今津孝次郎『学校と暴力 いじめ・体罰問題の本質』(2)

10月30日(木)晴れ

 この書物の最初の部分はいじめ問題について概観し、いじめの仕組みを明らかにするとともに、その克服の方策を探っている。本来ならば、その全部を紹介・論評すべきであるが、まだ風邪が治らず、体力が十分ではないので、著者がいじめ問題に特に関心を持った経緯について述べた部分をまず取り上げることにする。

 「1 子どものいじめがなぜ深刻な『社会問題』になるのか」の中で、日本では1970年代の末から学校でのいじめ問題が少しずつ注目され始めてきたが、それが本格的に議論されるようになったのはだいぶ後のことであると述べられている。そして著者自身が子どものころにいじめられたり、いじめたりした経験がある(ということは、1970年代以前にもいじめは存在したということである)こと、1990年代に愛知県内で開かれたいじめ問題についての各種会合に出席したこと、さらに在外研究でイギリスに出張した際にイギリスでもいじめ問題が大きくなり、研究も学校での取り組みも活発化していることを知ったことがいじめに強い関心をもつようになった理由であるという。

 イギリスでの生活の日常的な見聞や学校訪問の際の会話から、著者はイギリスでもいじめが日常的な問題になっていることを知る。大学の図書館にも、大学内の書店にもいじめ関係の文献がそろっている。著者は単なる知識としてではなく、問題をどのように受け止め、かかわっていくかということで多くのことを学び取ったという。「個人主義であり、入試競争が日本ほど激しくないイギリスでもいじめは深刻な問題である。ただし、問題の問い方は単にいじめをなくすといった表面的規制に止まるのではなく、人間性を奥深くまで理解しようとする態度に満ちていることを知った」(30-31ページ)ことで、著者は自分のいじめ問題への向き合い方の方向を定めることができたという。

 著者はイギリスで得た知見を5点にまとめている。
①「いじめ」ということば
 日本語表現は、いじめる側といじめられる側の双方を天秤にかけて傍観者的に眺めているような言い方であるが、英語ではbullyとvictimをはっきり区別しており、日本語でも「いじめ加害者」「いじめ被害者」という明瞭な表現を使うべきだと考えるようになった。

②世界でのいじめ問題の発生
 著者がイギリスで見つけたノルウェーの心理学者D.オルヴェウスの『いじめ こうすれば防げる――ノルウェーにおける成功例』には3つの重要な知見が含まれている。
 ⅰ 世界で最初にいじめを「社会問題」として人々が受け止めたのは1970年代のスカンジナビア諸国であった。
 ⅱ いじめによる自死→メディア報道→「社会問題化」→教育政策の実施というプロセスは日本も同様である。
 ⅲ いじめは青少年の「攻撃的行動」の一環である。(33ページ)
 さらに日本でも森田洋司総監修『世界のいじめ――各国の現状と取り組み』や森田洋司監修『いじめの国際比較研究』が刊行され、いじめが日本独特どころか世界共通の社会の問題だということが明らかになってきた。「文化や社会の仕組み、教育制度が異なるのに、どうして世界各国で共通して問題になるのか。その原因を探ってみると、青少年が成長発達する過程で現れる『攻撃性』という普遍的な要因に行きつく」(34ページ)と著者は説く。

③いじめ加害者の攻撃性
 著者がイギリスで見つけたオーストラリアの研究者ケン・リグビーの『学校でのいじめ――そして何をなすべきか』には注目すべき内容が多く含まれていたが、特にいじめ加害者が自分の家族について感じたことの調査結果が注目される。彼らの多くが家族の自分に対する無関心や冷遇にいら立っており、その結果として強まった攻撃性が周囲の人間にお及ぶことが推測される。「表面的に観察できるいじめだけでなく、背後にある過程の事情から来る攻撃性にも目を向ける必要がある。いじめ加害者のほうも、実は家族の中で被害を受けている場合がある」(36ページ)と著者は論じている。

④いじめ防止基本方針の文書化
 イギリスの教育省は学校がいじめについてしっかりとした基本姿勢をもつべきだとして、各学校が文書の形で明確に方針を示すことがいじめに打ち勝つ方法だと述べている。日本でもいじめ防止の方針を教員の合意の上で文書化してくことが必要なのではないか。

⑤人間性を洞察する必要性
 著者が訪れた初等学校の校長は「人間が集団生活をすると、いじめはつきものです。そのつど問題にして、具体的な対応を罪が得るほかはありません」(38ページ)と述べ、子どもたちだけでなく若者や大人の人間関係にもいじめがあること、人間がもつそうした「悪」的な部分から目を背けずにその克服を常に心がけることを目指しているように見えたという。また中等学校の副校長は青少年の発達過程に特徴的な問題行動についてオープンに語っていた。これらのことから著者は「いじめを論じるには、『人間に関する深い洞察』が求められるのではないか」(39ページ)と感じる。「問題にすべきは表面的な対策ではなくて、『善』も『悪』も持ち合わせる人間そのものを見つめる深いまなざしを、まず私たち大人が培うことなのではないか」(同上)と考えるに至るのである。それは学校の対面や評判だけを機にしていてはいけないということでもある。

