エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事1』

12月5日(金)晴れ

 エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事1』(創元推理文庫)を読み終える。

 1960年代のアメリカ、ニック(ニコラス)・ヴェルヴェットは東部のロング・アイランド・サウンドに面した小さな町でガールフレンドのグロリアと毎日を過ごしている。家の1ブロック向こうにはエレクトロニクス工場があって、その従業員たちが家路を急ぐ姿を眺めるのが好きだった。では、彼は何をしているのか? グロリアには新しく建設する工場の敷地候補を世界中で探し回る起業コンサルタントだといっているが、本当のところは泥棒なのである。

 泥棒。それも飛び切り風変わりな泥棒である。どこからともなく彼のうわさを聞きつけてやってくる顧客の依頼に答えて、彼は価値のないもの、あるいは誰も盗もうとは思わないであろうものだけを盗む。しかも、その報酬は1件につき2万ドル以上である。(1960年代、1ドルはまだ360円であったが、この10年代が終わりに近づくと、実際のところは100円ではないかということを言う人が現われはじめていた。) そういう依頼にこたえて、ニックが働いた盗みの数々がこの短編集を構成している。表題からさらに続編があることが推測できる。

 盗んでくれと依頼されるものは:
動物園の虎、プールの水、おもちゃのねずみ、ビルディングの外壁に記されている真鍮の文字、すでに終演したはずのミュージカルの切符、教会のパイプオルガン(厳密に言えばその音色)、大リーグの球団1チーム、ニューイングランド地方にあるシルヴァー湖に最近出没するというネッシーに似た怪物、ネットワークを広げている男性専用クラブのシンボルのライオン像、連邦刑務所に服役中の囚人の部屋に貼られているカレンダー、小都市の遊園地のメリーゴーランドの木馬、博物館に収蔵されている恐竜の化石の尻尾の部分、ある裁判の12人の陪審員と補欠の全員、テキサスの大富豪の葬儀でつかわれた特製の革張り柩、某国の大統領が英国の女王に献上する7羽の大鴉(ravenであってcrowではない)。

 ちっとやそっとでは盗み出せそうもないものを、ニックは策を凝らして盗み出す。それにしても、一見、無価値なこれらをなぜ盗み出す必要があるのだろうか。以来の背景にある真相にニックは、当然のことながら読者も、興味を抱かざるを得ない。

 盗みには予備知識が必要である。そしてニックはそういう予備知識とその前提となる雑学をたっぷりと身につけている。ということは雑学的な教養には自信のあるミステリーの読者に対して彼が毎回、挑戦状をこっそりと送り付けているということでもある。あるいは、そんなことを言ってはしゃいでいるこちらの浅学ぶりが見透かされているのかもしれない。木村仁良さんの「解説」にも記されているように、エピソードの1つ「邪悪な劇場切符を盗め」でニックが盗むように言われるミュージカルの切符は『ウィキッド』でグレゴリー・マグワイアの『オズの魔女記』の舞台版と題名が重なっている。かくいう私、『オズの魔法使い』シリーズには一家言あって、最近の映画化や舞台劇化がL・フランク・ボームの原作から離れている傾向を憂慮していることを付け加えておこう。同じエピソードでニューヨーク市のワシントン・スクエアという地名が出てくるが、これはオリヴィア・デ・ハヴィランドがアカデミー主演女優賞を取った『女相続人』の原題でもある。ヘンリー・ジェイムズによる原作を、大学時代に貴志哲雄先生の英語の授業で読んだことがある。

 原題はThe complete stories of Nick Velvetで「怪盗」ということばはなく、ニックの私生活もアルセーヌ・ルパンなどに比べればごく平凡な市民生活に溶け込んでいるところが特徴といえようか。とはいうものの、ニックはかなりの艶福家である。彼にはグローリアというガール・フレンドがいることは既に書いたが、彼が依頼を受けて現場を探るたびに、美女に出会うという幸運の持ち主であることも書き添えておこう。
ロング・アイランドの最東端の海岸沖「このあたりは富と享楽の地域で、ヨットは大きく、女性の水着は小さい」(107ページ)。「突然、すらりとした若い人魚が舷側から乗り込んできて、ニックを驚かせた。・・・ニックは彼女のきらめくビキニ姿を満足げに見つめた」(213ページ)。もちろん、登場するすべての女性たちが水着姿というわけではない(それはそれでこちらは一向に構わないが)。「彼女は金髪で、日に焼けていて、白いショーツをはき、袖なしのプルオーヴァーを着ていた。『私は彼の秘書ですわ』彼女が答えた」(193ページ)。 「びっくりして振り向くと、ほっそりとした金髪女性が立っていた。目は青く、鼻は高く、脚はすらりとしている。ニックが今までロンドンで見たものの中で、一番美しい光景だ」(401ページ)。一方で作者による女性美のステロタイプ化も感じられるとともに、現在では水着はもっと小さくなっているのではないかと思う(このあたり当ブログの管理人の心境もなかなか複雑である)。

 TVの連続ドラマとしてふさわしい内容の短編小説群であると思うのだが、木村さんによると「アメリカ本国では、ニックが窃盗を働いたことに対して罰せられないという倫理的な理由で、なかなかTVドラマ化されないという」(425ページ)そうである。これは倫理性というよりも、偽善そのものであって、私がアメリカという国家をあまり好きではない理由もこのあたりにある。そういえば、この作品集が描いている時代に、私は大学生で、ヴェトナム戦争に従軍している兵士たちが休暇で日本にやって来ているのに出会ったものである。京都の寺を見ると心が休まるというようなことを言っている兵士がいたと記憶するが、ヴェトナムの森の緑が彼の目にどのように映じていたのであろうか。
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