日本における儒教の大衆化に役割を果たした教育機関として寺子屋を挙げているが、心学者の活動や、私塾・郷学等の寺子屋よりも高度な教育機関の役割に目を向けるべきではないか。

 また著者は韓国文学の名作『春香伝』の中に禹王についての記述が5回あることを指摘し(私も『春香伝』は持っているので確認してみようと思う)、「これは日本の古典文学では考えにくい、高い頻度であろう。儒学の教えを生活の隅々まで浸透させることにおいて、韓国は日本よりはるかに徹底していた」(196ページ)というのは客観的な事実としてその通りだと思う(道徳的な価値に照らしていいか悪いかは別問題である)が、「そして、『春香伝』は、日本における例えば『源氏物語』よりもずっと、実際に愛読されているという事実がある」(同上)と論じているのは、たとえそれが事実に基づくものとしても、不適切な比較というべきであろう。両者の執筆年代、それぞれが書かれている言葉の現代の言葉との距離、さらに物語の長さなどを考えれば、『春香伝』の方が読みやすいことは明らかであって、現実に私がこれから『春香伝』を読んでやろうかと思っていることでもそれは証明されるはずである(『源氏物語』を読もうという気にはなかなかならない)。『春香伝』と比較するのであれば、江戸時代の馬琴などの作品を持ってくるべきであって、そうしなければ適切な比較とはならないはずである。『春香伝』も馬琴も中国の章回小説の影響を受けているので、比較のための適切性は十分だと思う。

 著者が列挙している日本における禹王関連の文物が比較的新しいものであるということの方にこそ、実は追求すべき問題が潜んでいるのではないか。治水事業というのは実学的な素養がないと展開できない性格のものであり、そのことと禹王信仰とがどのように結びついているのかということを考えてみる必要があると思うのである。
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