小倉美惠子『オオカミの護符』

12月11日(木)雨のち曇り

 12月10日に、小倉美惠子『オオカミの護符』(新潮文庫)を読み終える。最近、読んだ本の中では群を抜いて面白い本であった(面白そうな本しか読まないことにしているのだが、その中でも面白かったということである)。

 小倉さんの出身地である川崎市宮前区土橋は、渋谷から電車でわずか30分という東急田園都市線沿線の住宅街であるが、かつては橘樹郡宮前村大字土橋という戸数50戸ほどの農村であった。先祖代々この地域で農業を営んできた過程に生まれ育った小倉さんは、開発による変化を身をもって体験し、その中で自分の生まれ育った環境に背を向けた時期もあったというが、長じてより広い世界を知るようになって、変化の中で失われた、あるいは失われようとしているものを再評価するようになった。

 そこで土橋の行事や芸能をビデオで記録保存することをくわだて、撮りためていったのだが、その中で幼いころから実家の古い土蔵の扉に貼られた「護符」のことが気になった。
 「護符」は幅10センチ、長さ30センチほどの細長い紙で、そこには鋭い牙をもつ「黒い獣」が描かれ、獣の頭上には「武蔵國 大口眞神 御嶽山」という文字が三列に並んで配されている。(22ページ)
 この札は「おイヌさま」と呼ばれ、「御嶽講」の講中の家に毎年配られているという。農村であった時代には、さまざまな「講」が集落の人々を結び付けていた。
 数ある「講」の一つ「御嶽講」は、「宿」と呼ばれる村の家に集い、御岳山にある武蔵御嶽神社(東京都青梅市)にお参りに行く代表者を決める行事だという。種まきや田植えの始まる前に、作業の無事と豊作を願うことから、毎年春先に行うのだそうだ。(45-6ページ)

 「御嶽講」のほかにも「念仏講」や「榛名講」、「地神講」などが人々を結び付けていたという。小倉さんは、「御嶽講」の様子を撮影することに成功し、そこからさらに青梅の御岳山の武蔵御嶽神社への参拝にも同行することになる。御岳山のある奥多摩と川崎を結び付けるものといえば、まず多摩川である。多摩川は沿岸、とくに川崎の農業に損害と恩恵の両方を与えてきた。
 いくたびも氾濫を繰り返し大きな被害をもたらしながらも、余りある恩恵を与えてくれた多摩川への感謝をこめて、大師河原村の人々は講を組んで上流の御岳山へ参拝を続けてきたそうだ。
 今でも川崎に「御嶽講中」が多いのは、こうした背景によるものだろう。(60-61ページ)
 土橋御岳講中の参拝の撮影からプロの映画人である由井英さんが協力することになって、映像記録は本格的なものとなる。その一方で、御岳に向かいながら小倉さんは、関東の山をめぐる様々な信仰、大山と雨、榛名山と表や嵐の害の結びつきについて思い出す。では、御岳山には何を願ってお参りするのか。「黒い獣の護符」はそれとどのような関係があるのか。

 講中の人々は直接山頂の神社に参拝はせず、まず山道の両側に建ち並ぶ宿坊の1軒に立ち寄り、そこでお祓いをし、身を清めてから、宿坊の主人である「御師(おし)」に導かれて山頂を目指すことになる。御師は、講中が山を訪れて参拝するときに世話をするだけでなく、毎年、年が明けると御岳山から下りて土橋の講中の家を一軒一軒訪ね、神棚に祝詞をあげて「おイヌさまのお札」を配り歩くという。この参拝の経験から小倉さんは御嶽講の魅力に取りつかれ、由井さんとともに何度も御岳山に通うことになる。
 御嶽神社のみならず、富士、大山、榛名、出羽三山、戸隠などでも「御師」(「おんし」、「先導師」と呼ぶところもある)の存在が知られているが、いずれも宿坊としては存続していても、毎年里に下りてお札配りやご祈祷を続けているのは「御嶽御師」の他にはなくなってしまったと聞いた。今日でも里に下りて講社を廻る御嶽の御師は、行いも集落の佇まいも、いにしえの形態をもっともよく伝えていると言えるだろう。(86ページ)

 小倉さんと由井さんによる探求と映像記録の作業はさらに進み、さまざまな発見をもたらすのだが、それはまた次の機会に紹介することにしたい。小倉さんは自分が生まれ育った地方の橘樹郡という旧郡名にこだわりを持っているようだが、実は私が住んでいるのも旧橘樹郡の久良岐郡に近い端の方で、その意味でこの書物には親近感を持っている。それに川崎市の府中街道周辺も以前は歩き回っていたことがあるのである。小倉さんは、橘樹郡という名称は、倭建命と弟橘媛の神話に由来するという説を紹介しながら、「村々に生える『みかん』の木を見て育った私は、柑橘系の実がよく生ることからついた名ではないかと思っている」(31ページ)という意見を書き添えている。私の住まいの近くでも柑橘系の木が身を実らせている情景をよく見かけるので、この意見には大いに聞くべきものがあると思う。ついでに言うと、久良岐郡というのは海にクラゲが多いことからこの名がついたという説があり、横浜の沖の海にクラゲが多いことも経験によって確認している。身近な地域の伝統と文化を見直し、掘り起こすことの意義を改めて考えているところである。
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