今津孝次郎『学校と暴力 いじめ・体罰問題の本質』(4)

11月19日(水)晴れ

 またもや間隔が空いてしまったが、今津孝次郎『学校と暴力 いじめ・体罰問題の本質』の紹介と論評を続ける。今回は「いじめ『社会問題』の<四つの波>」について論じた部分を取り上げる。既に述べたように、この4つの波は学校現場におけるいじめの動向を直接反映しているというよりも、いじめをめぐる「まなざし」の変化に対応して取り出されたものである。今津さんは、いじめ問題の「社会問題化の<波>が押し寄せた各時期と、その時期の特徴を一言でまとめたうえで、象徴的な事案と具体的な防止対策を整理しながら、いじめ問題への『まなざし』がどう変化し、どう変化していないかを指摘したい」(46ページ)と述べている。

 「第一の波」となるのは1980年代の半ばで、「いじめの本格的な社会問題化」が始まった時期である。1985年に称ch喰う学生10人以上が自死するという傷ましい事件が相次ぎ、文部省(当時)は「児童生徒の問題行動に関する検討会議」を設置していじめ実態調査を始めるとともに、6月には問題の解決に向けてのアピールを出した。その4か月後には臨教審が会長談話を通じて、いじめ問題を審議対象にしたことを公にしている。しかしこの時期における政策文書を読むと、問題を指弾しているが、その表現は表面的で論評的なものに終わっている。国を挙げての対策が動きはじめた矢先の1986年2月、中野富士見中事件が起きた。この事件では被害者の少年の「葬式ごっこ」の寄せ書きに署名していた担任教師など6人が懲戒処分となり、いじめで教員が懲戒処分を受けた最初の事案となった。このことは、1980年代初頭から広がった「教師バッシング(叩き)」に勢いを与えることにもなった。また、この時期から「いじめる」という動詞と並び、「いじめ」という名詞が多用されるようになったことも注目される事柄である。

 「第二の波」となるのは1990年代の半ばで、「いじめの刑事犯罪化」、すなわち単なるのいじめにとどまらず、刑事事件として立件されるような「恐喝」犯罪にエスカレートする事案が現われてきた。その代表的なものが1994年に愛知県の中学校で起きたいじめ事件であり加害4少年が書類送検された。この事件を受けて発表された文部省の「緊急アピール」では単に問題を指弾し、表面的で論評的な表現にとどまるのではなく、被害の立場から加害を強く糾弾しているのが特徴的である。ところが、刑事犯罪化をめぐってはメディアも世論もあまり関心を向けず、いじめ問題という認識が大きく変化したようには思われない。「いじめはエスカレートすれば刑事犯罪になることもあるという認識を、学校教育関係者でさえ知識としてまだ根付かせるには至っていなかったのである」(52ページ)と著者は言う。

 「第三の波」となるの2000年代半ばで、遺書を残したいじめ自死事件が突然のように全国で相次ぎ、再びメディアの報道が活発化した。この時期に大きく浮かび上がってきた論点が4つあると著者は指摘する。
 ①いじめ件数データ。いじめの実態を知るために、正確なデータは不可欠である。しかし、いじめを「減らす」ことが目的になると、学校が隠微な「報告件数隠し」に走る恐れがある。件数と問題の解決はあくまで別の問題である。
 ②いじめ件数の調査基準。いじめの基準として、加害者のいじめ糸の有無にかかわらず、被害者の立場を考慮する姿勢を明確にした点が注目される。この変化をめぐって、1人の教師が「いじめ」を発見するのには困難があり、学年全体または学校全体であらゆる角度から子どもの状況を把握する必要がある。
 ③学校の隠蔽体質。いじめ自死事件に共通するのは学校や教育委員会がいじめ問題に正面から向き合わずに隠そうとする体質がある点である。最近になって広がっている「危機管理」の考え方では、隠すよりも事実を公開するほうが早期の信頼回復を得ることできるのだが、この考え方が学校組織にはまだ浸透していない。意図的あるいは無意図的な隠ぺい体質がこのまま続いていくと、学校組織の奥深くに存在する暴力の根がそのまま温存される危険性があると著者は論じている。隠さないことがいじめの暴力へのエスカレートを防ぐはずだというのである。
 ④懲戒措置。いじめの加害者への厳罰化を求める議論があるが、いじめをめぐっては加害者と被害者が入れ替わる事例も多く、まだ対人関係能力(ソーシャルスキル)が未成熟な児童青少年が直面している問題であると考えることが必要である。懲戒措置は簡単なものではないと著者は論じている。

 「第四の波」は2010年代の初頭で、いじめの解決を求める世論の盛り上がりを受けて「いじめ防止対策推進法」が制定された。大津市中学校事件では、いじめの多くの兆候があったにもかかわらず、学校側がそれを見過ごし、事件発生後は真相究明に消極的な態度をとり続けた。このことがいじめ問題をめぐる最初の法律の制定の端緒となったのは極めて遺憾な事態である。

 いじめは本来学校による教育的な努力によって解決されるはずの事案である。問題はいじめ行為そのものよりも、人々のいじめ問題への「まなざし」に「落とし穴」があるのではないかというのが著者の抱いている疑問である。いじめが起きてからどう対処するかということではなくて、いじめを誘発する青年前期の問題に対して教育的に向き合うための努力とそれを支える体制が必要なのではないかと著者は論じている。

 以上みてきたところからわかるように、「四つの波」は著者のいう「まなざし」の波、いじめをめぐる教育世論・言説の波、あるいは施策の波であって、実態を映すものではない。学校に正確な件数を報告させようというのはきわめてお役所的な硬直した発想であって、むしろいじめている児童生徒や、いじめられている児童生徒の生の声を聞くような努力のほうが有益なのではないかと思うが、考えてみると、渦中にある児童生徒は(著者が指摘しているように)その立場を一変させる可能性もあり)、いじめ問題をめぐる正確な実態の把握は困難であることをまず認識しておく必要がある。しかしながら、いじめをめぐる様々な研究はいじめの様相と、それが青年期、とくに青年前期の発達とどのように関連して起きているのかについて、かなり明らかにしてきた。それでは、青年前期の発達上の問題と、いじめはどう結び付き、それがどう克服されるべきなのであろうか。これらのことについては、次回以降に述べることにしたい。 
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