ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』(14)

11月17日(月)曇り

 ウェルギリウスとともに第13歌で自殺者、家産浪費者たちの霊が置かれている地獄の第7圏第2小圏を訪問したダンテは、そこで故郷であるフィレンツェの出身者に出会う。第14歌はこの出会いからの別れを歌うことから始まる。

生まれ故郷への愛が
私を締めつけたために、散らばった枝葉を一つに戻して
返したが、そのものは既に沈黙していた。

その後に私達がたどりついた境界では
二番目の小圏が三番目から分かれ、そこからは
正義の下す恐怖の御業を見ることができる。

その奇怪な事物を明らかにするために、
言っておこう、地面からあらゆる草木を退けている
ある荒野に私達は到着したのだ。

苦悩に満ちる森が花輪となってそれを
囲んでいる、悲しみの堀が森をそうしているように。
この場所の端の端で私達は歩を止めた。
(208-209ページ) このような奇怪な風景が広がる地獄の第7圏第3小圏は神を罵った者たちが罰を受けている場所である。神に対する暴力は、生命を与えてくれた創造主を否定することになり、その行為の根源的な不毛性を表すため、罪人たちは生命のない日の砂漠で罰を受けているのであると翻訳者である原さんは解説している。

みじめな手は一切の休みなく
激しく踊り、まだ新しい火を
今はこちら、今はあちらと体から払い落としていた。
(212ページ)という描写に見られるように、地獄のこの部分はきわめて視覚的に表現されている。そして2人はギリシャ神話のテーバイを攻めた7人の将軍(王)たちの1人であるカパネウスに出会う。テーバイの王オイディプスは父を殺し母と結婚していたことが分かり、王位を終れる。その後の王位を彼の息子であるエテオクレースとポリュネイケースが争い、テーバイを追われたポリュネイケースが7人の将軍たちとともに市を包囲する(テーバイの市を取り囲む城壁には7つの門があったとされる)。カパネウスはテーバイの城壁をよじ登り、ゼウス(ユピテル)を罵ったために神の怒りに触れて雷に打たれて死んだのである。(ギリシャ神話の神とキリスト教の神がここでは同一視されていることに注意しておこう。) 

 カパネウスを見たダンテは、ディース内城で自分たちを迎え撃った高慢な悪魔たちを思い出す。カパネウスの罪は高慢に由来し、地獄での彼の態度は悪魔たちを連想させるものであったためであるがそもそも悪は魔王ルシフェルが高慢ゆえに神に逆らったことから生じたものである。ダンテの問いに答えるように、ウェルギリウスは、人類の罪の歴史を語る。

「大海の真ん中にユピテル大神の島クレータが横たわり」(アエネーイス3.104)とウェルギリウスは歌ったが、ローマ神話ではユピテルの前に王であったサトゥルヌスのもとで、この世は純真無垢の黄金時代を過ごしていた。この山にはイーダー山という山がそびえ(現在はプシロリティ山という)、その山でユピテルが育てられたのである。というのは、サトゥルヌスは息子に王位を奪われるという予言があり、彼は妻レアーが子どもを産むとすぐに飲み込んでしまった。しかし、ユピテルが生まれたときにレアーはイーダー山中の洞窟に赤子を隠し、家来たちに言いつけて泣き声が漏れないように叫ばせたという。

その山の内部には威容を保つ大きな老人がまっすぐに立っている。
東方のダンミアータに対し背を向け
そしてローマを己の鏡であるかのように見つめている。

その頭は純金で造られ、
そして腕と胸が純銀で、
さらに脚のつけ根までが銅、

そこから下はすべて純鉄であり、
ただ右の足首より下は素焼きのテラコッタだった。
そしてこちらの上に、もう片方の足よりも、体をのせて立っている。

黄金を除いてどの部分も一切りに割られ、
裂け目から涙が滴り落ちている。
その涙が集まって、山の岩盤を穿つ。
(218ページ) その涙の流れが地獄を流れる4つの川:アケローン、ステュクス、プレゲトーン、こきゅーとすとなっているという。「ダンミアータ」はナイル川の河口で、エジプト、メソポタミアなどオリエントの地を代表するものとしてその名が出てくる。この巨像がオリエントに背を向け、ローマ(西欧)の方を向いているというところに、ダンテの思想の性格が現われている。オリエントは過去、クレタ島が現在、ローマが未来という人間の歴史が表現されており、像自体も人間の歴史を表すものと考えられる。その2本の足の左がローマ帝国、右が教会を表現し、とくにその堕落がテラコッタとなって表現されている。傷は原罪を表し、そのため、黄金時代=エデンの時代を表す黄金の頭部に傷はないのである。地獄の川は罪という観点から見た人類の歴史の流れという意味を与えられている。ダンテは地獄の4つの川のうち一部しか見なかったことについて疑問を抱くが、ウェルギリウスは2人が見たのは地獄の一部にすぎないと答える。

 なおこの巨人像は旧約聖書の「ダニエル書」2.31-33のバビロンの王ネブカドネツァルの見た夢の中の像がもとになっていると翻訳者の原さんは書いているが、「ダニエル書」ではこの像がネブカドネツァルの王国の運命を表すものとして解釈されているのに対し、『神曲』に登場する像は人類全体の運命を表現するものになっていることが大きな違いである。そして『神曲』がキリスト教的な主題を歌いながら、その世界像にはローマの詩人であるウェルギリウスやオウィディウスが描いた神話世界が紛れ込んでいることにも注目する必要があるのではなかろうか。 
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