五味文彦『増補『徒然草』の歴史学』

11月29日(土)雨のち曇り

 五味文彦『増補 『徒然草』の歴史学』(角川ソフィア文庫)を読み終える。1997年に朝日選書の1冊『『徒然草の歴史学』(朝日新聞社)として刊行されたものを増補、文庫化したものである。

 『徒然草』はさまざまに読まれてきた。特に私の目につくのは人生論・処世術の書としてこの書を読むものであるが、そこには現代人である読み手の主観が加わって、必ずしも書き手である兼好が本当に考えていたことが捕えられていないのではないか・・・というのが最近の多くの研究の傾向であると五味さんは言う。

 『徒然草』はこれまでのところ、多くは文学研究者によってなされてきたために、「主に兼好個人の人生観や物の見方、さらには批判精神や懐古趣味などが探られてきた」(13ページ)、それはそれで意義のある研究であったが、「兼好の口当たりの佳い文章にのって、ついつい現代的な解釈に陥ってきたようにも思う」(同上)と著者は言う。歴史学者である五味さんは、歴史学研究者が『徒然草』の研究に消極的であったことの反省を踏まえて、『徒然草』を歴史資料として徹底的に探ってみようとしている。この書物に記されている様々なエピソードをつないでいくと、兼好がその中で自分の教養を形成してきた今日の文化、新たに成長しつつある鎌倉の文化、そしてその2つに流入してくる大陸の文化という3つの文化のせめぎあいが認められ、そのような状況の中で鎌倉末期の社会における時代の転換をもっとも鋭く表現したのが兼好であったと五味さんは考えている。

 このような出発点から、兼好が過去の時代、とくに平安時代の摂関政治全盛時代から彼の生まれたころまでの時代をどのように受け止めていたか、彼が若いころに宮廷や上級貴族の屋敷で経験したことをどのように記憶していたか、鎌倉での経験の記憶と彼の遁世をめぐる事情、生活をめぐる意見などについて考察を展開する。そして『徒然草』の成立を考えるにあたり、彼の『家集』との関係が重要であること、彼の歌道の師である二条為世の孫である為定がおそらくは『徒然草』の想定している読者であろうと論じている。そして『徒然草』は元弘の乱が起きた元弘元年(1331年)8月以前におそらくは完成していたものと考えている。

 「『徒然草』の執筆後、兼好の歩む道は激変した。関東から上洛してきた幕府の軍勢によって後醍醐は配され、さらに隠岐に流されることになり、やがてその後醍醐の反攻によって六波羅探題は滅ぼされてしまう。こうしたことを『徒然草』執筆段階で果たして想像できたであろうか。おそらく無理であろうが、しかしこれまで見てきたところによれば、『徒然草』はその予兆をはっきりと記しているのであった」(309ページ)。

 この後に五味さんも触れているが、兼好は『太平記』の登場人物の1人でもある。あまりぱっとしない登場の仕方で、それが『徒然草』の現代における人気と釣り合わないと考えたのか、吉川英治の『私本太平記』での兼好の活躍には目覚ましいものがある。しかし、おそらくは同時代の人間にとって兼好はそれほど重要な存在ではなかったのであり、だからこそというか、ちょっと引っ込んだところにいたからこそ時代の重要な観察者となりえたし、彼の時代を超えた人生の観察者としての高い評価を受けることになったのではないかと思う。紹介・論評としてはきわめて粗略なものになってしまったが、『徒然草』の多様な内容を、その多様さに付き合いながら、兼好が彼の生きた時代の中でどのように行動し、思索したかについて詳しく論究している。興趣の尽きない書物である。
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