 ここまでの著者の議論、とくに人間性を洞察する必要や、青少年の発達段階で生じる攻撃性を正しく理解していくことなどについての主張には異論はない。しかし、実は私も著者と同じ時期にイギリスに出かけた経験があり、その際に向こうの学者と話したことの一つが、日本もイギリスもいじめが深刻な問題になっているが、ドイツではあまりいじめがないと言われるのはどういうことかということであった。これは単に情報がないというだけのことかもしれないので、どなたか詳しい事情をご存知の方は教えてください。このほかにも、いじめがあまりないという国はありそうであり、そこでは、どういう事情があるのかということは検討してみてよいことではないかと考えている。

 もう1つは歴史的なことで、イギリスでは有名な『トム・ブラウンの学校時代』の中にいじめの話が出てきて、いじめにはかなり古い歴史がある。この小説に描かれたトマス・アーノルド校長によるラグビー校改革の重要な取り組みの1つがいじめをなくすことであったはずで、この角度から改めて改革を検討しなおすこともされてよいのではないか。さらに言うと、もっと古くジョン・ロックが寄宿制学校について批判的な言辞を連ねていることも改めて思い出されてよいのである。まあ、これらは著者よりも、私自身が勉強すべきことであるかもしれない。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

ドイツのいじめ

ドイツのいじめ
「日本もイギリスもいじめが深刻な問題になっているが、ドイツではあまりいじめがないと言われる」云々とありますが、「森田洋司総監修『世界のいじめ――各国の現状と取り組み』や森田洋司監修『いじめの国際比較研究』が刊行され、いじめが日本独特どころか世界共通の社会の問題だということが明らかになってきた。」と先にあり、これらの本をとりあえず読めば多分ドイツの事情も出てくるはずと思います。
 わたしは、昔、小学校長の教育視察団の一員としてオーストラリアに行った知人が、オーストラリアにはいじめがないと聞いたと、本気でいじめがないと信じているのを聞いて、そんなはずはないと言いましたが、しかるべきもので確認したところ、当たり前だがオーストラリアにもいじめはあるのでした。こういう思い出があるので、今回も、「あまりいじめがない」などは全くあり得ないと思うので、証拠を探しました。上記の森田氏のものは面倒なのでインターネットでいいのがないか見たところ、望田研吾氏の「諸外国のいじめ問題と、フィンランドと英国の防止への取り組み」という論文がインターネット上で読めるようになっていました。この論文は「教育と医学」誌2013.2 に掲載されたものです。その中に、2009年のものですが、International Journal of Public Health, 54, S216-224にあるものから作成したという「40か国のいじめ頻度(%)」という表が載っています。いじめ件数などの日本国内の統計も調査のしかたの違い等で県別の値など信じられない開きが出てしまうこともあり、この国際調査も半分眉唾ではありますが、各国独自のものをかき集めたのではない一つの国際機関が実施した国際調査なので、多分今得られる最高の質のものでしょう。残念なことに日本は調査対象になっていませんが、欧米はほとんど入っているのではないかと思われます。これを見ると、男女別の男子で見ると、最も少ないのはスウェーデンの8.6%で、最も多いのがリトアニアの45.2%です。そして、ドイツですが、多い方から数えた方が早い27.1%です。因みに、イングランドは16.5%、スコットランドは15.1%、アイルランド14.8%、ウェールズ14.0%、フィンランド13.3%です。女子も大体同じ順位傾向です。煩雑になるので数値の意味などは省略します。詳しくは「諸外国のいじめ問題」で検索し「[PDF] 諸外国のいじめ問題と、-Researchmap」を読んでください。
先の引用部分にもあるように、「世界共通の社会問題だ」であって、多かれ少なかれどこにもいじめはある。それは多分人類初期から受け継がれたもので容易にはなくならないということ。攻撃性や余所者嫌い、余所者ではなくても肌合いの違う者や弱い者を仲間はずれし、仲間の和を強めようとしたくなる性質、人類進化の過程でそういうものが生存繁殖に有利な面があったのでしょう。隣の芝生はよく見える的な心情のもとに、以上の大原則を忘れてはならないと思う。ドイツはこれ以上ないほどのいじめをユダヤ人に対して行った。その強烈な反省のもとに、いじめ防止が進むということも考えられないわけではないが、こういう考え方もまだまだ甘いのでしょうね。異民族差別はどこの国にもありふれたことですが、ドイツにおけるトルコ人移民の使い捨て的差別は相当問題になっていると思います。
プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR