今津孝次郎『学校と暴力 いじめ・体罰問題の本質』(3)

11月10日(月)晴れ後曇り

 第2回(10月30日)から間隔が空いてしまったが、今津孝次郎『学校と暴力 いじめ・体罰問題の本質』の紹介と論評を続ける。これまでの箇所で著者は、自分自身の子ども時代の体験からこの問題についての関心を抱き続けてきたこと、イギリスでの在外研究体験を通じて、いじめが世界各国で共通にみられる事象であり、青年の発達と関係をもち、問題の解決のためには人間性への洞察が必要であると考えるに至ったことなどが述べられてきた。

 続いて著者は「日本でのいじめ『社会問題化』」について、いじめをめぐる社会の「まなざし」の変化を辿る。日本でいじめ問題が少しずつ表面化して、殺傷事件にまで至るケースが報じられるようになったのは1970年代の後半のことであるという。ただ、この時代は高度経済成長と軌を一にする進学競争が激化している中で、「いじめられっ子」のひ弱さに目が向けられる傾向があった。そのような意識を変えて、いじめが社会問題化する端緒となったのが1979年に埼玉県の中学校で起きたいじめ事件であったという。

 この事件から現在まで、「いじめ自死事件が報道されるたびに社会問題として大きく注目され、しかし時間がたつと忘れられ、次の自死事件でまた注目されるということを何度お繰り返してきた。ここで留意すべきは、いじめ問題への人々の注目度の変化は、いじめ総件数の増減と完全に一致しているわけではないということである」(42ページ)と著者は言う。1980年代の中ごろから文部(科学)省はいじめ発生件数の調査を続けているが、そのような調査が実態をどこまで正確にとらえ得てきたかは判断が難しい。文部(科学)省自体が調査の基準を変更したりしているので、この調査は大まかな傾向を示すものと考えるのが妥当である。そして、それ以上にデータは「教師がいじめ問題にどのように関心を抱き、一定基準に沿っていかに注意を払っているのかという学校側の『まなざし』を物語る関数としてみた方がよい」(43ページ)とも論じている。

 とはいうものの、これらの調査を通じて浮かび上がってくるある傾向があるという。それは学年による変化で、小学校高学年から件数が増加し、中学校でピークに達し、高校になると減少していく傾向である。これは子どもたちが思春期を通過していく時期と重なっているという(「思春期」という言葉を使うよりも、「青年前期」という言葉を使うほうがよいと思う。ただし、青年前期というと、青年期を16歳くらいで「前期」と「後期」の2つに分ける場合の「前期」と、12歳から15歳くらいまでの「前期」、15歳から18歳くらいまでの「中期」、18歳から20代の初めまでの「後期」の3つにわける場合の「前期」の2つのケースが考えられる。「思春期」というのは二分する際の前期を言う言い方で、イギリスを含むヨーロッパではこのように二分して考えるとらえ方が一般的だと聞いた。このような青年期の区分は学校教育の段階的な組織にも影響していて、日本の学校編成は戦前はヨーロッパ流の二分法に基づいていたのが、戦後はアメリカ流の三分法に基づく編成になった)。また文科省は2006年度から「発生件数」という言い方をやめて、「認知件数」という言葉を使うようにした。いじめの実態も、その認知もさまざまな程度にわたり、それらを一括して「いじめ」と論じることにも問題がある。

 「いじめ自死事件が大きく報道されると学校現場では安易な処理はできないとの意識がはたらくのか、その後のいじめ報告件数が増加するという奇妙な現象がいつも繰り返されてきた。社会問題化されると水面下のいじめを表面化して報告することになるのだろう。この奇妙な現象は、一定の行為をいじめとして件数に上げるかどうかは、いじめ問題を眺める『まなざし』に大きく左右されることを物語っている」(44ページ)とも指摘されている。

 文科省jは2011(平成23)年度からいじめ「解決率」を発表するようになった。ところが、これはそれほど大きな話題にはならず、メディアの報道はこれまで通りいじめ件数の多さにこだわり続けている。「社会問題化というのは常に『問題を指弾する』という姿勢を取るからだろう」と著者は推測する。「問題の指弾には、それに相応しい言葉や発想法を伴いがちである。その典型が『いじめの根絶』という焦りに似た感情を込めたことばである」(45ページ)。しかし、いじめ問題の認識法や問題解決に向けた発想法として、それが適切なものであるかは考える必要があると著者は言う。

 では、いじめをめぐる世論の動きと、それにこたえる文部(科学)省の対策とにはどのような変化があり、いじめをめぐる「まなざし」がどのように変化したか、あるいは変化しなかったかについての議論は、また回を改めて取り上げることにしたい。どうも、紹介がもたついているが、これは内容の重さのためというほかの理由はない。

 著者は最初のところで、高度経済成長と受験競争という社会の背景について触れているが、その後のバブル経済やその崩壊後の経済・社会の閉塞、一方で少子化が進み、上級学校への進学をめぐる競争にも変化が生まれているというような変化が、いじめの問題とどのようにかかわっているのかについても視野を広げてみていく必要があるのではないか。また、口先での方針と実際に現場で推進している施策との異同についても見ていく必要がありそうで、その点にも気を付けて、今後読み進めていきたいと思う。
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