ムーンライズ・キングダム

2月14日(木)曇り後晴れ

 昨日見た映画『ムーンライズ・キングダム』について。

 1965年の9月、アメリカの東北部ニューイングランド地方のとある島でボーイ・スカウトのキャンプから1人の少年が姿を消す。その少年、サムは孤児で里親に育てられていたが、養父母になじめず、キャンプの仲間とも打ち解けないまま脱退届を出したのである。彼は以前に知り合って文通を続けていた島に住む本好きの少女スージーと合流し、ボーイ・スカウトで覚えた知識や技能を生かしながら、先住民の記憶が残る島の奥深くへの探索を始める。風変りなスージーは両親から問題児扱いをされてきたのである。

 ボーイ・スカウトの隊長のウォードは少年たちに追跡を命じ、島の警察のシャープ警部以下のスタッフ、スージーの両親も捜索を始める。2人は島の海岸部の誰もたどり着かないはずの場所にキャンプを張り、そこ「ムーンライズ・キングダム」と命名して2人で仲良く過ごすが、追跡隊に見つかってしまう。スージーは家に戻され、サムは児童施設に送られることになり、彼を担当する児童福祉局の女性職員がも島に向かおうとする。福祉局の職員の官僚的な対応に接するうちにシャープとウォードは何とかしなければならないと思いはじめる。彼らは2人の逃避行で見せたサムの頭の良さに次第に敬意を払うようになっているのである。

 スカウトの他の隊員たちもそれまで理解していなかったサムに同情すべき点があると思うようになって、2人を島から逃がそうとする。おりしも猛烈な暴風雨が島を襲い、物語は急展開を見せ、少年たちも大人たちもそれまでとは見違えるような活躍を見せるようになる。

 型にはまったことばかりしているよりも、非常事態に接して日常性の枠組みを越えて行動する時、思いがけない能力が引き出されるというのはこれまで繰り返されてきた主題には違いない。ただそれが子どもと大人の関係に即して描かれているのが注目される。普通と変わっている子どもへの評価を改めたことがきっかけとなって、シャープ警部もウォード隊長も終盤はスーパーマン的な行動をするのである。40年ほど昔の英国映画『小さな恋のメロディー』と同じく少年少女の恋の展開を描いているが、こちらは大人と子どもの対立ではなくて、子どもの引き起こした事件をめぐり周囲の子どもたちと大人たちがともに変わっていく姿を描いているのが特徴的である。『メロディー』がイージー・リスニングの音楽を背景にしていたのに対し、こちらはブリテンの『青少年のための管弦楽入門』が使われているのが両者の性格の対比を際立たせている。大人たちも変わっていくと書いたが、その一方でいっこうに態度を変えない福祉局の職員が悪役として描かれているのはアメリカらしいと言えばアメリカらしい。なるほど小さな政府が叫ばれているわけである。

 不倫をしたり、未成年にビールを飲ませたりするシャープ警部を演じているブルース・ウィリスが好演というよりも役にはまっている。1965年の9月のアメリカにはこういうシーンもあったのかと、この頃の自分がどうしていたかを振り返った。その頃自分が気付かなかった、知りえなかった世界は多かったし、今でもそれはそんなに変わらない、だからこそ映画を見ることに意味があるのである。
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