日記抄(10月29日~11月4日)

11月4日(火)晴れ

 10月29日から本日までに経験したこと、考えたことなど:
10月29日
 『実践ビジネス英語』の時間は今週は再放送なので、テキストの後ろの方に掲載されている記事を読んでいたら、Lisa Vogt, "Our Magical World"という連載の中に、
I wear many hats, one of them is a photographer.
という文が出ていた。wear many hatsは「いくつもの仕事をしている、さまざまな役割を演じる」という意味だそうである。wear two hats(2つの仕事[役]をこなす、2足のわらじを履く)も、よく使われるそうである。英語では帽子、日本語ではわらじというところが面白い。もっとも、いまどきわらじを履くことはないと思う。なお、斎藤秀三郎『熟語本位 英和中辞典〕で調べたところ、この表現は出ていなかったので、この言い方は比較的新しいものなのであろう。

10月30日
 NHKカルチャーラジオ『蕪村の四季』の第5回は「秋の夜の寝ものがたり」と題して、妻に気遣いながらも俳人たちと遊興し、空想の中で妻に甘える自分や相撲取りを詠んだ秋の句を取り上げた。蕪村は相撲が好きだったようだが、「角力の句は、とかくしほからく相成候て、できがたきものにて候」と、相撲を句に詠むことの難しさを語っているという。蕪村の死後、その門人の安井大江丸は寛政11(1799)年から12(1800)年にかけて関東地方に旅行したが、12年の江戸での本場所の初日、天下無双を謳われた強豪大関の雷電が鯱(しゃちほこ)という下位力士(現在の十両にあたる、番付二段目)に敗れるという大番狂わせを見物するという幸運?にめぐりあった。「負けてこそ 人にこそあれ 相撲取り」というのがこの時のことを詠んだ大江丸の句である。この箇所、放送テキストにはなく、講師の玉城さんが余った時間に紹介したエピソードである。ちょっと得した気分になる。雷電は生涯を通じて10回しか負けておらず、2回負けた力士は1人もいなかったというから凄い。

10月31日
 夕食の際にビールを飲んでみるが、まだ旨いとは感じられない。風邪は完治していないようである。

11月1日
 『攻略! 英語リスニング』ではハロウィーンの前後にふさわしい企画として『マクベス』を上演しようという演劇関係者の談話を聴くという設定で、
By the pricking of my thumbs, something wicked this way comes.
「親指のうずきによれば、何か邪悪のものがこちらにやって来ておる」
という劇中のせりふが紹介された。このせりふの前半はアガサ・クリスティの『親指のうずき』、後半はレイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』という長編小説の題名になっている。シェイクスピアが英語世界に及ぼしている影響力の大きさを改めて感じる。

11月2日
 ロバート・F・ヤング『宰相の二番目の娘』を読了。巻末の「作者ノート」で「エドワード・ウィリアム・レインが英語に翻訳した《千夜一夜物語》(1839-41年刊行)の中の二つの物語をベースにしている」(239ページ)と書いている。詳しいことは西尾哲夫『アラビアンナイト――文明のはざまに生まれた物語』(岩波新書)を読めばよいのだが、もともとアラビア語の写本の形で伝わった書物が英語またはフランス語に翻訳されたものをさらに日本語に翻訳するという形でこの物語は読まれてきた。フランス語による翻訳としてはガラン版とマルドリュス版が、英語による翻訳としてはバートン版がよく読まれており、同じ英語への翻訳でもレイン版はあまり知られていない。西尾さんによると、レインは「文学としてのアラビアンナイトに魅了されたというよりは、アラブ世界の風俗習慣を紹介する媒体としてこの物語集の翻訳を思い立った」(76ページ)と考えられるらしい。ヤングがなぜこの翻訳に目をつけたかはわからないが、あるいはアラブ世界の風俗習慣への関心のためであったかもしれない。

11月3日
 11月から『ラジオ英会話』も聴くことにした。今月のテーマは”Animal Lovers"でペットに関する語彙・表現を学ぶことが目的だそうである。cat personというのが日本語の「猫派」に対応するらしい。最近、思うのだが、猫派の中にも特定の品種の「いいネコ」を好む人と、そこらの駄ネコを好む人の2派があるのではないか。私は後者なのだが、家人は前者で、この点をめぐってはあまり表面には出ないが対立が続いてきた。犬派についてもこのような対立が内在しているのではないかと思う。
 
11月4日
 NHKカルチャーラジオ『ヘボンさんと日本の開化』の第5回(再放送)「『生きた教師』と辞典の編集」は神奈川の成仏寺に落ち着いたヘボンがどのように日本語を勉強し、また辞書の編纂に取り組んだかを語る内容であったが、ヘボンが『和英語林集成』の編纂に際して、『日葡辞書』(おそらくそのフランス語版を参照したのだろうと推測している)のほかに、ウォルター・メドハーストの『語彙集』を利用したと記しているという。メドハーストは来日したことはなかったが、わずかな日本書籍を手掛かりにこの『語彙集』をまとめた。その書籍の中に中津藩主奥平昌高(1781-1855)の『蘭語訳撰』が含まれているという。。昌高はいわゆる蘭癖大名の1人で、オランダの物品の収集に飽き足らずに言語の学習を始め、カピタンたちとオランダ語で会話していたという。彼は中津藩主奥平昌男の養子であるが、その昌男の父というのが前野良沢を保護してその蘭学研究を援助した奥平昌鹿(1744-1780)である。中津藩出身の福沢諭吉は『福翁自伝』の中で、中津藩の旧弊な体質を批判しているが、その殿様が代々オランダ好きであったことも見落とすべきではない。もっとも上の方はオランダ好きでも、下のほうの藩士には統制が厳しかったということもありうる。
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