ローマの教室で~我らの佳き日々~

11月7日(金)晴れ後曇り

 横浜シネマ・ベティで『ローマの教室で~我らの佳き日々~』を見た。見ごたえのある映画であったが、場内はガラガラであった。多分、口コミでの評判があまりよくないのであろう。評判がよくないかもしれないという理由はよく理解できる。しかし、それでは困るのである。

 ローマの公立高校が舞台で、女性校長、新任の補助教員、情熱を失った老教師の3人と、それぞれがかかわりをもつ生徒・卒業生との交流が描かれている。予算が少なく、設備も整わない学校であるが、校長や老教師の住まいはかなり立派で、そのあたりがどうなっているのか知りたくなる。ルーマニアからの移民の子どもである生徒が自宅でパソコンを操作しているのだが、学校にはそんな環境はまったくない。プロジェクターさえ壊れて動かないという状況である。

 女性校長は忙しくて、夕食の料理もほとんど夫任せになっている。それなのに母親が蒸発してしまい身寄りがなくなった男子生徒が呼吸器の病気を抱えているのを病院に連れていって、入院させ、パジャマを買ってやり、何かと面倒を見ることになる(こういうことが校長の仕事になるというのが日本では考えられないのではないか)。新任の補助教員は生徒にイタリア語や文学の面白さを理解させようとするが、欠席がちの女子生徒にふりまわされたり、成績不振の生徒の父親と口論をしたり、なかなか実績を上げることができない。校長からは、教師は学校の中のことだけに関心をもっていればよい、生徒の私生活に関心を寄せる必要はないと注意をされる。これはヨーロッパで一般的な教育観であろうが、日本では通用しない議論である。とはいうもののこの若い教師もルーマニアからの移民の子どもが、ガールフレンドとの関係で危ない状況にあるのに気がつかなかったり、見落としが多いのである。若い情熱に満ちた教師が学校を変えるという物語が好きな日本の観客はどうも面食らうかもしれない。しかし、教室の一部の状況に気をとられて、他の部分に目がいかないというのは新任の教師にはありがちのことである(というよりも、一生その状態が続いてしまう教師もいないわけではなさそうだ)。老教師は、教師仲間からも全く孤立し、孤独な日々を送っているが、元教え子から告白を受けて戸惑う。

 生徒たちは勉強に身を入れない。そうはいっても、校内暴力が起きるわけではないし、常習的な欠席も一部にとどまっている。学校が嫌いでも、一応はやってくるというのが大部分である。映画の初めから、終りまで、生徒はあまり変わらない。若い教師が経験を積んで、少し賢く、たくましくなったかもしれないことが映画の最後の方で示されている。教師にとって情熱も経験もどちらも必要ではあるが、この作品ではどちらかというと経験の方に重きを置いているようで、それが教師の情熱によって学校と生徒が変わるというドラマを好む日本の観客にはあまり受け入れられない理由ではないかと思う。コンピューターやその他の機器が学校で使われていないことに見られるように、学校教育の内容や方法が時代遅れになっている。学校の技術革新が遅れているから、若い教師がその能力を発揮することも余計に難しくなっている。そういう意味でも学校を扱った映画としての見栄えがしない。

 すでに述べたことからも明らかなように、イタリアの学校文化は日本の学校文化とかなり違っているところがあるようである。だが、その違いから安易に優劣の判断を導き出すことは避けた方がいいし、日本の教育はイタリアから学ぶべきものはまったくないなどと即断すべきではない。日本の教師の方が生徒の生活に関心を寄せ、指導に心を砕いているはずであるが、それが仕事をさらに困難にしていることも否定できない。それでも学校が周囲の社会に比べて変化が遅いという点ではイタリアも日本も共通しているところがあり、その点をより慎重に見極めていく必要があるのではないかと思う。スローガンを振りかざして教育改革を論じることは簡単だが、実際に学校と教師、生徒を変えていくのは手間のかかる作業である。社会や青年の現実と学校教育のずれ、にもかかわらず学校がそれほど変化しないのはなぜかということを考える上で、この映画は貴重な問いかけをしているのではないかと思う。
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