ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(15)

11月26日(水)雨

 人間の罪という観点から見た歴史の流れを寓意する地獄の川の岸に沿って並ぶ石の上をダンテとウェルギリウスは歩み、第14歌に歌われた火の降る砂漠から離れてゆく。

今や堅い縁の一本が私達をそこから運ぶ。
小川から沸き立つ煙は川面を覆う陰を作り、
流れと堤を火から護っている。
(222ページ)

 道を歩む2人は堤防沿いに進んでくる一群の魂たちに出会う。彼らは暗闇の中で2人に向かって目を凝らしていたが、
一人の男が私を認め、私の服の裾を
つかんで叫んだ。「何という驚き」。
(224ページ) ダンテも醜く変わり果てた男が、かつて自分の師であったブルネット・ラティーニ(1220頃‐1293)であることに気付く。

 ブルネットはダンテとともに歩みながら、ダンテがどのような理由で地獄を遍歴しているのかを訪ねる。ダンテは谷の中で迷ったときに、ウェルギリウスが導き手となって遍歴へと旅立つことになったと語り、自分が神のもとへと歩んでいると告げる。これに対して、ブルネットはダンテが詩において傑作を残すことを占星術に基づいて予言し、自分が早くこの世を去ってダンテの仕事を応援できなかったことを悔しがる。そしてダンテがこの後に生まれ故郷の都市であるフィレンツェから追放され、苦難の道をたどることになるが、にもかかわらずその業績は不滅のものとなるだろうと予言する。

 ダンテはブルネットからその生前に受けた人生についての教え、また地獄で出会って受けた予言について忘れずにそれを書き残すことを誓う。優れた哲学者であったブルネットが地獄で罰を受けているのは、彼が同性愛の罪を犯したからである。ダンテは、師とともに地獄で罰を受けているものの名を訊ねる。

すると先生は私に、「何人か知っておけばよい。
他のものについては黙っておくのがほめられる行いであろう。
そこまで話すには時間が足りないだろうから。

まとめれば、全員が聖職者か
名高い大学者であったということを知っておけ。
現世で同じ一つの罪に汚れていた。・・・」
(232ページ)といい、群れの中の数人の名を明かす。そして、自分の著作の中で『宝典(トレゾール)』はダンテに託したいという。
「その中に私はまだ生きている。この上は何も望まぬ」。
(233ページ)といって、去ってゆく。

 自分の先生を地獄、それもかなり奥の方におくというのはなかなかできることではないと思うが、『神曲』執筆時にすでにブルネットはこの世を去っていて、その功罪が明らかになっていたということであろう。ただし、現代の価値観からすればダンテの、また彼の時代における倫理観には疑問が投げかけられよう。翻訳者である原さんの解説には、ブルネットの思想や政治的な業績について詳しく述べられているが、ここでは省く。ただ、ブルネットの百科全書的な文学作品『宝典』が、世界全体についてのまとまった見通しをもっていないのに対し、ダンテのこの作品はキリスト教的な倫理観によって秩序付けられた体系をなしているという点に留意しておけばよいと思う。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR