今野真二『辞書をよむ』

12月21日(日)曇り後晴れ

 今野真二『辞書をよむ』(平凡社新書)を読む。今年になってから、この著者の本を『かなづかいの歴史』、『日本語の近代――外された漢語』、『日本語の考古学』、『「言海」を読む ことばの海と明治の日本語』、『辞書からみた日本語の歴史』と5冊読んでいる。書く方もすごいが、それにいちいち付き合っているこちらの努力も認めてもらいたいものである。

 この本は今と昔の国語辞書を読み比べて、その特徴を概観するものである。同じ著者の『辞書からみた日本語の歴史』と重なる内容が少なくないが、<日本語>ではなく<辞書>が問題にされているという違いがある。実際に、取り上げられている辞書にも違いがあって、読み比べてみるといろいろなことに気付くはずである。

 また書物の構成についてみても、『辞書からみた日本語の歴史』が年代順にさまざまな辞書を通して知られる日本語の変化を辿っているのに対し、こちらはまず、現代日本でつかわれている辞書について概観したのちに、明治時代の辞書について『言海』を中心として論じ、その後古辞書について取り上げるという構成になっている。古辞書についてみると、その最初に位置し、影響力も大きい平安時代の『和名類聚抄』に1章が割かれ、その後平安時代から室町時代に編まれた辞書が取り上げられ、さらに江戸時代の辞書が概観されている。

 現代では辞書は、使うものになっているが、もともとの辞書はよむ性格が強く、なかには誰かが自分のために読んだ文書の中から自分で作った抜き書きが編纂されて成立したものがあるという。辞書が「使われる」ものとなり、印刷されて出版されるようになったのは江戸時代以降のことであるとも論じられている。歴史的な概観から浮かび上がってくるもう1つの特徴は「中国的な辞書から日本的な辞書へ」という流れである。もともと漢字や漢語を理解するために編纂された辞書が主流であったのが、江戸時代になると見出し項目として取り上げられる語に和語が増加し、仮名で書かれた辞書もあらわれるようになって、「日本的な辞書の時代」が到来するという。

 ことばについて、単にその意味を探るだけでなく、辞書を通じて多くのことを知ることができる、辞書はただ単に実用的な用途だけではなく、もっと教養的な用途に役立ちうるのであるというところに著者の主張があるようである。その点と関連して、『日本国語大辞典』について1章を割いて、そのより効果的な使用法について探っているのが注目される点である。この辞書をめぐる山田忠雄の批判と、それに対する松井栄一の論争について詳しくは触れず、「大学で日本語について何かを調べる場合には、最終的には必ずこの『日本国語大辞典』に当たるように学生に伝えている。それだけ信頼のおける辞書である」(60ページ)という評価を与えている。言葉が変化していくのと同じように辞書も変化していく。その変化が成長であり、発達であるためには、辞書に信頼感を持って接していく必要があるということであろうか。今野さんは既に「言海」をよむことの楽しみについて触れてきているので、その点はあまり強調されていないが、現在使用されているその他の個々の辞書についての特徴、とくにその長所をさらに見出していく必要はあるだろう。

 実は私は漢和辞典を使って漢字をどのように書くのかを確かめるくらいで、国語辞典はほとんど使わないで過ごしている。日常的に使っているのは英和辞典と英英辞典だけである。今野さんは国語辞書を読み比べたり、そこから言葉の意味を掘り下げていくことの楽しみをいろいろな例を挙げて強調しようとしているのだが、私は英和辞典の方にそういう楽しみを見出しているということである。さらに言えば、和英辞典にいいものが少ないのは、国語辞典にいいものがないことの影響を受けているのだという説をうのみにしているところがある。もう少し国語と英語を結び付けて考えてもいいのではないかと反省しているところである。
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